科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

人事異動の季節、定年退職のある職業とない職業

白井 洋一

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 遺伝子組換え反対運動の激しかった2000年代前半からつきあいのあった企業の方から定年退職のあいさつメールが届いた。「今後もなんらかの形で、バイテクを応援していきたい」とのことだったが、彼らの経験と技術が元の職場に継続されていくのだろうかとやや気になった。

 遺伝子組換え食品や農薬では、開発企業、国公立の研究所、そして国や地域の役所が、一般市民向けにわかりやすく科学情報を伝えるコミュニケーション活動をいろいろな形でおこなっている。立場上、職務上の範囲でやっている人もいるが、自ら勉強し、工夫して頑張っている人も多い。しかし、彼ら彼女らの経験とコミュニケーション技術がうまく継承されていかないのだ。

シンポジウム「分かりやすい情報発信のテクニック」

 3月16日の午後、日本農薬学会大会で、シンポジウム「サイエンス・コミュニケーション、分かりやすい情報発信の技術」が開催された。
 4人が講演した。
1. 星野敏明氏(農薬学会農薬レギュラトリーサイエンス研究会)「研究会の活動からコミュニケーションを考える」
2. 田部井豊氏(農業生物資源研究所)「遺伝子組換え技術などの理解増進のための体験型コミュニケーション」
3. 松永和紀氏(サイエンスライター)「消費者の求める、消費者に役立つリスクコミニケーションとは」
4. 佐々義子氏(NPO法人くらしとバイオプラザ21)「無添加、無農薬、非組換え表示から考える」

 いずれも長年、この分野で市民向けの情報発信やリスクコミニケーションを担ってきた人たちだ(シンポジウムの詳細は講演者の一人、佐々さんが、ウェブサイトFood Watch Japanの連載コラム「新読み書きバイオ」で報告しているのでご覧ください)。

 このシンポを聞いて私が感じたのは、講演の中味ではなく、「発表者がいずれもベテラン。これからを担う若手、中堅にリスコミの専門家が育っていないのでは」だった。

 星野さんは昨年、農薬メーカーを定年退職し、田部井さんもそろそろだ。NPO法人に定年があるのか知らないが、4人の中でFOOCOMの松永編集長が一番若手だ。

東京都消費生活センターの遺伝子組換え食品シンポ

 その松永さんが3月22日の編集長の視点「消費生活センターを、ゆがんだ情報提供の場にしないために」で怒っていた。

 市民バイオテクノロジー情報室代表、遺伝子組み換えいらないキャンペーン代表、日本消費者連盟共同代表、科学ジャーナリストなどさまざまな肩書きをもつ天笠啓祐氏の発表に対してだ。

 昨年9月にフランスで発表された「組換えトウモロコシでラットに発がん性」という論文を、おどろおどろしいスライド写真とともに、一方的に発表したからだ。研究者の過去の前歴を含め、この論文が科学的に信用できないものであることは、FOOCOMの読者ならすでにご存じだと思う。

 松永編集長の批判は天笠氏に対してより、このような偏向した発表を許し、中立・客観的な立場をとれなかった東京都多摩消費生活センターの職員に向けられている。

 しかし、職員だけを責めるのは酷。消費生活センターの職員は組換え食品の専門家ではなく、詐欺商法対策や各種のクレーム対応に忙殺されている。このような食の安全に関する催しでは、都の食品衛生部局のサポートや、消費者庁や食品安全委員会による自治体職員向け情報提供をもっと充実させるべきだと編集長は提案している。

場の雰囲気を読む技術

 天笠氏は会場の雰囲気、主催者の力量をわかった上で発表しているのだ。週刊東洋経済(2012年9月8日号)の特集「貧食の時代」の69頁「あなたも食べている遺伝子組み換え作物」で、天笠氏はこう言っている(目次のみで記事はなし)。

 「除草剤に強い種や害虫に強い種を新規に開発するときには厳重な審査をしている。だが、米国では既存の遺伝子組換え種を掛け合わせる際は安全性評価をする必要がなく、不安が残る」。

 米国では安全性審査済みの組換え品種同士を掛け合わせた場合、食品安全性を審査しないのはほんとうだ。しかし、「新規品種の開発では厳重な審査している」と天笠氏が言うとは驚きだ。

 実はこの記事の前段で、私が「現状では食品安全性の審査システムが機能しており、危険な組換え食品が市場に出る可能性は低い」と言っており、天笠氏の発言はそれを受けたものだ。東洋経済の記者は食品安全審査の現状について勉強していたので、それに合わせたコメントをしたのだろう。

 東京都多摩消費生活センターで天笠氏が持ち出した危ない組換え食品とは、除草剤耐性トウモロコシ(NK603)で、米国、日本、ヨーロッパなどで安全性承認を受け、10年以上使われている。米国で審査対象外の掛け合わせ品種ではない。

 この点を突っ込めば、天笠氏は「フランスの研究は9月19日に発表されたもの。東洋経済の取材のときにはまだわかっていなかった」と言うかもしれない。週刊東洋経済は9月8日発行なのでそのとおりだ。あるいは別な言い方(言い訳)をするかもしれないが。

コミュニケーション技術が継承されない

 学生運動から、反原発、反農薬運動などを経て、遺伝子組換え反対キャンペーンを率いてきた天笠氏は、コミュニケーション技術に長けている。1947年生まれだが、市民団体活動家なので定年も引退もない。

 スピーチの内容も思想を同じくする人たちだけの集会と、一般市民も参加する公開の場で使い分ける。ホームとアウェイでの戦い方を熟知し、ゲームの運び方を心得ているのだ。

 これは一朝一夕では得られない技術だ。遺伝子組換えに限らず、農薬、食品添加物、ナノテク技術を使った食品などを開発、推進する側は、大企業や国公立機関でいずれも定年退職のある組織だ。個々人がせっかく習得したコミュニケーション技術も退職とともに途切れてしまう。

 さらに、リスコミや情報提供にかかわる公立機関の職員は、行政職(役人)であり、2,3年で人事異動し、職場が変わるので、広い知識を持った熟練した専門家はなかなか育たない。

 一般市民やメデイアの若い記者たちへの情報提供は難しい。遺伝子組換えでも農薬でも科学技術は日々進歩するので、常に新しい情報を収集し、整理しなければならない。同時に、過去に報道された事件、出来事もその顛末を含め知っておく必要がある。

 組換えトウモロコシの花粉で蝶々が死んだ話、スターリンク事件はどう決着したのか。農薬でも、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤(除草剤)と現在の農薬のちがい、有機塩素系農薬をひとまとめにして罪悪視したことなどをひととおり知っておかないと、昔のマイナスイメージの話題を持ち出されたとき、うまく対応できない。

 過去の報道のうち、どこまでが真実でどこがまちがっていたのかを若い人に正しく伝えるのは難しい。4月、異動の時期、コミュニケーション技術の継続性と言う点で、役所、研究所、企業側の構造的な弱さが気になるのだ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介