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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

ようやく形になってきた研究開発段階のゲノム編集農作物

白井 洋一

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出所:Adobe Stock

ゲノム編集技術を利用した作物と魚の商業販売が始まった。健康に良いギャバ(ガンマアミノ酪酸)を多く含むトマトが昨年(2020年)暮れに認可されたのに続き、今年9月17日には、可食部の多い肉厚マダイの商業利用を厚生労働省と農林水産省が認めた。

ゲノム編集は昨年ノーベル化学賞を受賞した研究者が開発したクリスパーキャスに代表されるDNA切断酵素システムを使って、遺伝子配列のねらった位置を正確に取り除いたり導入できる「切り貼り」技術だ。日本は2019年に、この技術を使って育種した作物や動物(魚、家畜)のうち、小規模な変異を誘導して遺伝子の機能をなくし、途中で使った外来遺伝子が最終的に残っていない場合は、安全性審査や表示など規制の対象としないことを決めた。外来遺伝子を導入し、食品や環境への規制のハードルが高い遺伝子組換え生物(GMO)とは異なり、ゲノム編集によって品種改良が加速し、画期的な農産物が登場すると農水省や大学の研究者はその可能性をアピールしている。

制度ができて2年。第一弾として期待されていたギャバトマトと肉厚マダイが商品化されたのは喜ばしいことだが、後に続くゲノム編集応用農産物はあるのだろうか?

●穂発芽耐性小麦の試験栽培始まる

ほとんどニュースにならなかったが、9月24日、ゲノム編集技術を使った穂発芽耐性小麦の試験栽培が岡山大学農研機構(茨城県つくば市)から発表された。

小麦はもともとカスピ海沿岸の乾燥地域が起源で雨や湿気に弱い。穂発芽とは穂に種子が付いたまま発芽する現象で、収穫前に雨が続くと多発し、小麦粉の品質が落ちる。収穫期に梅雨の長雨が続くことが多いため、国産小麦にとって大きな障害になっている。

小麦の自給率は13~16%だが年による振れが大きい。2020年の食料自給率が低かったのも、天候不良で小麦の生産量が前年より約9%減少したことが大きな要因と農水省は分析している(2021年8月25日)

穂発芽耐性小麦は従来の掛け合わせ育種法でも育成されているが、自給率をあげるにはある程度まとまった単位の栽培数量(ロット)が必要であり、地域限定の品種ではなかなか自給率アップにつながらない。穂発芽耐性品種の開発は小麦育種の最重点目標のひとつだ。

2016年3月,農研機構や横浜市立大学などのグループは、穂発芽耐性に関与する遺伝子を発見した。穂発芽しやすい遺伝子としにくい遺伝子は大麦、小麦に共通であり、今後の品種開発が期待された。

2019年7月には岡山大農研機構が、ゲノム編集技術で迅速に穂発芽耐性小麦を作出したと発表した。

小麦は6倍体で遺伝子情報が巨大で複雑だ。比較的構造が単純な大麦と穂発芽のメカニズムが共通であることから、ゲノム編集を使って、小麦でも遺伝子の機能を抑え、穂発芽しにくい系統を短期間(約1年)で作り上げることに成功した。ここまでは閉鎖系と呼ばれる温室栽培での成果だ。栽培品種に仕上げるためには野外で検証しなければならない。

今回、野外で試験栽培するため、文部科学省に計画書を提出し、遺伝子組換え生物のような規制対象になるかどうか問い合わせた。文科省の専門委員会は外来遺伝子が残っていないこと、目的とする20塩基を切断しても、標的外への影響は確認されないことなどから、穂発芽耐性小麦を規制対象外と判断した。

11月上中旬から岡山大と農研機構の試験圃場で栽培が始まるが、場所は文科省に届けた、遺伝子組換え生物の試験栽培にも利用可能な隔離圃場だけだ。どこでも自由に栽培できるわけではない。規制対象外なのに限定免許なのだが、ゲノム編集作物の栽培はまだ申請件数も少ないので妥当な判断だろう。

●文科省ルートは2通り 純粋な基礎研究と応用を目指した実証試験

遺伝子組換え生物(作物)も同じだが、農研機構や大学の研究開発者が文科省に申請するのは2つのケースがある。純粋な基礎研究の実験材料とする場合と、今回の小麦のように、野外で試験栽培し、最終的に商業栽培を目指すものだ。実用化の目途が立ったら、厚労省と農水省に申請する。

文部科学省ライフサイエンス課・遺伝子組換え実験のサイトの後半にゲノム編集技術のコーナーがある。

今回の穂発芽耐性小麦を含め3件の申請(計画書の提出)があり、いずれも遺伝子機能の一部を抑制し、外来遺伝子も残っていないことから、規制対象外となっている。将来期待されるゲノム編集食品の候補として、メディアにもよく登場するソラニン(有毒物質)フリーポテトは、まだ研究開発段階でSGA(ステロイドグリコアルカロイド)低生産性ジャガイモが申請名称だ。うまくいけば将来の商業栽培を目指している。

もうひとつ、東京大学の「フロリゲン遺伝子ゲノム編集イネ変異体群」は葉緑体のゲノムを改変できる技術がメインであり、イネの新品種育成を目指しているわけではないようだ。多くの植物のゲノム編集は植物の細胞核のゲノムを対象にしているが、この技術によって葉緑体中のゲノムも自在に操作できる。今後イネだけでなく、他の植物で野外栽培する場合は、どんな改変操作をするのか、改めて計画書を提出し判断を仰ぐことになる。応用を目指す品種改良の研究者ではなく、基礎技術開発の研究者が野外での実証試験に踏み出したのは、ゲノム編集ならではのことだろう。これまでの遺伝子組換え技術では、大学の研究者は野外での隔離圃場試験(1種利用)申請をためらい、温室試験(2種利用)を延々と繰り返していた。これでは野外で栽培される作物に実際応用できるのか検証できなかった。

●小麦もポテトも実用化はまだ先 しっかりした品種育成を

今回の小麦の野外試験発表で私が好感を持ったのは、岡山と茨城の2か所で試験をやることだ。温室で確認した効果を2つの異なる地域で検証する。研究・開発者のやる気を感じたのだ。

4月に試験栽培が承認されたソラニンフリーポテトは、理化学研究所と大阪大工学部が開発したものだが、試験栽培はつくば市の農研機構の圃場でやっている。開発当事者が試験圃場を持っていないのか、野外でまともにジャガイモを栽培した経験がないのか、理由はわからないが、当事者が密に関わって検証するのが筋だろう。品種育成、育種とはわが子を育てるようなものだ。過保護の温室育ちは良くないが、自分の本拠地に実証試験圃場を整備するのが本道だろう。

穂発芽耐性小麦は、食料生産、自給率向上に貢献する期待の系統だが、野外でもうまくいくかはまだわからない。11月に種をまき、来年の収穫期(麦秋の頃)の天気による。長雨でも効果が見られるか。2、3年は栽培する必要があるだろう。ソラニンフリーポテトも数年間の実証試験をしてからの話だ。

これから出てくると予想される害虫や病害に耐性の作物も、野外での数年間の実証試験が必須だ。農薬散布を減らした分、対象外の病害虫が増えないかなども調べなければならない。

ゲノム編集作物と言っても、温室実験でうまくいったから即、商業栽培というわけにはいかない。従来育種と同じように、野外での検証、品種の固定などのプロセスがある。メディアや消費者、流通業界はこのような地味な取り組みにはあまり関心がないようだが、研究・開発者は浮足立たず、しっかりとした品種を育て上げてほしい。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介