科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

食情報、栄養疫学で読み解く!

書かれていない秘密の前提や仮定とは?:これでわかった!食事摂取基準3

児林 聡美

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前回、「日本人の食事摂取基準(食事摂取基準;文献1)」は、健康な日本人が健康を保ち、生活習慣病などの病気にかからないようにするために摂るべきエネルギーと栄養素の量を定めている、ということをご紹介しました。
この定められているエネルギーと栄養素の量が基準値のことで、食事摂取基準の中では「指標」と呼ばれています。

指標は、男女別に、そして、「15~17歳」、「18~29歳」「30~49歳」…といったふうに、0歳以上の全年齢を対象に、最大15の年齢区分に分けて示されていますし、さらに女性の場合は妊娠初期、中期、後期、授乳中の状態別にも示されています。

栄養素の指標は、1) 摂取不足にならないこと、2) 過剰摂取にならないこと、3) 生活習慣病を予防すること、3つの目的に応じて、5種類が定められています(誰のため?何のため?:これでわかった!食事摂取基準2 図1)。
この3つの目的別に、各指標を詳しく見ていきましょう。

●理解に必須、でも書かれていない「大前提」

まず、目的1の「摂取不足にならないこと」を達成するためには、体の機能を保つために必要な栄養素の最低量よりも多くの量を摂取していればよいはずです。
この「体の機能を保つために必要な最低量」のことを、食事摂取基準の中では「必要量」と表現しています。

そして、栄養素の必要量に関しては、食事摂取基準を理解し活用するために絶対知っておかなければならない、2つの大きな「前提」があるんです!

その大前提とは
1.栄養素必要量は個人で異なる(だから、分布がある)
2.個人の栄養素必要量を測定することは日常的には不可能である(だから、わからない)
の2つです。

この前提があることを理解していないと、食事摂取基準の正しい理解も活用も進まなくなってしまいます。
けれどもこの大前提、わざわざ本文中には書かれていません。

それは、このことが疫学では当たり前のことなので、疫学の基礎知識を前提に書かれている食事摂取基準の本文内でわざわざ解説することではない、ということなのかな、と思います。
その大前提を、このコラムでは解説していきたいと思います。

●疫学では暗黙の了解である「分布」の存在

大前提1は、ほかの多くの生物学的特徴にも「個体差」というものが存在することを考えると、想像しやすいでしょうか。
身長は生まれつき個人で違うのが自然ですし、血圧や脈拍も個人ごとに異なりますよね。
これは遺伝子の違いに加えて、生活習慣の違いも影響しています。

それと同じように、栄養素の必要量も個人で異なります。
少なくても問題ない人から、多めに必要な人まで、ばらついているのです。
このように必要量は、全員に共通のある1つの量があるのではなく、ばらつきという広がりをもっていて、この状態を「分布」があるといいます。

実験研究と違って、個体差のあるヒトを扱う疫学研究では、分布があることが前提で研究が行われています。

●あなたの必要量は結局のところ「わからない」

そこで、自分の必要量を調べたいと思うものの、これはなかなか大変です。
もし必要量を調べようとすると、そのための研究が必要です。

栄養素の特徴によって使える方法は異なりますが、たとえばたんぱく質の場合は出納実験をすることがあります。
出納実験とは、その栄養素の摂取量と排泄量を正確に測定し、その差から、体に必要な量を求める方法です。

詳細な説明は省きますが、たんぱく質必要量を調べたい場合には、摂取する食事中のたんぱく質の窒素の量をあらかじめ正確に測定しておいて、その食事を食べてもらい、その後に排泄された尿と便をすべて集めて含まれる窒素の量を測定して、その差を算出します。
そして、摂取量と排泄量の窒素の差がゼロになるとき、つまり摂取量と排泄量が一致するときの摂取量を、必要量とみなしています。

または、欠乏症が現れることが分かっているナイアシンなどの栄養素の場合、欠乏実験をすることもあります。
この場合、欠乏症が現れるまでナイアシンの摂取量を減らし、欠乏症が現れなかった最小の摂取量が必要量であると判断するのです。

それぞれ、かなり大掛かりな実験ですよね。
それに欠乏実験に至っては、その人の健康を害する可能性もありますから、倫理的に実施するのはとても難しいです。

そのため、大前提2のように、日常の中で栄養素の必要量を測定するのは不可能である、ということになります。
過去の出納実験や欠乏実験の研究結果は参考にはなりますが、その結果は結局のところ他人の結果です。

前提1のように、個人の必要量は異なるわけですから、あなたの必要量を知りたいのであればあなたで実験をするしかなく、それが日常ではできないので、「必要量はわからない」のです。

●わからなくても指標を設定するための工夫

個人の必要量は異なる、そしてその必要量はわからない、けれども栄養の業務を実施するためには、健康な日本人に対して参考になる、現実的な「摂取不足にならないための栄養素量」を定めなければならないわけです。

