食情報、栄養疫学で読み解く!
栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします
栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします
九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.
エネルギーと栄養素の摂り方を示した国のガイドラインであり、信頼できる食情報が満載の「日本人の食事摂取基準(食事摂取基準;文献1)」に関して、連載でご紹介しています。
食事摂取基準が栄養業務の現場で「信頼できる食情報」として活用されるためには、栄養疫学分野の研究論文というエビデンスに基づいて作られる必要があることを、前回紹介しました。
複数の研究論文の結果が必要であるという説明をしましたが、それでは研究論文が複数あればすぐに指標の値が決まるのかというと、そうとも言えません。
というのはなぜなのか、一筋縄には決められない背景や、値を決める裏側を見ていきましょう。
たとえば、カルシウムの各指標を策定する場合を考えます。
指標は5種類あり、それぞれ 1) 摂取不足にならないこと、2) 過剰摂取にならないこと、3) 生活習慣病を予防すること、の3つの目的のいずれかを達成するために策定されています(誰のため?何のため?:これでわかった!食事摂取基準2 図1)。
そこで、指標決定の根拠となる研究論文を探すときには、これら3つの目的別に、1) カルシウムの摂取量と摂取不足のリスクの関係を調べた論文、2) カルシウムの摂取量と過剰摂取のリスクの関係を調べた論文、3) カルシウムの摂取量と生活習慣病のリスクの関係を調べた論文、といった論文を、それぞれ収集する必要があります。
さらに、食事摂取基準で扱っている生活習慣病には、1) 高血圧、2) 脂質異常症、3) 糖尿病、4) 慢性腎臓病の4つがありました。
そのため、目的3) の摂取量と生活習慣病のリスクの関係を調べた論文を収集するときには、カルシウム摂取量とこれら4つの疾患それぞれのリスクの関係を調べた研究論文を収集する必要があります。
食事摂取基準2020年版で引用されている論文は1816報もありますが、エネルギーと34種類の栄養素の指標の策定のために、これらの目的ごとに論文が収集され、根拠として引用されているわけですから、1つの指標を作るのに使われている論文の数は、そこまで多くはないわけです。
むしろ、研究が不足していて十分に存在しないことが多々あります。
カルシウムの指標を策定する、という流れをイメージしやすくするために、ここで食事摂取基準の指標がどのような形で示されているのか、確認しておきましょう。
図1は、カルシウムの食事摂取基準の指標です。
食事摂取基準の中では、指標の値はこのように、栄養素ごとに1つの表にまとめて掲載されています。
ある栄養素の推奨量はいくつなのか?という、値を調べたいときには、この表の数値を読み取ることになります。
指標は男女別と14の年齢区分の、合計28区分に分けて示されています。
さらに女性の場合、妊婦(初期、中期、後期)と授乳婦の4つの区分が別にあります(図1のカルシウムでは妊婦の付加量は初期、中期、後期とも同じ値のため、まとめて記載されています)。
カルシウムの推定平均必要量を決めたいと思った場合、最大で32区分の値を策定しなければならないわけです。
そして、指標は5種類ありますから、ある栄養素の食事摂取基準を策定するとなると、その5倍の値を策定する必要があります。
けれども、使える研究や、その栄養素の状況に応じて、定める必要のある値の数は異なります。
たとえば図1を見ると、カルシウムには5種類の指標のうち、目標量が策定されていないようです。
その理由は、カルシウムの項の本文を読むと記述がありますが、カルシウムと4種類の生活習慣病のリスクには特に強い関連は認められていないからです。
また、小児の耐容上限量も値が示されていません。
これは、本文を読むと、十分な研究結果がないため設定しなかったとあります。
そして、目安量は推定平均必要量と推奨量が定められなかったときに策定されるものでしたから(「栄養素○○が健康にいい」はありえない:これでわかった!食事摂取基準4)、推定平均必要量と推奨量が定められている場合には目安量の値は策定されません。
このように、状況に応じて性別と年齢区分ごとに指標の値が定められ、一部は策定されずに空欄(-)のまま示されることになります。
ところで、カルシウムの小児の耐容上限量は十分な研究がないため、策定されなかったと説明しました。
