野良猫通信
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。
東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
畝山 智香子その1でご紹介したヒジキは、欧米ではもともと食習慣がなく、禁止や制限によって困ることもほとんどないので国際的には難しい問題ではないです。問題なのは世界人口のかなりの部分が食料として依存しているコメです。コメは小麦などに比べて土壌中のヒ素を吸収して蓄積する性質があるためヒ素濃度が高く、主食なので摂取量も多く、リスクは無視できません。
JECFAの2011年の評価を受けて、Codexでは2014年に精米について、2016年に玄米について無機ヒ素の基準値を設定しました。それが現行の食品と飼料の汚染物質と毒素の一般基準(General Standard for Contaminants and Toxins in Food and Feed)2025年版に掲載されている玄米が0.35 mg/kg、精白米が0.2 mg/kgです。またコメのヒ素を減らすためのガイドラインも発表しています。
遺伝毒性発がん物質は成人よりも子供に対してリスクが高いと考えられるのでEUや米国は乳幼児用食品には追加で基準を設定しています。
EUは2023年から乳幼児用食品の原料となるコメの無機ヒ素基準を0.1 mg/kgに設定していますし、米国ではベビーフード中のヒ素、鉛、カドミウム、水銀を「ゼロに近づけるcloser to zero」行動計画を2021年から始めています。
この段階で既に日本で流通しているコメが海外に輸出した場合に基準値違反になる事例が出ていました。
そして今回の食品安全委員会での検討の直接のきっかけになったのは、最近複数の評価機関で食品中の無機ヒ素のリスク評価が更新されたことです。
2023年にEFSAが無機ヒ素のリスク評価を更新し、
Update of the risk assessment of inorganic arsenic in food – – 2024 – EFSA Journal – Wiley Online Library
疫学研究での皮膚がんのデータからBMDL05 0.06 μg iAs/ kg 体重/日としました。2009年の「0.3 から 8 µg/ kg 体重/日」に比べて大幅に小さな値になっています。この値は欧州でもほとんどの人がリスクがあるためにばく露量を減らす必要があると判断されるものです。
また長らく検討中のままだった米国EPAが2025年に無機ヒ素の評価を更新しました。
Arsenic, Inorganic | CASRN 7440-38-2 | DTXSID4023886 | IRIS | US EPA, ORD
虚血性心疾患と2型糖尿病について:RfD 6×10^-5 mg/ kg 体重/日(0.06 µg kg 体重/日)
発がん性について: 膀胱がんと肺がん 経口スロープファクター32 per mg/ kg 体重/日
経口スロープファクターというのはEPAが発がん物質について使っている指標で、これにばく露量を掛けるとリスクが計算できます。例えばEFSAのBMDL05である0.06 µg/kg-dayの摂取量だと 0.00006 mg/ kg 体重/日 x 32 per mg/ kg 体重/日 =0.00192 です。この値は発がん物質についてのリスク管理の目安である10^-5より2桁以上大きいです。(目安となる値は10^-4~10^-6の幅でありえますが真ん中を採用)
また改定前のEPAの無機ヒ素のスロープファクターは1.5 per mg/ kg 体重/日でした。10倍以上リスクを大きく見積もるようになったわけです。
そして2025年のJECFAの評価では
Key conclusions and summary report from JECFA’s 101st meeting | Food safety and quality | Food and Agriculture Organization of the United Nations
発がん性についてはBMDL0.5が1 μg/ kg 体重/日、虚血性心疾患については 0.3μg/ kg 体重/日に引き下げられました。低いほうの値はエンドポイントががんから虚血性心疾患に変わりましたが1/10になりました。
これまでの評価であっても、海産物とコメの摂取量が多い日本人の無機ヒ素摂取量は国際的には多いほうで、目安となる摂取量を超えている人もいるだろうと考えられるレベルだったので、新しい数値を使うとさらにリスクが大きく評価されることになります。
そしてリスク評価の更新に伴って食品の基準も見直される可能性があります。当然、厳しくなる(より小さい値になる)ことはあっても緩和されることはないでしょう。
