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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

2050年までに化学農薬50%削減 農水省みどり戦略 期待のRNA農薬とは

白井 洋一

2021年5月12日に農林水産省が「みどりの食料システム戦略」という政策を公表してから1年が過ぎた。

3月初めにメディアが「農水省 有機農業を2050年までに100万ヘクタール 農地の25%」と報じたとき、どこの国の話かと思った。現在2万4千ヘクタール、農地の0.5%。2006年に有機農業推進法が制定されてからもほとんど面積は増えていないのに、どうやって実現するのだろうか。

有機農業推進の団体や学者からも歓迎より、半信半疑の声が多かった。私はメディアの勇み足報道と思ったが、農水省は本気でみどり戦略という政策を作り、2050年に向けて研究支援やら細かい施策(補助金や法律改正)が動き出した。

農水省 「みどりの食料システム戦略」のサイト

みどり戦略というと「有機農業100万ヘクタール」が話題になることが多いが、農水省が掲げた野心的目標はそれだけではない。化学農薬50%減、化学肥料30%減などさまざまな数値目標をあげている。どれも現状から達成は難しいように思える。「できるわけないだろう」、「絵に描いた餅」、「30年後のことより、3年、5年先の目標をたてて着実に実現しろ」というのはたやすい。しかし、農水省もそれなりの根拠をもって数値目標を出したのだろうから、ロードマップに示された新技術についてきちんと検証してみたい。今回は、有機農業栽培面積は扱わず、化学農薬50%削減で期待される新技術について考えてみた。

●みどり戦略 7つの目標

農水省の発表(2021年5月12日)によると、2050年に目指す姿として、7つあげている。

  1. 農林水産業の二酸化炭素排出ゼロの実現
  2. 化学農薬の使用量50%削減(リスク換算)
  3. 化学肥料の使用量30%削減
  4. 有機農業の面積100万ヘクタール、耕地面積の25%
  5. 持続可能性に配慮した輸入原材料調達(2030年までに)
  6. エリートツリー(優れた樹木)を林業苗木の9割以上に拡大
  7. 二ホンウナギ、クロマグロの養殖で人工種苗率100%を実現

農業だけでなく、林業、水産業の目標もあり、メインは脱化石燃料、温室効果ガス削減が最大の目的らしいことは、なんとなく想像できる。

●2050年までのロードマップ

それぞれの目標について、現在から2050年までの技術開発・普及に向けたロードマップ(工程表)も示してある。

現在から2030年頃までと、2040年頃から2050年に向けての2期に分けてあり、中間の2030~2040年頃が抜けているキセル工程表なのがやや気になる。最初の10年は現在ある技術を活用する。2040年までに革新的な新技術を開発し、2050年に向けて普及をはかるということだろうか。

温室効果ガス削減、化学肥料削減、有機農業面積拡大のロードマップも突っ込みどころが多いのだが、ここでは化学農薬50%削減のロードマップを見てみる。

農水省は化学農薬使用量を単純に50%減らすのではなく、リスク換算で50%減とするとして、農薬の有効成分にリスク換算係数を掛けるなどの裏技を出しているが、ここでは触れない。実施はまだ先の話だし、情勢は変化するからだ。

2030年までに活用する技術として3つあげている。

  1. ドローン(小型無人機)によるピンポイントの農薬散布や、ロボット(無人草刈り機)による除草
  2. 土着天敵や光誘因による害虫防除
  3. AI(人工知能)による土壌病害発生診断

これらの技術は今、「スマート農業」と称して農水省の補助金で研究開発が進められており、いくつかは見込みがありそうだ。広い面積で多くの農家が利用可能か、補助金なしでも農家が使えるのかが課題になるだろう。

注目は、2040年までに開発が期待される新技術だ。3つあげている。

  1. RNA農薬の開発
  2. バイオスティミュラント(新タイプの植物活力剤、土壌改良材など)による革新的作物保護技術
  3. 抵抗性の発達しにくい農薬の開発

3の目的なら、1のRNA農薬も同じだと思うが、1だけ具体名をあげて、「RNA干渉を利用した遺伝子機能を抑制した技術」と詳しく解説している。特に期待しているのか、他に具体的候補はないからなのかはわからない。

●病害虫防除の切り札 RNA干渉とは

RNA干渉(RNAi)は日本だけでなく、世界で、新時代のバイテク農薬として、害虫、病害、雑草防除への応用が期待されている。RNA(リボ核酸)はDNA(デオキシリボ核酸)とともに、遺伝情報の発現に欠かせない重要な核酸で、DNAは遺伝子の本体、RNAは遺伝情報を伝達する役割と考えられている(まだわかっていない働きも多い)。

RNA干渉とは、遺伝子発現の際に、細胞の核外に出てきたメッセンジャ­ーRNAを壊してタンパク質合成を阻害し、遺伝子の働きを抑える現象だ。この現象を作物体内で発現させる遺伝子組換え体と、農薬のように製剤化して作物に散布する方法があり、RNA農薬と呼ばれる。

RNA農薬は、害虫の種ごとに標的遺伝子が異なるので、ミツバチや天敵には無害であり、環境にやさしいメリットがある。一方で、作物は複数の害虫種に加害されるので、防除効果が限られる。環境中では不安定ですぐに分解してしまうなど克服すべき課題もある。

組換え体としての利用は最近、米国でトウモロコシのネクイハムシ抵抗性品種として市場に登場したが、RNA農薬の商業化はまだのようだ。農水省のロードマップを見ると、組換え体としての利用ではなく、害虫の種ごとに有効な遺伝子を見つけ、機能を阻害するRNA干渉農薬を作り、作物に散布する戦略のようだ。組換え体として利用する場合は、有機農業では使えない。RNA農薬は開発の段階で、遺伝子組換え技術を使うことになるが、最終産物の扱いはどうなるのか、有機農業でも使用できるのかどうかは、今のところはっきりしていない。まだ開発途上であり、2040年頃までに考えるのだろう。

なお、今回のロードマップには、小規模な突然変異を誘導するだけで外来遺伝子は残っていないゲノム編集技術(遺伝子組換え体には該当しないタイプ1)による病害虫抵抗性作物は登場していない。国産ではまだ有望な候補はないからなのか、それとも有機農業との兼ね合いで、あえてメニューに入れないのか。どちらかわからないが、これもまだ先の話であり、これから考えるのだろうか。

RNA干渉技術の参考論文 鈴木丈詞(2021) 日本農薬学会誌 46(2),92-99.

●革新的技術頼み たとえ開発できたとしても脆さも同居

2050年までに目標達成できるのかと問われれば、「農水省が作ったロードマップ通りにすべてうまく運べば達成できる。できるのだろう」と言うしかない。数値はともかく目標自体はそれほど悪いものではない。 2050年(令和32年)になっても、そのときまで令和時代が続いているかはわからないが、地球温暖化や生物多様性の悪化は、おそらく解決しておらず、長く続く避けられない難題なので、なんらかの対策をとり続けなければならない。

しかし、たとえRNA農薬が開発されたとしても、複数の病害虫への効果的な対策にはならないと思う。RNA干渉を利用した遺伝子組換えトウモロコシでは抵抗性発達の可能性が実験室レベルで指摘されている。RNA農薬でも、複数の害虫種に効果がある農薬を開発すれば、抵抗性発達の問題が起きる可能性が高い。優れた効果があって、広い面積で利用される農薬であればあるほど、抵抗性発達のスピードは速い。同じ殺虫作用を持った薬剤に暴露される頻度が高まるからだ。

対策として、さらに効果のあるRNA農薬を開発するのか。これでは現在の化学農薬の抵抗性発達対策と同じだ。30年後を見据えた長期ビジョンとは言えない。ロードマップにもあるように、RNA農薬以外の画期的な農薬が開発されるかもしれない。RNA干渉の殺虫作用が発見されたのは24年前の1998年。これから、さらに新しい革新的技術が出てくる可能性はある。

しかし、化学合成農薬や遺伝子組換え作物(害虫抵抗性と除草剤耐性)の近年の歴史は、いくら便利で環境や人への負荷が比較的小さい防除手段でも、同じ手段を広い面積で連続使用すると、早ければ5~6年で抵抗性をもった病害虫や雑草が出現することを教えている。農水省のみどり戦略のロードマップや説明文書を読む限り、この点への対策が欠けているように思う。

産業界向けの業界誌で、農水省の役人は「みどり戦略はイノベーション(技術革新)なくして達成できない」と研究開発に予算を投入すると強調している。裏を返せば、「2040年頃までに革新的な新技術が開発できなければ、2050年の目標は達成できない」ということだ。2050年に向けたみどり戦略、かなり無責任な野心的目標のように思うのは私だけだろうか。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介