これは本当に難しい作業ですが、それがなければすべての栄養業務がストップすることにもなりかねませんので、色々な仮定を設けて指標を定めるようにしています。

その仮定のひとつは「研究の対象集団で得られた必要量の値が、食事摂取基準を設定したい母集団の必要量の値と一致する」という仮定です。
研究の対象者と母集団は違う人なので、本来正確には一致しませんが、研究対象者の結果から母集団が「推定」できている、と仮定します。

もうひとつは「研究対象者の必要量は正規分布している」という仮定です。
この仮定を図で示すと、図1のような必要量の分布が描けます。

図1. 推定平均必要量のイメージ図:「集団の必要量は正規分布している」という仮定を設けるところから、指標づくりがスタートします。推定平均必要量は、母集団の50%の人が充足していて、残り50%の人が不足している量のことです。研究対象集団の結果が母集団を推定できているとみなして、この結果を指標の決定に使います。

横軸が必要量で、少ない人も多い人もいて、幅があることが分かると思います。
そして、縦軸がそれぞれの必要量を示す人の人数で、たくさんの棒グラフでそれぞれの必要量を示す人が何人いるかが書かれています。

この棒グラフをなだらかな曲線で示した青い線が、分布の曲線で、仮定ではこの曲線が正規分布をしているとみなしているのです。
正規分布というのは、左右対象で、分布の平均値が中央にあって、その平均値の人数が最も大きい、ベル型を示す分布のことです。

これらの仮定を設け、そして分布や確率の考え方を用いて、「摂取不足にならないための栄養素量」の指標が2種類定められています。

ひとつは「①推定平均必要量」です。
この量は、その集団の50%の人が必要量を満たし、残りの50%の人は不足していると推定される量です。
ある研究の対象集団で「平均必要量」の値を調べ、その値が母集団にも適用できると「推定」している量、ということで、このような名前がついているのだと思われます。

図1に、推定平均必要量が、横軸のどの位置に当たるか示しました。
分布の平均値であり、中央であるMの摂取量になります。
このMの摂取量を全員が摂取した場合、左の水色の棒グラフの位置にいる人たちはそれぞれの必要量以上を摂取しているので、必要量を満たしている人です。
全体の50%います。

一方、Mの摂取量よりも右の白い棒グラフの位置にいる人たちは、それぞれの必要量よりも少ないMという量しか摂取していないので、不足している人たちです。
こちらも全体の50%います。

これが推定平均必要量です。
ちなみに、ここで「不足」といっている状態は、必ずしも欠乏症が現れる量というわけではありません。
栄養素によっては欠乏症が現れる量を研究で調べられていないため、別の状態を「不足」の定義に使っています。
このあたりはかなり専門的な話となりますし、栄養素ごとに定義が異なるので、詳しくは必要に応じて、各栄養素の説明の際にお話ししたいと思います。

●全員が必要量を満たす量は決められない

推定平均必要量が設定できた栄養素では、「摂取不足にならないための栄養素量」の2つめの指標である「②推奨量」を定めることができます。
推奨量は、集団の97~98%というほとんどの人が必要量を満たしている量です。

図2に、推奨量が横軸のどの位置に当たるか示しました。

図2. 推奨量のイメージ図:推奨量は、母集団の97~98%の人が充足していて、残り2%くらいの人が不足している量のことです。ここでも研究対象集団の結果が母集団を推定できているとみなしています。

正規分布の特徴として、「平均値+2×標準偏差」の摂取量よりも左側に位置する人たちの割合が、統計学的に97~98%となると知られているため、その理論を使って設定されています。
この摂取量だと、ほとんどの人が必要量を満たしているとはいっても、残り2%程度の人は不足していることになります。

本来であれば、全員が必要量を満たしている量が設定できたほうが安心です。
けれども、指標は正規分布しているという仮定を設けて設定していて、現実的には外れ値を示す人だって存在する可能性があります。

そして、どんなに工夫をしても、全員の実際の必要量はわかりません。
そのような現実の状態を考えると、全員が必要量を満たす、という値を設定することは不可能で、この「97~98%というほとんどの人が必要量を満たしている量」を設定するのが、現実的な方法なのです。

●なぜ2つも必要なの?

こうして定められた「摂取不足にならないための栄養素量」である、推定平均必要量と推奨量の2種類の指標ですが、なぜ2種類もあり、どう活用するか、疑問に思われるかもしれません。

基本的に個人が日常で食事改善の計画を立てるときは、ほとんどの人が充足している可能性のある推奨量を目指すようにします。
推定平均必要量には別の活用の仕方があるのですが、これは専門家向けの説明になってしまうので、その説明は別の機会に譲ります。

5つの指標のうち残り3つの紹介は次回に続きます。

参考文献:

1. 厚生労働省. 日本人の食事摂取基準2020年版. 2019.

※食情報や栄養疫学に関してHERS M&Sのページで発信しています。食事摂取基準の本文全文を読んで詳しく学びたい方向けに、通信講座も開講しています。ぜひご覧ください。

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

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栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします