野良猫通信
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。
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東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
前回と前々回で英国議会報告書について紹介しました。さらに今回はこの議会の報告書とあわせて読むと理解が深まるだろう二つの報告を紹介したいと思います。
Nesta’s blueprint for halving obesity | Nesta
一つは英国のシンクタンクNESTAが作成した「2030年までに肥満を半減する7つの影響の大きい低費用で実施可能な解決法」を示す報告書です。この報告の作成に協力した科学助言委員会のメンバーにはSusan Jebb教授(FSA長官)も含まれます。
この報告書では、以下の7つの政策を全て実施することにより2030年までに肥満を半減できるとしています。
食環境を変えるための広告制限や健康的食品を販売するためのインセンティブなどは先に紹介した英国上院食品・食生活・肥満に関する委員会の報告書と同じような内容になっています。それに加えられているのが肥満治療薬です。具体的にはリラグルチドとセマグルチドの処方を増やすこと、です。そしてそれこそが「肥満を半減」するための鍵なのです。
NESTAの報告書のトップのサイトでは、7つの政策がほぼ等価のように扱われていますが、科学的根拠の概要を示した文書Blueprint for halving obesity – policy briefを見ると、7つの政策全てを行うことで予想される効果が肥満率の約50%の削減なのに対して、医薬品の適用拡大のみで肥満率約41%の削減と予想しています(この場合医薬品投与対象となる患者の数は違います)。
実際のところ肥満対策として「科学的にしっかりした根拠がある(つまりRCTで明確な体重への影響が確認されている)」と言えるのは医薬品だけなのです。
GLP-1受容体作動薬は、肥満治療に関して世界を変える魔法の薬と言われています(How ‘miracle’ weight-loss drugs will change the world)。その実力が明らかになるにはまだ少し時間がかかると思いますが、これまでの栄養や食事に関する研究のかなりの部分を書き換える可能性があります。食欲を抑制して体重を減らした試験で、糖尿病や心血管系疾患などのような肥満に関連することが既に知られている病気以外に関節炎から精神症状まで多くのQOLの指標改善が報告されているため、「肥満の影響を調整」したと記述しているこれまでの学術論文の結論の信頼性に疑問が生じるからです。
念のため付け加えておきますと、仮に英国の肥満を半減できたとしても、まだ日本の肥満率の2倍はあります。
もう一つの報告書はFAO/WHOによる健康的な食事とは何かに関する合同声明です。
What are healthy diets? Joint statement by the Food and Agriculture Organization of the United Nations and the World Health Organization
24 October 2024
概要では「健康的な食事は健康、成長、発育を促し活動的なライフスタイルを支持し、栄養の過不足と伝染性および非伝染性疾患と食中毒を予防し、幸福(wellbeing)を増進する。実際の食事の内容は個人の特性、好み、信念、文化、地域で流通している食品、食習慣によって多様だが、健康的食生活の基本原則は同じである。この文書はFAOとWHOが、各種ガイドラインや他の規範に裏打ちされた健康的食事の基本原則を策定したものである。この基本原則が食事改善のための政策をデザインし、食事の健康さを評価するための基本となる」とあります。
22ページと短く、主な内容としては健康的食事の基本原則は
の4つであるとするもので、そこにこれまで発行してきた各種ガイドラインの目録が掲載されています。
一見すると常識的なことをまとめただけ、のように見えるのですが、この中でNOVA分類による超加工食品(UPF)を摂取することが早期死亡、がん、心血管系疾患、過体重、肥満、2型糖尿病のリスクを上げ、精神、呼吸器および消化管の健康に悪影響を与えることが示唆されている、と記述しているのです。
そしてUPFの悪影響は、その脂肪・塩・砂糖のせいだけではないとまでわざわざ書いています。これはNOVA分類を提唱し普及しようとしているCarlos Monteiro教授らのグループの見解そのままであり、英国議会上院の食品・食生活・肥満に関する委員会が「健康のためのレシピ:私たちの壊れたフードシステムを修正するための計画」で「十分な正確さがなく、政策決定に使うべきかどうかは議論が続く」ため研究は続けるけれど現時点で採用できないと判断されたものです。つまり肥満の影響を調整しきれていない可能性が高い研究を根拠にしているものです。それを「政策デザインの基本」として、なんの断りもなく推進しようとしているわけです。
FAO/WHO合同声明の作成に当たってどのような科学的検討がなされたのかは不明ですが、もともと最近のWHOの栄養食品安全部門ではCarlos Monteiro教授を重用しています。ピアレビューの行われないこの手の文書で、異論がある一部の人たちの見解を既成事実化するやりかたは科学的ではないとしか言いようがありません。
実はWHOは「食品安全と人獣共通感染症」の部署と栄養の部署が統合されて「栄養と食品安全」になり、糖尿病と代謝疾患が専門のFrancesco Branca博士が率いるようになってから食品安全が軽視されていると感じることが多くなりました。
農薬や添加物などについて、これまで積み上げてきた膨大な安全性試験のデータや経験があまり考慮されずに食品の健康影響が語られてしまう。そこは注意しておく必要があると思っています。
日本は幸いにして自国で安全性評価を行う能力があるので、わが国の課題については我が国の科学者がわが国の特有の状況を考慮したうえで検討した結果を尊重するのがいいと思います。
東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。