科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

斎藤 勲

地方衛生研究所や生協などで40年近く残留農薬等食品分析に従事。広く食品の残留物質などに関心をもって生活している。

新・斎藤くんの残留農薬分析

米国における有機食品の良し悪し論議の背景

斎藤 勲

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 最近、米国で有機食品の良し悪しが議論されています。10月22日付米国小児科学会誌が、「有機食品:健康と環境に係る利点と欠点」というタイトルのリポートを掲載したためです。

 有機食品は2010年度2.3兆円の市場で、環境調和型、有機リン系農薬等の摂取が少ない、薬剤耐性菌の出現が少ない等利点もある半面、生産に手間暇がかかる問題もあり価格は10から40%程度高い、食品成分の調査結果では子供にとって栄養学的な利点がそれ程あるわけではない。そうしたこともかんがみて、小児科医は有機、通常栽培野菜、果物ということではなく、新鮮な野菜、果物を多く選んで食べることが、小児の場合、栄養学的、食事バランスから大切であることを勧めるべきであると論じています。

 どうして、今こんな議論を米国小児科学会がレビューしているのでしょうか。小児科学会としては、厳しい生活の中、医療現場としては、有機食品を購入することにより、野菜果物等の摂取量そのものが減ってしまうことのリスクを心配しているのでしょう。当然のことです。それ程、米国での食生活における問題があると言うことかもしれません。
 このリポートでも取り上げられ、多くの人が有機を勧める理由にもなっている農薬暴露、特に有機リン系農薬の暴露について、最近の知見を紹介します。

 米国では20年くらい前から、食品中金属、残留農薬、添加物、汚染物、暴露評価として尿中金属、農薬代謝物、環境汚染物等色々な全国調査が、国の機関で行われ、NHANES (National Health and Nutrition Examination Survey、米国全国健康・栄養調査)のデータとして報告されています。素晴らしいことです。こういった調査は日本もそれなりにはやっていますが、主体となって継続的に実施する機関は残念ながら、見えてきません。

 米国では食品の摂取量調査は、FDA(米国食品医薬品局)のカンザスシティー(カンザスシティロイヤルズの本拠地)にあるトータルダイエットセンターが行っています。尿中代謝物や生体試料分析はアトランタのCDC(正式にはCDCにand Preventionが付く、疾病予防管理センター。感染症対策の総本山だが、それ以外でも生体試料のダイオキシン、フタル酸エステルや農薬分析等では世界有数の機関)が請け負っています。毎年、数多くの分析データが報告され、農薬では有機リン系農薬の代謝物、ピレスロイド系農薬の代謝物等が測定されています。

 2006年と2008年にCDCのDana B. Barrさんたちが、子供たちの尿中有機リン代謝物量が通常食品を食べている時と有機食品を食べている時とで、有意に有機食品の時の方が低いことを報告しました。低濃度レベルですが、有機食品の優位性を示すような結果でもあります。同じく殺虫剤ですが、リンが含まれていないピレスロイドでは、室内で使用されていた場合はやや高くなりますが、食事からの有意な差は見られませんでした。こういったデータの収集が1000人規模の集団で毎年続けられているのです。色々問題のある国ですが、こういった国民的調査が継続的に行われているのは、米国の素晴らしいところです。但し、細かい点では結構予算が厳しくなり、検査数や項目などで縮小もしていますが。

 2010年、先ほどの米国小児科学会誌に、ハーバード大学保健学部のグループが有機リン系農薬とADHD(注意欠陥多動性障害)の関係について検討した論文を発表しています。CDCのNHANESデータから、8~15歳の子供1139人の尿成分のデータと、親と面接をしてADHDの診断基準に当てはめて子どもを分類した結果の関係をみたのです。

 尿中の有機リン代謝物が検出限界未満、検出限界から中央値、中央値から最大値までの3グループに分け比較した結果、検出しないグループに比べ中央値以上のグループでADHDと診断される可能性が1.93倍高くなりました(検出限界から中央値のグループは1.05倍で、有意差はありません)。但し、今回の論文の結論は一つの結果であり、ADHDに有機リン系農薬暴露が何らかの寄与をしているかもしれないとは言えるが、1回の尿サンプルではなく1日尿の採取や慢性影響等の研究を進めるべきだとも言っています。しかし、テレビや新聞では、有機リン系農薬暴露でADHDが2倍になると大騒ぎとなりました。子供のADHDは米国では関心事だからです。

