科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

農薬の今

ごく微量を食べ続ける時の安全とは

内田 又左衛門

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<編集部注:筆者のプロフィールは、執筆当時のものです>

 4月20日付の「農薬は安全か」で、農薬製品から食品中残留農薬に至る間に、濃度は凡そ100万分の1になる例を説明しました。しかし、一般消費者の中には、(1)大量を投与して毒性があるのであればたとえそれが100万分の1になったとしても悪影響があるのではないか、また、(2)ごく微量でも毎日食べ続けると徐々に体内蓄積し何年か後には悪影響が現れるのではないか、と言ったことを心配される方もおられるようです。でも両者ともに心配ご無用です。科学的証拠に基づいて安全が確保されています。今回は、これらの内容を説明したいと思います。

 
異なる二つの毒性:急性毒性と慢性毒性

 いずれの化学物質も多かれ少なかれ生理活性をもっています。そしてまた、同一の化学物質でも、その時々で、有益であったり、不活性であったり、あるいは有害であったりと様々な側面を見せます。どの側面を見せるのかが決まる最も重要な要因は「用量と暴露時間の関係」です。どの程度の量を、どの程度の時間をかけて暴露するのかです。結果として急性毒性と慢性毒性は毒性の性格が異なることになり、農薬等の毒性試験では両方でハザードの特定とリスク評価・リスク管理が実施されています。

 
 急性毒性は比較的大量の化学物質を一度に暴露する時の毒性です。子供が、手の届く場所にあった家庭用製品を誤って飲んだ場合や、化学物質が運搬中の事故で漏洩し通りかかった通行人の皮膚等を汚染した場合などが考えられます。急性毒性の強さは、動物実験で半数が死亡する体重1㎏当たりの投与量LD50 (単位mg/kg)で表わします。LD50値が小さいことは半数致死に必要な量が少ない、すなわち毒性が強いことを示します。大量を投与した時に急性毒性を示す物質でも、投与量が減ると毒性も低下して、終には影響が無くなります。これ以下の量では、このハザードに関してはもう心配は要りません。

 
 これに対して、慢性毒性は微量の化学物質が長期に渡って繰り返し暴露する時に見られる毒性のことです。食品中の残留農薬や添加物、医薬あるいは工場労働者が取り扱う化学物質等の長期暴露による健康影響が考えられます。ある程度以上の期間、化学物質を繰り返し暴露して始めて見られるものです。

 
 急性毒性の情報から、慢性毒性のことを予測するのは困難です。逆に、慢性毒性から急性毒性のことを予測するのも困難です。毒性が発現する臓器も毒性発現メカニズムも違うことが多いからです。
 また、これらの毒性試験は実験動物(ラット、イヌ等)を用いて実施する為、ヒトに外挿する時には不確実係数あるいは安全係数を用いる等して十分な安全が確保されています。これまで、わが国や欧米で多くの農薬に適用され、特に問題の指摘はありません。実績のあるリスク分析が用いられているのだと考えます。

 
急性と慢性の影響が関連しない例

 Frank&Ottoboniの2011年の著書「The Dose Makes the Poison: A Plain-Language Guide to Toxicology」に良くまとまられていますので、幾つかの例を紹介します。

 
 クロロホルムや四塩化炭素は、大量に暴露した時には急性的に中枢神経系に作用して、興奮、目眩、麻酔と言った中毒症状を引き起こします。しかし慢性毒性では、症状は主に肝障害であり、何カ月も暴露が続くと動物でも肝硬変(線維肝)に至ることが判っています。
 和歌山毒カレー事件で4名も死亡したヒ素は、古来毒物として良く知られています。その急性中毒症状は、消化管(胃腸)で見られ、嘔吐や大量且つ激痛の下痢です。しかし慢性毒性は皮膚の異常及び肝、末梢神経と造血系の障害と言ったものです。
 鉛は急性毒性は主に消化管に症状がでますが、慢性毒性は造血系、神経系、筋肉への障害の結果からくるものです。

 
 急性毒性と慢性毒性で発現部位や症状がまったく異なる例を紹介しましたが、毒性の強さでも両者は殆ど関係がありません。急性毒性が強い化学物質が必ずしも慢性的にも強い毒性を示すことはなく、逆に急性毒性が弱いからと言って慢性毒性も弱いと言えません。

