科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

農薬の今

リスクのモノサシ

内田 又左衛門

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<編集部注:筆者のプロフィールは、執筆当時のものです>

 タバコの健康被害に関しては、受動喫煙も含めて科学的な知見に基づき、国も社会も重大な健康リスクとして認知し、法的に公的な場所や道路上での喫煙の禁止等の対策を講じています。しかし一部の個人は、企業トップ、毒性研究者あるいは科学者の中にも、依然として喫煙している方がおられます。こと自分に限っては大丈夫だと考えリスクを受容しているのでしょうが、他の人への受動喫煙はどのように考えておられるのでしょうか。

 この例のように、リスクの個人的な受けとめには差があり、世の中にある多くのリスクに対してまったく同じ受け止めや認知をしている人は二人といないと思います。リスク・コミュニケーションとして特定のリスクを皆さんに説明し納得していただく為には、科学的な根拠に基づくモノサシが必要な所以です。

risk  「リスクのモノサシ」(中谷内一也著、NHKブックス1063)が2006年に出版され副題は「安全・安心生活はありうるか」で、リスクのモノサシを10万人当たりの年間死亡者数として表し、「目盛」としてガン、自殺、交通事故、火事、自然災害そして落雷の6つのリスクを挙げています。ご興味のある方は是非とも原著をお読みください。

 日本人のいちばんの健康リスクはガンです。そして、ガンの原因の30%は喫煙です。食中毒のリスクは、衛生管理、冷蔵技術そして食品添加物(抗菌剤)等の普及もあり、1960~2000年の間に加速的に低下し、既に落雷の2倍程度のリスクでしかありません。残留農薬での死亡者は報告されていませんので、落雷よりも更に小さいリスクです。これに比べると自然災害の方がはるかに大きなリスク(0.1)となっています。実は、食のリスクより、食料品を買いに行く時の交通事故のリスクや、食事中に咽喉に詰めて窒息するリスクの方が大きなリスクであり、対策や未然に回避する工夫が必要であると指摘する専門家もいます。

 このようなリスクのモノサシを参照すれば、残留農薬等の健康へのリスクは取るに足らないこと、そして残留農薬の健康リスクに対して心配したり不安になるよりは、もっと大事なリスクを対象に重要度や優先度に応じ対策する方が合理的で効果的であることがわかります。

残留農薬のリスクを他と比較

 「残留農薬基準」は安全判断の基準ではなく、むしろ食品が作物の段階から正しく製造されていたのかを示す規格と考えるべきものです。極端な超過を除けば、安全に問題がない「実質的ゼロリスク」と考えるべきもので、食品中の農薬残留が基準を超過したからと言っても、これが直ちに健康被害の恐れを意味するものではありません(残留農薬の基準値超過ニュースの中でも良く目にする文章です)。しかし食品衛生法で定めた基準ですので、違反すれば流通・販売ができなくなります。

 消費者の中には(欧米も含めて)、食品中の残留農薬の健康影響を恐れて有機農産物に拘る人がおられます。有機栽培の比率から考えて有機農産物は量的には多くはありません(日本では0.2%程度)。スーパーマーケットや食料品店で健康に良い・味が良い等と差別化をアピールして、通常栽培農産物より高い価格で販売しているのを見かけます。実は仲間内の生産と流通に留まるのであれば問題ないのでしょうが、一般の人々にも(通常栽培農産物より)安全・安心そして美味しいと宣伝して高く売り込むのは倫理的に問題があるとの指摘があります。

 科学的には、有機(オーガニック)農産物が通常栽培より健康に良い、より美味しいと言ったことは証明されておらず、逆に、両者には有意な差がないと結論されています(英国の食品基準庁の依頼でロンドン大学の研究者が、これまでに発表された有機農産物に関する約5万の論文の系統的レビューを行って「健康面で期待できるような差はない」とする結果をまとめ、2009年に栄養学の権威ある雑誌「American Journal of Clinical Nutrition」で発表しています)。

 したがって、有機農産物を通常農産物と差別化するような宣伝内容は、科学的根拠に基づかない、正しくない情報を消費者に伝えることになるので禁止している国もあるとのことです。

農薬を使わないリスク

 農薬を使わないと、農作物の収量も品質も確保できないことになります。また、病害虫が加害した農産物では、カビ毒・感染関連蛋白(アレルゲン)の汚染による健康リスクが生じ、また化学肥料の代わりに家畜糞尿や堆肥を使用する有機栽培では腸管出血性大腸菌等の食中毒菌の汚染リスクが高くなります。最近もドイツ等で有機農場の発芽野菜(スプラウト)を食べた人4000人以上が発症し、50人が死亡したニュースがありました。これまでのわが国の統計からも、カビ毒、感染関連蛋白、あるいは中毒菌は、残留農薬に比べるとはるかに重大な健康リスクと言うべきです。

 また、食品中残留農薬のリスクは、元来一般食品が含んでいる天然毒素(カビ毒、ふぐ毒等)や金属(ヒ素やカドミウム、水銀等)のそれに比べると数桁は低いことが、国立医薬品食品衛生研究所の畝山智香子先生の著書「本当の食のリスクを考える」(2009)でも詳しく解説されていますので参考にして下さい。

 許容できる残留農薬のリスクを回避しようとして、有機や減農薬栽培の農産物に拘れば反ってカビ毒や中毒金汚染等のリスクが増大する、すなわち「リスクのトレードオフ」(交換)が起こるので注意が必要です。(本コラム4月20日付「農薬は安全か?」参照)

 私が担当する農薬に関する情報提供は今回までです。これまでの説明の中でご質問やご指摘等がございましたら遠慮なくお寄せください。また次回から、社団法人緑の安全推進協会農薬相談室長が担当します。

最後に:

 インド独立の立役者ガンジーが問いかけたのは「あなたは欲望を捨てられますか」です。国家や社会を第一義に考えるとき、個人的な欲望を捨てる必要もあると言うことです。今年にも70億人に達する地球人口です。そして各自が生きるだけでは満足せず、欲望を満たすべく消費している現状です。また、欲望は累進的に増大するため、結果として地球上に溢れる人類が環境を破壊し、今にも持続できなくなるのではと危ぶまれています。

 生態学者によれば、「環境規制」のない生物種は「早晩増殖しすぎて死絶」するそうです。そんな危機的な状態であると認識すべき人類ですが、逆に従来にも増して欲望を膨らませているのではないでしょうか。
 考えようによっては「有機農産物」も一部の生産者・消費者の贅沢(欲望)品と言われます。そのようなものを一般消費者に宣伝・拡販を進めるのは如何かと思っています。

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

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