 環境汚染物質、有害物質等の健康影響評価の手法として、血中、尿中代謝物等を測定して評価の一つとする生物学的モニタリングという分野があり、今回の尿中代謝物測定もその一環です。日本においても労働衛生学の分野では古くからおこなわれている手法です。ただしその場合は、作業などによる高濃度暴露に係る尿中代謝物測定等、それなりの濃度と生態影響指標との関連を見る事例が多く、因果関係が分かりやすい分野で発展してきました。

 私も30年来、衛生害虫防除作業者の方たちの健康影響指標として血中有機リン系農薬、尿中代謝物の測定を行ってきました。しかし、現在では以前と比べて作業環境も改善され暴露量も相当減ってきており、如実に尿中代謝物測定値に反映されています。現在問題となるのは、バックグラウンドというか職業的暴露ではない一般人での尿中代謝物濃度の測定です。濃度的にはppmの下のppbレベルですが、現在は分析機器が発達してGC/MS、LC/MS等高感度選択的機器で分析可能となっています。CDCのBarrさんたちは20年くらい前でも高価な高分解能GC/MS等を普通に使って分析していました。米国は、技術レベルもお金も違うことを実感しました。

 2012年、名古屋大の上山純さん、名古屋市立大の上島通浩さんたち(不肖私も連名)が日本人の農薬取扱作業者や一般作業者等の尿中代謝物濃度の報告を出しました(Chemosphere 87:1403-1409,2012 )。その論文の中で、興味深いのは今までの各国での調査データをまとめた一覧です。

 それを見ると、米国で2003―2004年、20―59歳の937名のグループ(スポット尿)では、尿中ジメチルリン酸とジメチルチオリン酸(中央値)は0.8、2.1μg/gクレアチニン(尿は濃度がさまざまなので、尿中クレアチニンに対する濃度として表わすのが一般的なやり方)、2009年平均40歳の農夫227名では1.4、5.0μg/gクレアチニン、これに対して今回の日本の調査では一般作業者164人(早朝尿)では、それぞれ8.9、2.9μg/gクレアチニン、農薬取扱作業者では15.3、14.7μg/gクレアチニンと日本の方が高い傾向があります。イタリアは一般人(24時間尿)で15.1、20.1μg/gクレアチニン、オランダ(スポット尿)17.6、15.4μg/gクレアチニンと日本と似たような数値です。

 当然のことながら色々な一般人を測定して比較する必要はありますが、実は世界的にもこういった仕事の研究者は少なく、比較するデータも少ないのです。注目すべきは、2010年の中国のデータです。平均年齢23歳の健常人60人のデータですが、尿中ジメチルリン酸とジメチルチオリン酸(早朝尿、中央値)は、170、693μg/gクレアチニンと群を抜いた数値です。

 中国の農薬パッキング作業者30人では、584、1730μg/gクレアチニンと、明らかに作業による暴露が反映されています。この尿は早朝尿ですから、スポット尿よりも前日暴露をよく反映しています。言葉は悪いですが、さすが中国という感じがする測定結果です。日常的に安価で即効性のある有機リン系農薬が汎用されている実態がこの数値にも表れている感じがします。今後どう推移していくのか興味が持たれます。

 話が長くなりましたので結論に行きます。有機リン系尿中代謝物測定濃度は、条件により様々で米国よりも相当高い国も多くあります。低濃度暴露での比較として、それが健康影響の指標と相関がみられたからと言って、短絡的に結論するのは早計と思います(それは著者も述べていますが)。

 米国の調査データが正しいなら中国ではADHDの子供がはるかに多いのかということになりますが、そうした報告はこれまで出されておらず、あまり意味のない結論を導くことにもなります。多くの疫学データを駆使して今まで知られていない可能性を探っていくことは大切ですが、その濃度レベルも国際的な比較も含め慎重に進めていかないと、結論だけが自分の意図せざる方向に進んでしまう危険性があります。論文の要旨と報道の氷山の一角的なあり方について、今回の一連の尿中有機リン代謝物測定値とADHD、有機食品との関係を見ていても感じました。

執筆者

斎藤 勲

地方衛生研究所や生協などで40年近く残留農薬等食品分析に従事。広く食品の残留物質などに関心をもって生活している。

新・斎藤くんの残留農薬分析

残留農薬分析はこの30年間で急速な進歩をとげたが、まだまだその成果を活かしきれていない。このコラムでは残留農薬分析を中心にその意味するものを伝えたい。