EPAやEFSAの評価が日本や他の国際機関と異なることはこれまでもよくあったのですが、国際流通する食品の基準設定を行うCodexの参照するJECFAによる評価は日本にとっても極めて重要です。現時点ではJECFAの評価はまだ概要しか発表されていないのですが、今後詳細が発表されれば解説やコメントが発表されるべきものです。
特に前回の食品安全委員会評価の2013年以降で加わった知見である、発がん性のほかに虚血性心疾患と2型糖尿病が重要エンドポイントとして確実性を増したことや無機ヒ素だけではなく低分子の有機ヒ素(ジメチルアルシン酸(DMA^V)やメチルアルソン酸(MMA^ V)など)についても有害影響が確認されたことはリスク評価にとっても重要です。DMAやMMAはコメに含まれることが報告されている有機ヒ素です。
リスク評価にとって重要な情報は、毒性に関する情報(ハザードキャラクタリゼーション)とばく露評価です。そのどちらもヒ素は簡単ではないです。
ヒ素の毒性なんて昔からわかっている、と思われるかもしれませんが昔からよくわかっているのは急性毒性です。今問題になっているのは、より少ない量による慢性毒性です。
これは通常は動物実験とヒトでの疫学研究で調べることになります。
動物実験については、ヒ素の毒性が高すぎて慢性影響が出る前に死んでしまったりして良い実験系が作れません。例えばげっ歯類発がん性試験では2年間の試験が終わったときに動物の多くが生存していないと試験が成立したとはみなされません。低用量から高用量群まで用量を振って長期間動物を生かすという試験は急性毒性の強い物質では実施困難なのです。毒性の低い物質だと何をやっても動物は最後まで生きているのでメカニズム研究などもいろいろできるし論文が多いのに、本当に有毒な物質については評価に使えるようなデータがあまりない、ということがよくあります。発表された論文だけを見ていると気が付きにくいかもしれませんが、論文数の多さは毒性の強さや私たちにとっての重要性とは関係ありません。
このような理由で無機ヒ素については動物実験で目安となる指標を決めるのが困難でヒト疫学研究に頼らざるを得ません。
一方、ヒト疫学研究で難しいのはばく露量評価です。
水に含まれるヒ素はほぼ無機ヒ素ですが、食品の場合、ヒ素は多様な化学形態で存在し、糖や脂質などの高分子有機化合物と結合しているものもあります。そしてヒ素の毒性は化学形により大きく異なることがわかっているので、化学形まで区別して分析する必要があります。もともと水より食品のほうが夾雑物などのために分析が難しいのですが、多様な分子を区別して測定しなければならないことによりハードルがあがります。場合によっては調理などの影響も考えなければなりません。
食事からの摂取量を評価するのが困難な場合に生体試料を使うバイオモニタリングが利用されることがあります。毛髪中水銀量や血中鉛濃度といったものです。しかしヒ素の場合、食べて代謝されて排泄される間にいろいろな化学型に変化しそれぞれ毒性が異なると考えられるので何を指標にすべきかがわかりません。慢性毒性のメカニズムもわかっていないので、代謝されてできるものが解毒なのか活性化なのかすら明確ではない場合があります。もちろんバイオモニタリングは参考にはなるのですが他の元素より評価は難しくなります。
日本人にとってお米は重要な主食で、日本人の無機ヒ素の摂取量が多いとしても長寿なのだから問題はない、と主張したくなる気持ちはあります。しかしそれならなおさらきちんとしたデータを世界に示す必要があります。
身長が低いことは長寿とがんの発生率の低さに関連することが報告されているので、日本人はヒ素摂取量が少なければもっと長寿なのかもしれない、など、研究テーマとしても面白いとは思いませんか?2013年のヒ素の評価書の発表の後、データが足りないので結論が出せなかったことから日本国内での研究を推進すべきでした。しかしそのような働きかけは十分ではなかったと思います。具体的にどのようなデータがあれば何が明らかになるのかを含めて評価として発表し、国内の研究者にテーマとして、できれば研究予算もつけて、研究を推進するべきです。
特に今回はこれまでの発がん性に加えて、虚血性心疾患と2型糖尿病がエンドポイントとして注目されています。日本人は欧米に比べて低いBMIでも2型糖尿病になりやすいことが報告されていますが、その原因はわかっていません。それにコメのヒ素が寄与している可能性が指摘されているので、日本人での研究は重要でしょう。
下記に続く
東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
食品中無機ヒ素について(その1/全3回)-ヒジキ 国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。