科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

食情報、栄養疫学で読み解く!

基準値考慮不要?なクロムとモリブデン、必須なのにない水:これでわかった!食事摂取基準27

児林 聡美

エネルギーと栄養素の摂り方を示した国のガイドラインであり、信頼できる食情報のエビデンスとして活用できる「日本人の食事摂取基準(食事摂取基準;文献1)」を連載でご紹介しています。
微量ミネラルの最後となるクロム、モリブデンと、参考情報として記述されている水を解説します。

●必要なのかが謎のクロム

クロムは動物実験の結果から、糖の代謝に必要と推測されている栄養素です。
けれども、クロムがなくても糖代謝の異常は起きないという別の動物実験の結果も存在し、人の健康を維持するうえでクロムは必須ではないとする説も出てきています。
とはいえ、まだはっきりとしたことが分かっていません。

そのため、これまで必須栄養素とされてきた考え方を踏襲して、2020年版食事摂取基準でも必須栄養素として指標を定めることになりました。
不足のリスクを回避するための指標を定めたいところですが、欠乏したときの健康影響がまだわかっていません。
そこで、目安量を設定することになりました。

目安量の設定のために、現在の日本人の摂取量を参照したいところです。
化学分析を用いて一般的な日本人の摂取している食事中のクロム摂取量を調べる方法では、20~80 μg/日の範囲と推定されています。
一方で、日本食品標準成分表(食品成分表)を利用して計算値でクロム摂取量を算出する方法では、約10 μg/日という値が示されています。
このように手法の違いによって摂取量の値が大きく変わるため、実際にどのくらい摂取しているのか、正確に推定することは困難です。
指標作成の観点では、日常的には食品成分表を用いて栄養素の摂取量推定や献立作成が行われているため、食品成分表を活用して算出された量を根拠にする方が現実的です。

そこで、成人の目安量は食品成分表から推定した値を参照して、男女とも10 μg/日としました。
小児は摂取量に関する研究結果が十分にないため、設定されていません。
0~5か月の乳児は、母乳中の濃度と哺乳量から算出された摂取量の結果を用いています。
6~11か月の乳児は、0~5か月の乳児の値と参照体重を用いて計算した値を使って目安量が定められています(表1)。

表1. クロムの食事摂取基準(μg/日)(文献1 1-7 P.372):クロムは本当に必要なのか、実はよく分かっていないまま、指標が定められています。

●クロムは糖尿病予防に効果なし

通常の食品からの摂取で過剰摂取が生じるとは考えられませんが、サプリメントの不適切な使用により過剰摂取を引き起こすことが考えられます。
海外では、大量に摂取するとインスリン感受性を低下させるとの報告もあります。
このことから、過剰症のリスクを防ぐための耐容上限量を設定することになりました。

インスリン感受性の低下が見られた摂取量は1000 μg/日で、この量が最低健康障害発現量と考えられます。
その量の2分の1であれば健康障害は発症しないとみなされ、500 μg/日が成人男女共通の耐容上限量と定められました。
小児や乳児では研究結果がないため、指標は設定されませんでした(表1)。

クロムが糖代謝に関与している可能性が考えられているため、クロムの摂取が糖尿病やメタボリックシンドロームの予防となるか、これまでに様々な研究で検討されてきました。
糖尿病患者への投与で効果が認められたことを示すものもありますが、予防の効果はなかったとする研究結果も存在します。
生活習慣病の発症予防になるとの研究結果は十分に示されていませんし、糖尿病患者への投与は専門医のもとで慎重に実施されるべきです。
そのため、目標量、重症化予防のための値のいずれも設定されませんでした。

クロムの目安量は示されているものの、本当に必要かは今後再検討する必要があります。
多くの人で不足する可能性は現時点ではほとんどなく、サプリメントの利用は勧められません。
クロムの必要性に関しては、今後新たな研究結果が示されるのを待ちましょう。

●微量でも十分なモリブデン

モリブデンは体の機能を調節する様々な酵素の一部として存在しています。
欠乏すると血漿中のアミノ酸の代謝異常、神経過敏、頻脈などが発症するため、必須栄養素であると考えられます。
そのため、不足のリスクを回避するための指標が定められることになりました。

アメリカ人を対象とした出納実験から、平衡状態が観察された量と汗や皮膚からの損失量を考慮して、25 μg/日の摂取が必要量と考えられています。
この値はたったひとつの研究によるものですが、アメリカ・カナダの食事摂取基準やWHOでも採用しています。

そこで、この量と、この研究の対象者の平均体重である76.4 kg、そして各性・年齢区分の参照体重を用いて、日本人の推定平均必要量と推奨量が定められました。
小児は、成人の値をもとに、体重や成長因子を考慮して定められました。
0~5か月の乳児は、母乳中の濃度と哺乳量から算出された摂取量の結果を用いて目安量が定められています。
6~11か月の乳児は、0~5か月の乳児の目安量から体重や成長因子を考慮して算出された量と、成人の目安量から算出された量の平均値を用いて、目安量が定められています(表2)。

