科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

農薬の今

農薬のハザード(危害性)とリスク 下

内田 又左衛門

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<編集部注:筆者のプロフィールは、執筆当時のものです>

 前回(上)では、ハザードとリスクの違いを説明しました。農薬の安全性を評価する場合、ハザードではなく、正しくはリスクで把握し、適切に管理することになります。
    リスク=ハザード×量(経口摂取、接触あるいは吸入)

 下図のように、農薬は各段階で濃度が大幅に減少することで、そのリスクも小さくなっていきます。

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図(再掲) 農薬製品から食品への濃度減少とヒト暴露(経路)



<製造者のリスク>

 製造者が取り扱う原体や農薬製品は、濃度が高く微量でもヒト健康に影響を及ぼす恐れがあります。ヒトへの経路も口、皮膚、気道があり、それぞれのハザードの強さを調べて、作業中のリスクを評価し管理しています。リスクが許容できない又は不明な場合、マスク、メガネそして手袋、更には防護服等を着用し、安全域まで暴露量を下げる為の対策を講じます。リスクが許容でき安全である場合は、素手やメガネ無しでも良いことになります。

<使用者のリスク>

 使用者の段階では、農薬製品を希釈するまでが高濃度でリスクが大きい作業ですが、一旦希釈するとリスクは極端に小さくなります。それでも念の為に、手袋、マスク、メガネ等の保護具着用が推奨されています。農家の皆さんが完全防護して農薬散布しているのは、必ずしもリスクの高い(危険な)作業をしているわけではありません。

 多くは万が一のリスク対策ですが、毒性が強い農薬の中には散布作業時に保護具着用を必要とするものもあります。農薬製品ラベルに注意書きがありますので必ず確認して使用することになっています。

 リスクは完全ゼロにはできません。体調、直近の飲食物、飲酒、服用薬等々がリスクを左右する場合があります。例えば、高脂血症薬や降圧剤等の中には、同時にグレープフルーツを食べたり、グレープフルーツ・ジュースを飲んではいけないものがあります。グレープフルーツの成分がある種の化学物質の代謝分解を阻害するので、医薬品の体内濃度が高く持続し、結果として薬効だけでなく副作用(毒性)も強くなるようです。医薬品は比較的多量を体内に摂取する為です。農薬では希釈後は暴露も微量であり、このような例は知られていません。これまで、そして今後も、杞憂で終わると思っていますが、その裏にはリスク対策の継続的見直しや指導教育の努力があります。

 住宅地等における農薬使用については、農薬の飛散が原因で周辺住民の方々に健康被害が及ぶことのないように十分な配慮が必要として、国から通知が出ており、関係部局も指導しています。周辺住民の方々の農薬への暴露は量的には更に僅かになっていますが、それでも十分なリスク対策が必要、とされています。

 幸いなことに、これまでの農薬使用現場の実態調査では特段の問題は報告されていません。しかし保護具着用の注意を守らなかったり不注意な作業をした場合等では、毎年僅かですが使用者の気分が悪くなったりする事例が発生しています。市販後の農薬使用実態から問題ないことを確認することはリスク管理上とても重要な意味を持ち、問題や改善すべき点が判れば速やかに解決することになります。

 今回の福島原発事故を含めて、過去の事故や事件の責任者がインタビューに答える場合、往々にして「想定外」と弁明しています。リスク管理者は本来、想定外をなくし潜在するリスクを洗い出すことが基本のはずです。特に、重大リスクは常に点検したり、新たな視点で洗い直しをしたりするものです。「想定外」は、リスク管理をしていないことを暴露しているように思えます。

<消費者のリスク>

 消費者は微量であっても毎日食品中の残留農薬を食べ続けますので、そのハザードとリスクは十分に把握する必要があります。ハザードを把握する為の長期試験として、慢性毒性、発癌性あるいは催奇形性等が実施されています。それらに要する時間と経費は膨大で、いずれも優良試験機関においてGLP(適正作業手順)試験として実施されています。
 
 すべての毒性試験でまったく悪影響がない量NOAEL(無毒性量)を求めることが必要で、これに安全係数1/100をかけてADI(一日摂取許容量)を算出しています。ADIはこれを超過しなければヒトが生涯に亘り食べ続けても大丈夫な量として理解されています。安全係数1/100の意味は実験動物とヒトとの種差1/10とヒトの個体差1/10の積です。この安全係数は国際的に採用され良く受け入れられているものです。また農作物に使用する農薬には必ずADIが設定され、これを超過しないように農薬使用基準を決め、遵守されるようになっています。

