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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

TPP交渉参加、改めて米国の組換え食品安全性審査制度を考える

白井 洋一

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 3月15日、自民党政府はTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加することを正式に決めた。米国、豪州など先行11カ国が日本の参加を認めるのか、たとえ認めたとしても農林水産物だけでなく、繊維製品、自動車、医療保険など各国の利害が対立する分野は多い。日本抜きでもTPPが成立するのか不透明な情勢だが、「TPPに参加すると、日本の食の安全・安心が脅かされるぞ」と心配する声がマスメディアから流れている。

TPP交渉と遺伝子組換え食品の表示制度
 心配の背景はおおよそ以下のような流れだ。
 「米国では遺伝子組換え食品に表示義務はない」、「米国通商代表部(USTR)は組換え食品の表示が貿易上(米国産品の輸出)の障害になると懸念している」、だから「TPPに参加すると、米国から日本も組換え食品の表示をやめるか、緩和しろと迫られる可能性がある」。

 この問題については、民主党政権がTPP交渉への参加意志を明らかにした2011年11月に、宗谷敏氏がGMOワールドII(2011年11月14日)で解説している。

 米国で流通している組換え食品は自国の審査によって安全性は担保されている。表示するしないは食の安全の問題ではなく、消費者の選択する権利の問題。TPP交渉参加国のうち、豪州、ニュージーランドなど5カ国は組換え食品の義務表示国であり、たとえ米国から変更要求があっても応じる情勢ではない。米国もとくに日本の表示制度を問題視しているわけではないので、表示制度と食の安全問題を混同して、下手に騒がない方が良いというのが宗谷氏の解説の主旨だ。

米国の組換え食品の安全性審査は義務ではない?

 この情勢判断は2013年3月末の現在も正しいと思う。しかし、米国でも組換え食品への(不安かどうかは別として)関心は高く、表示を求める市民運動が盛んなのは、宗谷氏が再三伝えているとおりだ。(GMOワールドII 米国Prop.37敗北以後のGM食品表示要求運動はいま、
GMOワールドII 民意のお値段ではない~カリフォルニア州GM食品表示法案の失敗)

 米国では組換え食品の安全性はFDA(食品医薬品庁)によって審査されているが、米国の研究者でもこの審査制度自体に問題ありとする意見は結構多い。

 8年前の2005年に出た論文がある。少し古いがFDAや米国政府が抱える問題は今も変わっていないので紹介する。Nutrition Reviews誌に掲載された「FDAの遺伝子組換え食品政策における科学と法律と政策:科学的懸念と不確実性」と題する論文で、著者は米国コーネル大学栄養科学学部のPelletier博士だ。

 Pelletier博士はFDAの組換え食品政策を2つの点で批判している。一つは1992年に組換え食品を「一般的に安全と見なされる物質」(Generally Recognized As Safe,GRASと呼ばれる)と規定したときの決定過程だ。

 FDAは組換え食品には(1)非意図的な毒性やアレルゲンが生ずる可能性、(2)この点に関して従来の食品と異なる可能性、(3)これらの物質を検査する方法の3点で不確実性があると認めながら、従来の食品法の扱いで、組換え食品をGRASと認定した。

 GRASとした根拠は、(1)組換え育種は従来の植物育種法の延長上にある、(2)非意図的な変化はいかなる育種法でも生ずる、 (3)植物育種者(開発者)はこのような変化を検知し、選別する手段を持っている、(4)既存の食品安全規則、とくに市販後に非意図的な有害性を検出するよう定めた粗悪品に関する条項によって、組換え食品の安全性は保証できる、の4点だ。

 それにもかかわらず、FDAは開発者に自主的に市販前にデータを提出し協議(Consulting)をおこなうよう要請した。

 安全と認めたのに、なぜ協議に来なさいと要請するのか? 協議は不要なはずだ。矛盾している。事前審査が必要と考えるなら、任意ではなく法的義務を負わせるべきだとPelletier博士は主張している。

 もう一つは、2001年のガイドライン改定の提案とその後、いっこうに進展しないことへの批判だ。

 FDAは栄養成分改変食品など新規の組換え食品は、市販前の事前審査を任意ではなく、義務付けるべきとの提案をした。特異的な新規物質を産生する組換え食品は、従来の育種法による生産物と異なっており、これらの新規物質を「GRAS」と見なすことはできず、食品添加物と同様に法的に規制し、きびしい監視が必要となる根拠が存在するというのが提案時の見解だった。

 ところがこの改定案は、2001年9月の同時多発テロでFDAの食品安全政策の優先事項が、バイオテロ関係に移ったこともあり、止まったままだ。たとえテロ事件がなかったとしても、FDAは本気で審査制度を改定する気はないのではないかと、Pelletier博士はFDAの姿勢を疑問視している。

 2013年3月末でも、FDAの2001年改定案は実行されていない。とくに新規の物質を産生する組換え食品が開発されていないこともあるが、どこから事前審査の対象とするか線引きが難しいからだ。

 また、除草剤耐性作物、害虫抵抗性Bt作物、ウイルス病抵抗性作物が商業化されてから15年以上たつが、今までに人や家畜の健康に有害影響を示すことが実証された例が一つもないことも、審査制度の改訂不要論の背景にある。

 これは1992年のFDAの判断が正しかったことを意味しているが、だからといって、これからの組換え食品の安全審査も今までどおりで良いとは言い切れない。

 科学的に合理的な規制・審査制度をつくるのは難しい。柔軟さがなくなると科学を越えた過剰規制になる可能性がある。懸念・慎重側は多少過剰になっても良いではないかと考えるが、開発者・推進側は、「冗談じゃない、感情や気分で決めないでくれ」と反論しまとまらない。

米国の安全審査は大人の制度だが
 確信的な組換え反対論者でなくても、「米国は遺伝子組換え食品の安全性審査を義務付けていない」と思っている知識人は日本にも多いと思う。以前、何人かの研究者に「日本やEUと制度は異なるが、実質義務付けと同等の事前協議によって、安全性審査がおこなわれている」と説明したことがある。

 「でも義務じゃないから、勝手に商品化する企業もあるのではないか」という質問には、「たとえ、食品の安全性でFDAを無視したとしても、最終的な組換え作物の商業栽培は農務省が総合的に判断するので、FDAへの協議抜きでの商品化はあり得ない」と説明すると、まあ納得する人もいたが、釈然としない人もいた。

 たしかにその通りだろう。私が個人的に知っている研究者に詳しく説明してもこうなのだから、「米国では組換え食品の安全審査はおこなわれていない」と信じている有識者は多いだろう。

 がんじがらめの法律で縛らず、組換え産物の種類、性質ごとに、3つの官庁(食品医薬品庁、農務省、環境保護庁)で手分けして審査する米国の制度はある面、合理的だ。「GRAS」に基づく食品安全性審査の考え方も科学的に見てそれほどいい加減なものではないと思う。

 米国の審査制度はわかっている人には「なるほど、まあ理にかなっている」と理解される大人の制度だ。しかし、組換え食品に懸念や不安を持っている人にはわかりにくく、信用度も落ちる。これが今回のTPP交渉参加で流布されている「米国流になると日本の食の安全・安心が脅かされるのでは」という心配の一因になっているように思う。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介