表2. モリブデンの食事摂取基準(μg/日)(文献1 1-7 P.373):モリブデンは穀類や豆類に多く含まれており、日本人は平均的に推奨量の10倍近い量を摂取しています。

●推奨量の10倍近い摂取量

モリブデンは穀類や豆類に多く含まれます。
穀類や豆類の摂取が多い日本人の場合、摂取量は平均で225 μg/日、大豆の多い献立の場合は300 μg/日を超えると報告されています。
このように、推奨量の10倍以上を摂取する可能性がある状態ですが、食事からの摂取による過剰症の報告はほとんどありません。

過剰に摂取したときに高尿酸血症や痛風様症状の報告がありますが、ここにモリブデンが関与しているかは疑わしいともされています。
けれども、過剰摂取による健康障害が生じる可能性は否定できないため、耐容上限量を定めることになりました。

アメリカ人を対象とした研究から、モリブデン約1500 μg/日を摂取した場合に健康障害は認められていません。そのときの摂取量の2分の1であれば過剰症は生じないだろうと考えられます。
その量を、日本人の性・年齢区分の参照体重を用いて日本人に当てはめると、男性でおおよそ600 μg/日、女性で500 μg/日となります。
一方、日本人の女性菜食者の研究によると、モリブデン摂取量の平均値が540 μg/日であり、その量で健康障害は起きていません。

これらの研究結果を活用して、成人の耐容上限量は、男性600 μg/日、女性500 μg/日と設定されました。
小児や乳児では、十分な研究結果が得られなかったため、設定されませんでした(表2)。

モリブデンが生活習慣病の発症予防になるとの報告はないため、目標量は設定されませんでした。
生活習慣病の重症化予防に関する報告もないため、そのための量も設定されませんでした。
日本人は推奨量の10倍近いモリブデン量を摂取しており、これ以上摂取する必要もありませんし、献立作成時に特別留意する必要はなさそうです。

●生命維持に何より優先されるべき水なのに

ミネラルの解説が終わり、ここまでで、食事摂取基準に示されている栄養素の基準の解説は終わりました。

けれども、ミネラルの項の次に<参考>という形で、水に関して説明されています。
水が栄養素に含まれるのか、実はそこもあいまいなままですが、とはいえヒトの生命維持と健康維持に水は欠かせないものです。
ヒトの身体を構成する物質としては最大で、体重の60%を占めています。
体内では、細胞内液と細胞外液を構成し、あらゆる物質の化学反応の場を提供し、栄養素や老廃物の輸送の役割も担っています。
それだけ必要なもので、不足すれば生命維持の危機にさらされますから、不足のリスクを回避するための指標を定めておきたいところです。

けれども、水の必要量に関しての研究結果は十分に存在しません。
そのため多くの国で、推定平均必要量や推奨量は定められておらず、目安量が示されています。
そこで、日本人の健康のために目安量を定めようとしましたが、日本人の水摂取量は2100~2400 g/日との値は示されているものの、詳細に検討した研究はまだ十分に存在しません。

水の摂取源は食物由来と飲み物由来の2種類がありますが、飲み物由来が多い欧米とは異なり、日本人は「めし」や「麺類」を多く摂取することから、食物由来が多いとの報告があります。
こういった日本特有の食事の状況を踏まえて、日本人の水摂取量を詳細に調べた研究結果を十分に収集して、基準を作成する必要があります。

生命維持に水は何よりも優先すべきと考えてよいかもしれません。
それにもかかわらず、水は健康増進法の中で、食事摂取基準で基準を定めるべき栄養素として扱われていません。
そして、長い間指標の値は設定されず、研究も遅れてきました。

けれども、災害発生時の対応等にも水の目安量は重要です。
日本人の摂取量に関する研究も少しずつ増えてきました。
今後水に関して、食事摂取基準の本文中に、章の一部として記述される日がくるかもしれませんし、その実現が求められています。

参考文献:

  1. 厚生労働省. 日本人の食事摂取基準2020年版. 2019.

※食情報や栄養疫学に関してヘルスM&Sのページで発信しています。信頼できる食情報を見分ける方法を説明したメールマガジンを発行しています。また、食事摂取基準の本文全文を読んで詳しく学びたい方向けに、通信講座も開講しています。ぜひご覧ください。

執筆者

児林 聡美

九州大学で農学修士、東京大学で公衆衛生学修士、保健学博士を取得。現在はヘルスM&S代表として食情報の取扱いアドバイスや栄養疫学研究の支援を行う.

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栄養疫学って何?どんなことが分かるの?どうやって調べるの? 研究者が、この分野の現状、研究で得られた結果、そして研究の裏側などを、分かりやすくお伝えします