科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

生物多様性条約会議 デジタルシーケンス情報 強引に正式課題に昇格したが…

白井 洋一

昨年(2022年)12月7~19日にカナダ・モントリオールで生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)が開かれた。2年ごとの国際会議で本来は2020年秋に中国・昆明で開く予定が新型コロナウイルス感染で延期され、中国がゼロコロナ政策(厳密な隔離)を続けたため、条約事務局のあるモントリオールに会場を移して2年遅れの開催となった。

「世界の海と陸地の30%を2030年までに保全するなど23の目標に合意」、「2010年の愛知目標と異なり数値の入ったより現実的な目標」、「先進国が途上国側になんらかの資金援助をする」など、
メディアは会議を好意的に報道した。デジタルシーケンス情報(Digital sequence information, DSI)も正式課題となり、次のCOP16に向けてさらに検討することになったと報じているが、深掘りした記事はほとんどない。

当コラムでは、毎回、生物多様性条約会議終了後に、遺伝子組換え生物や関連する新技術の話題をとりあげてきた。今回のデジタルシーケンス情報をめぐる議論は、サイエンスとかけ離れた政治決着だった。交渉の経過と、過去に繰り返された似た様な出来事を振り返る。

COP15国際会議情報

環境省発表 2022年12月22日

●DSIをめぐるこれまでと今回

DSIとは ATCACGG・・・などで示される塩基配列情報で、生物そのものではない文字列情報だ。DSIが生物多様性条約会議で表舞台に登場したのは、2016年メキシコのCOP13(生物多様性条約締約国会議 合成生物学、デジタルシーケンス情報、遺伝子ドライブ 新ネタ続々登場で盛り上がる)だ

アフリカなど途上国連合が、DSIも生物種と同様に「遺伝資源の利用と利益配分に関する名古屋議定書」に定めた遺伝資源に入るから、生きている生物と同じように規制対象にすべきだと主張し、論争が始まった。

次の2018年エジプトのCOP14では、生きた生物種でないDSIは生物多様性条約の3つの目的にどのような影響を与えるのかが争点になった。3つの目的とは、①生物多様性の保全、②生物多様性の構成要素の持続可能な利用、③遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分だ。しかし、DSIの用語の定義や範囲がはっきりしないので、議論はかみ合わなかった。

事務レベルの作業部会は対面での交渉を原則とし、オンライン交渉は公式会議として認められない。コロナ感染症の中、作業は中断したが、2022年に入り、3月(スイス)、6月(ケニヤ)、直前の12月(カナダ)に作業部会が3回行われた。最初はDSIと生物多様性条約の3つの目的の関係やDSIの定義などが論点だったはずが、次第に「DSIを次の10年間の新たな目標に明記すべきか」、すなわち「DSIを公認し法的拘束力のある扱いとすべき」という途上国側の主張を採択するかに変わっていった。

直前の作業部会でも妥協点が見つからず、本番の会議でも、12月7日から18日まで、水面下を含め交渉が続き、19日にようやく決着した。内容は大きく2つだ。

  • 2030年までの昆明・モントリオール目標の13番目の目標としてDSIを明記する。
  • DSIの定義、対象範囲、追跡可能性、遺伝資源としての利益配分の仕組みなどの詳細は、新たな作業部会を作って、次の2024年トルコのCOP16で検討する。

目標13は環境省の暫定訳によると次のように書いてある。

「遺伝資源、遺伝資源のデジタル配列情報、遺伝資源に関連する伝統知識の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分を確保するため、(中略)、2030年までに、適用可能な国際的なアクセスおよび利益配分に関する法的文書に従って配分される利益の大幅な増加を促進する」

こうしてDSIという用語が、2030年までの目標の公式文書に書き込まれたのだ。DSIとは具体的に何を示すのか、仮に定義できたとして、生物種と同じような遺伝資源の利益配分の国際取り決めを作ることが可能なのかなどの問題は横に置いて、とにかくDSIを認知し拘束力のある位置づけにした。論点の順番がいつのまにか逆になり、法的拘束力が優先してしまった。

