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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

麦秋の候 オレゴン州の未承認小麦事件を掘りさげる

白井 洋一

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 私が住んでいる茨城は今、小麦の収穫期だ。田植えを終えた水田にこげ茶色の作物が点在しているのを見て、「あれ何?」、「稲が枯れている!」と思う都会人もいるらしいが、6月は秋にまいた小麦の収穫期、麦秋(ばくしゅう)はこの時期の季語でもある。

 小麦は秋にまき翌年6,7月に収穫する冬小麦と、春にまいて8,9月に収穫する春小麦がある。今年(2013年)5月29日、米国農務省が発表した米国太平洋側、オレゴン州での未承認遺伝子組換え小麦は冬小麦だったが、開発メーカーのモンサント社が2005年まで全米各地で試験栽培していた組換え小麦は春小麦だった。

 このニュースは松永編集長が6月14日に「オレゴン州で見つかった未承認の遺伝子組換え小麦」で書いているので、できるだけ重複を避け今回の事件の不可解さについて補足する。

今までの経緯
 原因調査は米国農務省とモンサント社によって進められているが難航している。今回のコラムは6月18日時点のもので、米国農務省発表第一報(2013年5月29日)農務省最新情報(2013年6月14日)モンサント社からのお知らせ(2013年6月10日更新)とロイター通信、米国農業新聞(Farm Press)の記事をもとにしている。
2011年秋 オレゴン州の1農家が125エーカー(約50ヘクタール)の畑に冬小麦2品種(RODとWestBred528)をまく。

2012年夏 収穫して出荷、後は作物を栽培せず(米国北西部では冬小麦を3,4年連作したあと、1年休耕するのが一般的)。

2013年4月 昨年収穫した小麦こぼれ種子から発芽した自生(ボランティア)小麦と雑草を防除するため、除草剤グリホサートを散布。一部枯れない自生小麦があるのに気づく。

4月30日 農家は枯れなかった小麦サンプルをオレゴン州立大学の研究者に送り、調査を依頼。

5月3日 サンプルはグリホサート耐性を示したため、研究者は農務省動植物検疫局に連絡。

5月29日 農務省は3つの調査機関で独立にサンプルを分析し、モンサント社が開発したグリホサート耐性小麦(MON71800)と同一の導入遺伝子を持っていることを確認し公表。

 6月14日までの米国内調査の結果
・穀物市場(倉庫保管分)の抽出検査では一粒も検出されていない。
・オレゴン州の農家が栽培した冬小麦2品種のタネ籾(残っていた元の種子ロット)からも一粒も検出されず。
・オレゴン州ではMON71800の試験栽培は2001年までおこなわれたが、今回の農家や周辺数マイル以内の農場では試験栽培はおこなわれなかった。これは今回の聞き取り調査で再確認された。

 海外市場調査の結果
 6月5日 韓国が米国から輸入し保管中の小麦と小麦粉からまったく検出されず。日本、台湾、ヨーロッパでも検査中(公式発表はないが、組換え小麦が見つかったという情報はない)。

組換え冬小麦はどこから来たのか?
 5月29日の農務省発表では、収穫後のこぼれ種子(冬小麦)による自生発芽とあったが、元のタネ籾からは組換え個体が一粒も見つかっていない。また、自生小麦のすべてがグリホサート耐性ではなく、畑全体の1%程度。約200の周辺農場でもまったく検出されていないことから、1農場に限られた出来事と6月14日、農務省は発表したが、それではどうしてこんなことが起こったのかと謎は深まる。

 事件の舞台となった農場や周辺農場では組換え小麦の試験栽培がおこなわれていないので、花粉が飛散して交雑した可能性は否定される。たとえ近くで栽培したとしても小麦は自家受粉性が強く、花粉の飛散距離は最長でも10メートル程度だ。

 ナタネのように昔のこぼれ種子が掘り返されて発芽した可能性も考えにくい。この畑では栽培歴がないし、たとえあったとしても小麦の埋土(まいど)種子の寿命は1,2年と短いからだ。

 モンサント社の発表では2005年の試験栽培終了後も、使用した種子の処分とこぼれ種子発芽の確認作業は徹底しており、問題はなかった。開発メーカーの発表を鵜呑みにするわけではない。もしこぼれ種子や商業ルートへの混入の可能性が否定できないなら、モンサント社は商業栽培を断念した品種でも、万一のトラブルを考えて、米国での栽培承認と日本など小麦輸出国向けに、食品安全審査を申請していたと考えられるからだ。バイテクメーカーは未承認品種の混入トラブルにはきわめて神経を使っている。

もし意図的な妨害工作だとしたら
 ではこの組換え冬小麦はどこからきたのだろうか? 松永編集長も「(米国では)妨害工作の可能性も視野に入れつつ、あらゆる角度から調査を進めている」と書いているが、メディアでも6月5日頃から「サボタージュ(計画的妨害)の可能性も?」という見出しが載り始めた。

 もし妨害工作だとしたらどんなケースが考えられるのか。未承認の組換え品種が商業ルート、とくに国際貿易ルートに微量でも混入して発覚した場合、混乱を起こした開発メーカーは罰金だけでなく、莫大な損害賠償を請求される。

 2006年8月のバイエル社の除草剤耐性イネ(長粒種米)混入事件では長期裁判の末、2011年7月、バイエル社が総額7億5千万ドル(約750億円)をコメ生産者に補償することで決着した。さらに精米業者への補償も加わる。しかし、これは開発メーカー側に過失があった場合だ。

 今回もすでにモンサント社を相手に一部の小麦農家が損害賠償を求める裁判をおこしているが、モンサント社に過失が認められなければ、裁判は空回りする。訴えるのはやや早すぎる気がする。

 金銭目的ではなく、穀物市場やバイテク企業を混乱させるのが目的の愉快犯の可能性もある。全米各地で2005年までにおこなわれた試験栽培の途中で、組換え小麦種子を不法に隠匿し、数年かけて冬小麦品種に導入して種子を増やし、2012年夏か秋にオレゴン州の農場にばらまいた可能性もあるが、これはかなり無謀な行動だ。

 試験栽培農家や研究開発にかかわった者は、組換え品種種子の使用について守るべき条件が定められており、これにサインしているはずだ。隠匿や転用、種子の再生産、他人への譲渡はもちろん禁止であり、破った場合の罰則はきびしい。さかのぼって調査すれば犯人が特定される確率は高い。

 農家や研究所の人間ではなく、何者かが種子を着服して実行したとも考えられるが、このような人間が長い時間をかけて冬小麦種子を育成した後、地道な犯行に及ぶだろうか? オレゴン州の農家が今春グリホサートをまいたから、グリホサートで枯れない小麦が見つかったのであり、別な除草剤をまいて雑草と自生小麦を処分していたらわからなかった。農家がグリホサートを散布することを知っていたのか? あるいは過去にも試みていたが今年たまたま発覚したのか?

 今の時点であれこれ詮索しても意味がないが、とにかく不可思議な事件だ。はたして真相は解明されるのだろうか?

 食品の安全性そのものとは関係ないので、冷静に見ていられる事件ではあるが、組換え食品・作物をめぐる事件が食の安全の本質ではなく、「各国で安全性の承認を受けているか否か」がトラブルの争点になる経済問題であることを改めて浮き彫りにしたのが今回のオレゴン小麦事件と言える。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介