 
 非常に急性毒性の強い化学物質でも、その幾つかは慢性毒性が弱いだけでなく、人間にとって必須であることが判っています。
 一例はビタミンDで、精製したビタミンDは極めて急性毒性が高くLD50値が10mg/kg、すなわち400,000IU(国際単位)/kgです。数十年前に急性毒性が強いことから使用中止になった農薬パラチオンのLD50値(10mg/kg)に匹敵するもので、毒物劇物取締法により「毒物」と表示すべき毒性があります。しかし、ミルクや食品サプリメント中に添加されています。
 また人は健康維持のためには、ビタミンDを毎日100IUすなわち2.5μg摂取する必要があります(妊婦や授乳婦は2倍)。日本人の平均体重は53.3kgですので計算すると、毎日LD50値の213,200分の1のビタミンDを食べることになります。これが欠乏すると「くる病」として知られる欠乏症になります。また、毎日数倍の過剰摂取で慢性毒性もあるようです。一日摂取上限は50μgすなわち2,000IUで、これ以上を摂取する場合は医者に相談すべきとなります。

 
 セレンは鉱物や土壌中に僅かですが存在するものです。哺乳類には必須元素ですが、その毒性に対して感受性がより高い動物種があります。人の必要量は45μgですが、一日摂取上限は200μgです。濃度が高い土壌に育つ植物はセレンを蓄積しますので、そこで放牧された馬や牛が植物を食べて生じる毒性は良く知られています。

 
 食塩(塩化ナトリウム)にも急性毒性があり、LD50値は3g/kgです(平均体重53.3㎏では約160g)。また、毎日少量は人の健康にとって必須なものですが、日常的な過剰摂取では、その慢性毒性として高血圧、心疾患や腎臓病を引き起こすことが明らかです。毎日の摂取量は8-9g程度以下が適切であると言われています。

 
「分割して微量ずつ摂取すること」の意味

 「用量と暴露時間の関係」は極めて重要で、ある化学物質が毒になるかどうかを決めることになります。誰でも一生涯の間には天然、合成を問わず致死量の何倍もの多くの化学物質を食べています。
 例えば、濃い目のコーヒー100杯には致死量に近いカフェイン(13g程度、LD50は約200mg/kg で平均体重53.3gでは10.7g)が含まれています。毎日一杯ですと100日間で100杯を飲むことになります。

 
 ジャガイモ50-200kgは致死量のソラニンを含んでいます。日本人のジャガイモの平均摂取量は18.7g/日ですので、8年間食べ続けると50kgを超えます。
 ほうれん草5-10kgは致死量のシュウ酸を含んでいます。ほうれん草の平均摂取量は36.6g/日ですので、半年間で約7kgを摂取することになり、計算上は摂取するシュウ酸の総量が致死量付近になります。
 また、スコッチ、バーボン、ジン、ウォッカや強いリキュールのボトル5分の1には致死量のエタノールが存在していますし、アスピリンも大きい錠剤であれば100錠で致死量に達します。

 
 私たちは毎日、これらを少しずつ食べたり服用したりしており、何年か経過すれば多くが致死量に達する筈なのですが、何ら影響は出ません。私たちの身体は、少量の化学物質であれば食べても体内に吸収して速やかに代謝・分解し、糞、尿あるいは呼気を通じて体外に排泄します。したがって、心配(1)や(2)のように、微量の化学物質を食べ続けると蓄積して何時かは毒性が発現することは起こりません。
(過去には合成化学物質PCBやDDT等は体内での分解や体外への排泄が非常に遅く、あるいはほとんどなく蓄積しましたが、その後は難分解性で蓄積するものは事前試験で確認し、今では開発・使用できないようになっています)

 
 農薬や医薬の安全性試験の一つに、吸収・分布・代謝・排泄(ADME)試験があります。ほとんどの農薬や医薬は、分子内に炭素、水素等を含んでいますので、この炭素や水素の一部を放射能のある炭素や水素(放射性同位元素)で置き換えた、いわゆる標識した農薬や医薬を用いて試験すると、放射能を指標に挙動や運命を追求することができます。

 
radioisotope 農薬や医薬の候補化学物質を放射性同位元素で標識すれば、動物体内での挙動だけでなく、体外に排泄される様子まで判ります。動物に経口投与した後、8時間後(写真上段)には放射能は主に大腸に移行し、120時間(5日後、写真下段)にはほとんどすべての放射能が体外に排泄されていた例を右図に示します。

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

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消費者の皆さん方のお役に立つ農薬の情報を提供し、科学的に説明し、疑問や質問等にも答えたい。トップバッターは私ですが以降、農薬の専門家が順次コラムを担当する予定です