 大量の農薬を一度に摂取した時の急性毒性と、微量の農薬を続けて摂取した時の慢性毒性では、影響の質も内容も異なります。両者は一般に毒性学的に関連しないことが判っています。ADIは急性毒性のレベルと比べるとはるかに少量であること、ADIを多くの農作物等に配分しているので、ある作物で基準超過があっても、まだまだ余裕があること、等は良く理解して欲しいです。

 食べ続けていると微量であっても徐々に蓄積し、いつかは影響が出るのではないかと心配される方がおられますが、残留農薬が蓄積することはありません。微量の農薬は、食品中の天然化学物質と同じように、速やかに代謝分解され、体外に排泄されます。過去には分解されずに蓄積する農薬(DDTやBHC等)がありましたが、現在では登録前に試験され、難分解性で蓄積する農薬は開発できなくなっています。

<監視とリスクコミュニケーション>

 リスク管理では監視が重要です。輸入食品は港や空港で検疫としてモニタリングや命令検査を実施して残留農薬を調べています。また市場で流通する食品に対しては、国や都道府県が収去検査(タダで持ち去って検査すること)を実施し、食品中の残留農薬等を監視しています。その結果は厚生労働省等のホームページに公開されています。稀に基準超過する残留農薬が検出され、農産物が回収されたり流通禁止になったりとニュースになることがあります。それでも最後まで注意深く読むと「健康には影響はない」と記されているものと思います。

 我が国のように残留農薬基準を超過した農作物を廃棄したり、回収したりする国は余りないようです。これほど多くの検査(都道府県等の検査を含めると年間200万件以上)を律義に実施している国もないようです。ただし、欧米各国は残留農薬の分析結果をホームページ等で上手く説明し、国民が安心できるようにリスクコミュニケーションをしたり、リスクが許容できない場合等に必要な警報伝達システムを完備したりして、国民が安心できるように良く工夫しているように思います。

<2つの課題>

 一つ目は、現代の科学や知識では説明できない過敏症です。最近、アメリカで刊行された成書「The Dose Makes the Poison: A Plain-Language Guide to Toxicology」(Frank&Ottoboni、2011)では、「説明できないので患者は時には変すぎるとして無視されている。幸いなことに酷い過敏症はごく稀であるが、悲惨な状態として個人的に悩むヒトもある。ある意味ではアレルギーの問題のようで、また別の意味では現時点で答えられない問題でもある。しかし希望がないわけでもなく、過敏症が免疫学的な問題であれば免疫科学の進歩に期待できるところだ」と書かれています。また過敏症の発症には心理作用が関与するとの指摘もあります。この分野では、免疫学や心理学等の科学の進歩こそが重要課題だと思っています。

 もう一つは、一般の方々の農薬等のリスクの受け止め、すなわちリスク受容の問題です。これは個人レベルの、とても複雑なものです。複数のリスクに対して、二人としてまったく同じ受容パターンを持つことはありません。この結果、リスク受容には2つの側面が生まれます。即ち社会としてのリスク受容と、個々人としてのリスク受容です。

 タバコを例に考えてみると、社会全体としては、喫煙が肺や消化器の癌を引き起こし非常にリスクが高いことはよく理解されるのですが、個人レベルでは自分は大丈夫だと思い込んで喫煙を楽しんでいる場合があります。社会全体を考えた国の基準や判断が、必ずしも一般の人々の安全・安心につながらないことになっている理由かもしれません。ここでは、教育や環境がリスク受容の在り方を左右するようで、今後の課題と言えます。

 マスコミの扇動報道や事故・事件の怖い印象、時には著名人の不用意な一言が、社会が築きあげてきた人々のリスク受容と安全・安心感を忽ち蹴散らかしてしまいます。東日本大震災、津波そして原発事故による放射能汚染と国家的な危機の中にある我が国です。科学的、社会的に正しい判断に基づく日常生活や消費行動ができる健全な国家が今ほど望まれている時はないと思っています。

執筆者

内田 又左衛門

大学時代(京大、UC Berkeley)から農薬の安全性研究に携わる。現在は農薬工業会事務局長、緑の安全協会委嘱講師。日本農薬学会会員

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消費者の皆さん方のお役に立つ農薬の情報を提供し、科学的に説明し、疑問や質問等にも答えたい。トップバッターは私ですが以降、農薬の専門家が順次コラムを担当する予定です