●中味より体裁 過去にも法的拘束力を要求して紛糾

内容より体裁、科学ベースで議論するのではなく、あくまで法的拘束力のある制度を要求する。生物多様性条約会議で繰り返されてきた過去の交渉戦略を振り返ってみる。

1つは、「遺伝子組換え生物による国境を越えた移動に伴う被害による救済と責任」だ。組換え生物の管理を定めたカルタヘナ議定書は2000年に成立したが、27条「責任と救済」の条文は空白のままで見切り発車になった。その後 相手国への事前の通知、承認を得た組換え生物にどんな被害が起こるのか、具体例をあげないまま、途上国側は強硬姿勢を続け、2010年COP10で「名古屋・クアラルンプール補足議定書」として成立させた。

しかし、補足議定書の内容を自国政府に説明できず、いまだ締結していない国も多く、今回のCOP15でも事務局から早期締結を求められた。今、途上国側はほとんどこの問題に関心がないようだ。締結が進まないのは、内容が分かりにくいからで、事務局がもっと啓蒙普及活動をやるべきだという開き直りのような意見が前回のCOP14では出ていた。

もう1つは「遺伝資源(生物)から得た利益の公正かつ衡平な配分、いわゆるABS(Access and Benefit-Sharing)」だ。この問題は2002年ドイツのCOP6で、締約国の責任で自発的、任意な運用によるガイドラインとして採択されることになっていた。しかし、途上国連合が反旗を翻し、法的拘束力のあるルールを要求し、17国によるメガ生物多様性同志国家グループが中心となり、2010年名古屋のCOP10で「名古屋(ABS)議定書」として成立させた。

2010年名古屋のCOP10は象徴的な会議だったと言える。どちらもサイエンスベースで検証することなく、とにかく法的拘束力のある制度を要求し、ほとんど機能しない補足議定書という奇妙なものも作ってしまった。

●COP16に向けてDSIはどうなる 次のターゲットは?

DSIの定義、対象範囲を決め、利益配分の仕組みなどを作る作業部会をこれから立ち上げ、2024年トルコのCOP16で詰めるという。さらに4年後の2028年COP18(会場未定)で、この仕組みが有効に機能しているかどうかを評価(レビュー)するらしいが、果たして予定通りに進むのか、きわめて疑わしい。

途上国側の交渉人たちはDSIの定義、対象範囲などサイエンスベースの議論には、あまり興味がないようだ。作業部会充実のため、先進国側にさらなる資金提供を要求し、DSI専用の補足議定書を作るべきと要求してくるのではないか。

あるいは、DSI問題は決着したので、次のターゲットにシフトする可能性もある。2016年メキシコのCOP13でDSIとともに話題に上がったのが合成生物学とジーンドライブだ。

合成生物学とは、コンピューター工学を使って、生物のゲノム(全遺伝子情報)を人工的に設計する異分野融合技術だ。これも組換え生物と同様か、それ以上の規制をすべきと主張した。今回のCOP15の文書(議題27)でも「COP16に向けて、新規検討課題として扱うかどうかを含め引き続き検討する」と書いてある。また表舞台に出てくるのだろう。

ジーンドライブとは、改変した遺伝子を組み込んだ生物同士が交配を繰り返すことで、目的の遺伝子を集団内に広げてゆく遺伝子浸透、遺伝子置き換え技術だ。交配を繰り返す操作にゲノム編集技術を使うため、急速に現実味を帯びてきた。COP13, COP14では、この技術を野外で利用することを厳しく制限すべきという意見が出た。今回のCOP15では、会議レポートを読む限り、ジーンドライブという用語は見当たらない。立ち消えになったというより、緊急検討議題として再浮上する可能性はある。

「国際交渉は知的な格闘技」と言うらしい。格闘技と言うからには職業的交渉人たちの素性を理解しておく必要がある。途上国を代表する交渉人には政府職員、学者もいるが、サイエンスの専門家ではなく、法律知識に精通し、複数の国際会議の交渉を請け負う専門家も多い。成果をあげると政府職員に採用される環境団体スタッフもいるようで、生活が懸かっている。

途上国対先進国の積年の問題や南北間の経済格差問題を否定するわけではないが、とにかく法的拘束力のある制度を要求し、その後の制度の進展、運営にはあまり興味を示さない人たちを見ていると、なんともやりきれなくなる。カルタヘナ議定書では組換え生物の栽培に厳しい規制を課したため、アフリカなど途上国では野外での試験栽培がなかなか進まなかった。遺伝資源の利益配分を定めた名古屋議定書も、途上国で実際に機能するシステムを整備した国は少ない。自分たちが要求してできた制度が、必ずしも自国の利益になっていないのだ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介