けれども、これは「多量摂取を勧めるものでも多量摂取の安全性を保証するものでもない」と本文にあります。
策定できるほどの研究が十分にあれば策定するべきかもしれませんが、研究結果が十分になく、そして通常の食品の摂取の範囲ではあまり心配はないことから、この部分の策定を担当する専門家の先生方の判断で、今回は策定しないという方針になっています。
一方で、日本人を対象とした研究がないけれども別の国の研究結果はあったり、女性の研究結果がなくて男性の結果のみがあったり、といった具合に、その性・年齢区分の研究は十分にはないけれども、その栄養素の重要性や健康リスクの危険性を考えると、できるだけ策定しておいたほうがよい、という場合もあります。
研究に基づいて値を策定したくても、32もの性・年齢区分の値を、収集した論文のみで策定することは難しいのが実情です。
その場合には、ある性・年齢区分の指標の値を、別の性・年齢区分にもあてはめて指標を策定することになります。
そのときには、それぞれの性・年齢区分の体格(参照体位;身長と体重)が図2の値である、という仮定を設け、これらの体格の値で補正して(細かい計算方法は栄養素ごとに異なりますから説明はここでは省略しますが、本文中の各栄養素の項に詳しく説明されています)、指標の値を定めていきます。
成人の値を小児にあてはめる場合には、小児は身長と体重がどんどん大きくなりますから、そのときの体格だけではなくて、成長に必要となる栄養素の量も考慮します。
ひとつの指標を定めるにも、どの研究結果を活用するか、その研究の対象者を日本人のある性・年齢区分の食事摂取基準を定めるための根拠に使ってよいか、そのまま使えないのであれば参照体位の値で補正して策定するか、といったことを、それぞれの栄養素の指標の性・年齢区分ごとに細かく考えていかなければならないのです。
こうしてある性・年齢区分の指標が定められたとしても、実はその値は、対象者が図2の参照体位であることを仮定して定められた値です。
参照体位よりも身長や体重が大きい人は、各指標で定められた値よりも少し多めの栄養素が必要である可能性があります。
また、指標はすべて活動量が「ふつう」と区分されている人向けに策定されていて、日常生活の中でたくさん歩くとか、重労働の作業を行う人の場合も、各指標で定められた値よりも多めの栄養素が必要となる場合があります。
以前のコラムで、栄養素の必要量は個人で異なる、との大前提があると説明しましたが(書かれていない秘密の前提や仮定とは?:これでわかった!食事摂取基準3)、この体格差や活動量の違いは必要量の違いの原因のひとつとなります。
食事摂取基準の表に示された値は、各性・年齢区分別にたったひとつではありますが、それらはすべての人に最適な値というわけではなくて、あくまでも参考にする値なのです。
それに、参照体位は現在の国の調査の中央値などを使っています。
国民全体が肥満になったりやせたりした場合には、この中央値が変化するわけですから、健康な人が目指すべき体格が本当にこの値なのかはわかりません。
けれども、健康な人が目指すべき体格がどのくらいなのか、それが研究で明らかになってはいないため、この調査結果の値を使うしかありません。
これは食事摂取基準の問題点のひとつです。
食事摂取基準に示された値の食事をしなければならない、というふうに思わず、この値になるべく近づけてみる、そしてもし体格が大きくて活動量が多いのであればもう少し多めに必要かもしれないと把握しておく、というふうに、活用する場合には柔軟に考えてよいものだと知っておくとよいかもしれません。
けれども、そのように柔軟な活用をしてよいとはいえ、食事摂取基準はガイドラインですから、ひとつの指標というラインをきちんと示さなければ、そこを起点にした柔軟な活用をすることもできません。
その舞台裏では、なかなか十分に研究結果が得られない現状から、日本人の健康づくりのために必要な栄養素の指標をいかに作るか検討し、得られる数値から様々な補正をして指標を作り出すという、専門家の工夫と努力があるのです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_08517.html
※食情報や栄養疫学に関してHERS M&Sのページで発信しています。信頼できる食情報を見分ける方法を説明したメールマガジンを発行しています。また、食事摂取基準の本文全文を読んで詳しく学びたい方向けに、通信講座も開講しています。ぜひご覧ください。
九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.
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