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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

欧州委員会 ゲノム編集作物の一部を規制対象外に これで気候変動、環境問題の救世主になるのか?

白井 洋一

ゲノム編集技術とは、クリスパーキャス・システムなどのDNA切断酵素を使って、狙った遺伝子配列を正確に取り除いたり、新たに導入する新しい品種改良技術だ。従来の遺伝子組換え(GMO)技術は外来遺伝子が残っているが、ゲノム編集では最終産物に外来(異種)遺伝子が残らないものもある。

これを今までのGMOと同じ扱いとするか、別扱いにして規制緩和すべきか、世界各国でいろいろ検討されてきた。2022年9月の当コラム「ゲノム編集作物の規制 世界の情勢」で紹介したように、北米、南米、日本、英国、中国など世界の大勢は、規制緩和の方向だが、欧州連合(EU)は慎重姿勢でGMOと同じ規制という状況だった。

EUの行政府である欧州委員会は2023年7月5日、新遺伝子技術(New Genetic Techniques, NGT)で作った作物の一部は、GMOのような規制対象にはしないと発表した(Reuters 2023/07/05、 EurActiv 2023/07/05)。NGTという用語を使っているが、ゲノム編集技術のことだ。

NGTをカテゴリー1と2に分け、従来育種でも起こりうる小規模な変異誘導で、外来遺伝子が残らない場合はカテゴリー1として、GMOのような規制はしない。それ以外のNGTはカテゴリー2で、今までのGMOと同じように厳しく審査、管理するという。

世界の大半は、ゲノム編集技術をDNA切断酵素のタイプによって、タイプ1から3に分け、最もシンプルなタイプ1は規制対象外としている(タイプ2の扱いは国によって異なる)。今回のEUのカテゴリー1も、タイプ1とほぼ同じなのだが、EUはNGTやカテゴリーなど独自の表現を使っている。しかし、「小規模な変異誘導によって植物の一部の機能を喪失させ、外来遺伝子が残っていない場合は、GMOのような規制はしない。試験栽培を含め審査・承認は必要としない」という点では世界の流れと同じだ。

●これまでの道のり

EUはGMO同様、ゲノム編集にも慎重、反対といった報道が多いが、タイプ1(カテゴリー1)の場合は、規制対象としない方向で2015年に見解を出す予定だった。しかし、2016年にフランスの農民団体が訴訟を起こし、2018年7月に欧州司法裁判所が「ゲノム編集技術による変異誘導もGMOと同じ法律(指令)によって規制される」と判断した。しかし、司法裁は「現行の法律では対応できない新技術もできているので、行政府は法律の見直しを行うべき」と注文をつけた。

欧州委員会はさっそく見直し作業に入り、2021年4月に方針変更を示唆し、2022年4月に今回の提案の土台を発表して意見募集を行い、2023年7月5日の発表にこぎ着けた。

●今回の提案の中味

繰り返しになるが、NGTをカテゴリー1と2に分け、従来育種でも起こりうる小規模な変異誘導で、外来遺伝子が残らない場合はカテゴリー1として、GMOのような規制はしない。一方、20塩基以上の配列変異など、より複雑なNGTはカテゴリー2で、今までのGMOと同じように厳しく審査、管理するという。外来遺伝子が残っていない場合でも、変異誘導の規模(程度)によっては規制対象とするということで、この辺の線引きが科学的にすっきりできるのか疑問が残る。またカテゴリー1も栽培や商品化には事前通知が必要で、販売される種子はラベル表示が義務付けられ、生産者の選択の自由を確保する。NGTによる新品種の種子の特許と知的財産権については2026年までに決定すると先送りしている。

注目は、1999年に施行された遺伝子組換え作物・食品に関する指令(GMO指令)は変更しないということだ。今回のルール変更は一部作物に限定したマイナーチェンジと強調している。指令の改正に踏み込むと、欧州議会での審議、承認が必要となるので、これを避けた可能性がある。しかし、2024年秋には改選選挙を控えている欧州議会からなんらかの注文がつくのではないか。

●今後の予定 争点は

NGTのルールはまだ決まったわけではない。今までのGMO作物や農薬の承認、更新手続きと同じように、植物・動物・食料・飼料常設委員会と農業担当閣僚会議で審議される。カテゴリー1と2の区分とそれぞれの扱いだけでなく、わかりにくい、後でトラブルを起こしそうな提案も含まれている。

一つは除草剤耐性作物の扱いだ。今回の提案の直前まで、除草剤耐性作物は農薬使用量を増やすので、すべてカテゴリー2として規制対象にすると噂されていた。しかし、最終案では標的変異誘導のみで作った除草剤耐性はカテゴリー1となった。今市販されている除草剤耐性小麦や菜種は放射線照射育種で作られた作物で、規制対象外だ。この点で、今回の欧州委員会の区分けは正しいのだが、「農薬をたくさん使うから規制対象」としていたものを「不耕起栽培を進め土壌保全に役立つので、必ずしも悪いことではないから」と、いまひとつ一貫性のない論理で、変更した点は心許ない。反農薬グループや環境系議員から追及されるだろう。

もう一つは、有機農業やGMOフリー農業との共存の見通しだ。カテゴリー1を含めNGTはGMOなので、有機農業では使えない。しかし、NGTの種子として表示されるので、農家は種子を選ぶことができる。さらに各国の国内ルールで、畑ごとや距離によって栽培地を分ければ、有機農業とNGTの共存は可能だという(欧州委員会 新ゲノム技術のQ&A)。

