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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

イノシシ、ツキノワグマ、サル、スズメ 大震災・原発事故による野生生物への影響

白井 洋一

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 読売新聞(2012年5月15日)に新潟県で捕獲された野生のツキノワグマの肉から、国の基準(1キロあたり100ベクレル)を超える134ベクレルの放射性セシウムが検出されたという記事が載っていた。

 これは「野生のクマ肉は食べないように」という人間への警告だが、大震災・原発事故はさまざまな形で東北地方の野生動物に影響を及ぼしている。

野生動物への影響を考えるシンポジウム
 
2012年5月13日(日)、東京大学理学部講堂で、「どうなる野生動物! 東日本大震災の影響を考える」というシンポジウムがあった。日本霊長類学会、野生動物医学会など4学会による共催で、環境省も後援している。

 シンポジウムでは、福島県と宮城県の研究者が1年たった現地の状況を報告した。共通するのは、「野生動物への直接の悪影響があるかないかは、まだ1年の段階ではわからない。これから長期間の継続調査が必要だが、イノシシやツキノワグマは行動範囲が広く、震災・原発事故前の個体数データが十分でない動物も多いため、影響の有無の判断は難しいだろう」ということだ。

 一方、この1年間で明らかになったこともある。放射能汚染で人間の出入りが制限された地域での野生動物の行動の変化だ。本来、警戒心の強いイノシシやニホンザルが日中でも田畑や人家付近で多く見られようになっている。

 6月はアユ釣りの解禁シーズンだが、福島県内の河川では釣り人が大幅に減ったため、人を恐れなくなったカワウ(害鳥)が増え、アユ、ヤマメ、ウグイを食い荒らしている。放射性物質の内部被ばくによる影響は不明だが、無人地帯はこれらの野生動物にとって現時点では楽園になっているようだ。

 また、福島県では、イノシシ、ツキノワグマ、ニホンジカ、ノウサギ、ヤマドリの肉を食べることや出荷を制限している。このため、狩猟する人が減っており、このことも野生鳥獣の増加につながっているという。

 人口の減った中山間地域で野生鳥獣による農作物被害が増えていることや高齢化による狩猟者の減少は、以前から全国的に問題になっていたことだが、2011年3月の震災と原発事故は、さらに追い討ちをかけたことになる。

原発周辺で鳥が減っている! チェルノブイリより影響大きい?
 シンポジウムでは放射線医学総合研究所の研究者が、Environmental Pollution(環境汚染)という学会誌に掲載された「福島での鳥類に悪影響が出ている」という論文を紹介した。この研究者は動物細胞と実験マウスが専門であり、野生生物について自分は素人ということで、論文の中味の信頼性についてはふれなかった。

 そういえば、そんな新聞記事があったなと、家に帰ってからスクラップファイルを見てみると、2012年2月4日の共同通信発の記事があった。「福島原発周辺で鳥が減少 日米などの研究チーム調査」という見出しで、記事は以下のとおりだ。

【ロンドン共同】3日付の英紙インディペンデントは、東京電力福島第1原発の事故による環境への影響を調べている日米などの研究チームの調査で、同原発周辺で鳥の数が減少し始めていることが分かったと報じた。調査結果は来週、環境問題の専門誌で発表される。研究チームは、1986年に事故が起きたウクライナのチェルノブイリ原発と福島第1原発の周辺で、放射性物質放出による生物への影響を比較調査するため、両地域に共通する14種類の鳥について分析。福島の方が生息数への影響が大きく、寿命が短くなったり、オスの生殖能力が低下したりしていることが確認された。

 この記事の元になっているのはイギリスのインディペンデント紙(2012年2月3日)だ。

 共同通信の記事より、さらにエスカレートしており、鳥類の異常だけでなく、昆虫の寿命も短くなっていると書いている。

 では、大元の学会誌Environmental Pollutionにはどう書かれているのか?

 「チェルノブイリから推定したフクシマの鳥類の個体数」という論文タイトルで、要約には、3月から7月の鳥の繁殖期間に個体数を調査した結果とあり、寿命やオスの生殖能力についてはふれていない。それに、福島とチェルノブイリの調査結果をどのようにして比較したのかわからない。

 論文全部を読むには30ドルかかる。重要な論文なら30ドルでも50ドルでも惜しくはないが、この論文はどうもうさんくさい。私は遺伝子組換え作物の環境影響に関する海外の論文を400本以上チェックしてきたが、Environmental Pollution誌に載る論文は、根も葉もないとは言わないが、針小棒大、過度に危険性を強調したものが多い。

 30ドル払うのはばかばかしいので、知人の研究者に頼んで、論文をダウンロードして送ってもらった。

 入手した論文によると、チェルノブイリ周辺で4回、福島で1回、鳥類の個体数を調査し、その時点での放射線レベルも記録している。調査した鳥類のうち、チェルノブイリと福島の両方で確認された14種(スズメ、ツバメ、ハシボソガラス、エナガ、シジュウカラなど)について、放射線レベルと個体数の相関関係を統計学的に分析し、放射線による鳥類個体数への影響は、チェルノブイリより福島の方が大きいと結論している。

 論文は、チェルノブイリの調査をおこなったフランスの研究者が書いたようだが、福島の調査は論文に名前の載っている日本人研究者が実施した。鳥の個体数調査は、地域ごとに5分間の見取りと(さえずりの)聴き取り調査法に統一したとあるが、この点は問題ない。

 問題はチェルノブイリが4回の調査であるのに、福島は2011年7月の1回だけであり、これらのデータを一括して、解析していることだ。チェルノブイリでは事故発生の1986年から20年後の2006年に調査を始め、2009年まで毎年、5~6月に調査している。福島で原発事故以前の調査データがあれば問題ないが、それはない。少なくとも、2012、2013年と福島の調査回数を増やしてからでないと、「減った、増えた」と結論じみたことは言えない。

 共同通信やインディペンデント紙の記事では、「鳥の寿命やオスの繁殖能力に影響がでることが確認された」と書いてあるが、論文では「繁殖期間にあたる5~7月の調査で個体数の減少が確認された」としか書いていない。

 論文の最後で著者は「チェルノブイリと福島の原発事故による鳥類への影響を比較した最初の報告」とFirst reportであることを強調し、またとない研究材料が得られたと喜んでいる。悪気はないのだろうし、研究者にとって初報告は魅力的だ。

 これから、フクシマ(Fukushima)を研究材料とした論文が多くの学術専門誌に掲載されるだろう。メディアの取り上げる報道だけでなく、大元の論文の中味、特に実験や調査の方法に問題はないかをきびしくチェックする必要がある。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介