これは楽観的な見通しだと思う。20年前、有機農業とGMO作物の共存を巡って、EUは交雑や混入防止の政策をいろいろと作ったが、現実無視の隔離距離やGMO作物栽培者への過剰規制で、実際は組換え作物の栽培を不可能にした。もっともこの政策のおかげで、有機農業がより盛んになったわけでもないが、「○○は使わない、絶対に使わせない」という過激思想の有機農業との共存共栄は不可能と考えたほうがよい。欧州委員会の今回の見通しは、過去の教訓を生かしていない。「有機農業が迫害される」「NGTは隠れGMOだ、GMOフリーを死守しよう」という集団を勢いづかせるだけだ。

有機農業や反農薬団体だけでなく、加盟国政府レベルでもNGTの認可、規制緩和に反対を表明している国もある。緑の党が連立政権に入っているドイツは積極的には賛成しないというスタンス、農薬嫌いのフランスも慎重姿勢だ。オーストリアはすべてのNGTを審査の対象とすべきと主張している。

夏休み明けから常設委員会、閣僚会議で審議が始まるが、日程はまだ決まっていない。過去の例から、GMO作物や除草剤グリホサートのような政治ネタは紛糾し、冷静な判断では決まらない。ほかにも難題が出てくることも考えられるが、いずれにせ、投票では賛成、反対、(様子見の)棄権票が入り乱れ、有効票数に達せず、最後は欧州委員会の専決(デフォルト)で成立になるのではないかと筆者は予想している。

さらに12月15日に除草剤グリホサートの更新期限が迫り、この再承認というお騒がせイベントも控えている。両者まとめて欧州委員会の強行決定となるのか。いずれにしろ、EUのバイテク作物や農薬の承認はサイエンスよりも思想家や政治家が活躍する社会ネタとして観察しなければならない。

●たとえ決まったとしても・・ カテゴリー1作物だけで課題は解決できるのか

有機農業との共存に限らず、今回の欧州委員会の提案は楽観的というか、果たして本当にうまくいくのかというバラ色の文章が散りばめられているのが気になる。今回の提案はグリーンデール(Green Deal)、農場から食卓まで(Farm to Folk)など一連の環境、農業政策の一部であり、単なる作物育種の区分(カテゴリー)の話しではないと強調している。

NGT(新遺伝子技術)は気候変動や生物多様性対策に貢献し、化学農薬の使用を大幅に減らすEUの農業政策の基幹技術だと強調し、栄養価の高い作物もできるので、消費者への直接メリットもあると付け加えている。

カテゴリー1作物は、小規模な変異誘導のみで外来遺伝子は導入していない。従来の育種法や放射線照射でもできた品種を、効率的にDNA切断酵素を使って時間短縮した品種改良法だ。この程度の品種改良で気候変動に対応し、化学農薬を大幅に減らしたり、食料の安定生産に役立つ作物がどれくらいできるのだろうか。

欧州委員会や作物育種団体は次のような候補作物をあげている(EU以外で開発中の作物も含む)。
アクリルアミドの少ないジャガイモ、カビ病耐性トマト、ウイルス病耐性トウモロコシ、乾燥耐性イネ、多収性小麦、低グルテン小麦、褐変防止バナナなど。褐変防止バナナはフィリピンで近く承認され、食品ロスとCO2排出を減らすというが、EU市民にとっての説得力はあるのか。

化学農薬を減らすためには害虫や病害に強い作物を作らねばならない。遺伝子組換えのBt(バチルス菌)導入作物であるBtトウモロコシやワタはわかりやすいが、NGTやゲノム編集で、外来遺伝子を導入してはいけない場合は、制約が大きいのではないか。

病害虫に強い遺伝子(塩基配列)を導入するのではなく、病害虫に弱い塩基配列を探して、この部位の働きを変異誘導技術で止める必要がある。作物には複数の病気や害虫がいるので、1つの変異誘導で農薬を大幅に減らせるかはわからない。また病害虫に弱い遺伝子座(塩基配列)が見つからない場合もあるだろう。抵抗性遺伝子を導入する場合はGMO扱いとなるし、もし効果があっても長く連用すると効果がなくなるという欠点もある。しかし、病害虫に弱い(感受性)の機能を抑える作戦も、それほど簡単なものではないように思う。

●ゲノム編集作物がほんとうの環境対策として貢献するために

欧州委員会が近未来の候補としてあげた化学農薬を減らす耐病害品種や環境ストレスに強い品種はまだ一つも実用化の見通しは立っていない、欧州委員会の今回の宣伝は「中味のない偽情報」だという批判もあるが、まったく外れているわけではない。

ほんとうに気候変動や環境対策を考えているのなら、「外来遺伝子が残っていないから規制はしません」ではなく、外来遺伝子を導入するGMOの現在の過剰で不必要な規制を見直すべきではないのか。
もちろん食品としての安全性を担保しての話だが。                                                                           

これは日本のゲノム編集作物の開発にも当てはまる。2019年に厚生労働省は、ゲノム編集によって小規模な変異誘導を誘発し、ある種の植物の働きを止めてしまうだけの品種からできた農作物(食品)はタイプ1として規制対象外とした。現在、このタイプ1として、長雨に強い穂発芽耐性小麦や有毒物質ソラニンを作らないジャガイモが試験栽培中だが、実用化の見通しは聞こえてこない。GABA(ガンマアミノ酪酸)が豊富なトマトが2020年12月に商品化されたが、そのあとは出てこない。これで終わりということはないだろうが。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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