メタボの道理
生活習慣病を予防し、健康で長生きするための食生活情報を提供します。氾濫する「アヤシゲな健康情報」の見極めかたも
生活習慣病を予防し、健康で長生きするための食生活情報を提供します。氾濫する「アヤシゲな健康情報」の見極めかたも
食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員
このタイトルを見ただけで、FOOCOMの読者なら、何のことかわかるだろう。『週刊新潮』は「食べてはいけない『国産食品』実名リスト」という特集を、5月から複数回にわたって掲載している。これに対して『女性自身』が、6月12日号で反論を掲載したのだ。
■この類いの記事にはいつも登場する人物
女性自身の反論には、実名をあげて攻撃された商品メーカー各社の答えや食品安全委員会の見解と並んで、私のコメントも紹介されてある。女性自身のY記者から取材の申し込みがあったとき、正直いって、私はあまり乗り気ではなかった。週刊新潮の記事はあまりにも非科学的であり、登場する「専門家」もこの類いの記事には“いつも登場する人物”であり、新鮮味がなかった。
私はここ何年か、週刊誌やテレビの取材に対して不信感を持っており、「コメントしない」ことにしている。長時間の取材にていねいにお答えしても(「私の話が長いから」という指摘はあるのだが)そのごくごく一部しか記事や番組には反映されない。そして多くの場合には、私の真意とはウラハラに、取材者が欲しいコメント(あらかじめ決まっているようだ)がとれるまで粘り、案の定、その部分だけを取り出して原稿にする(番組にする)という経験をイヤというほどしたからだ。
コメントのごく一部を取り上げられて「真意ではない誤解」を招いても、「そういう話をしなかったのか?」と聞かれれば「した」のであり、それは私の責任である。それを防ぐたった1つの方法・・・・それは「取材を受けないこと」という結論に達した。
なので、女性自身に対してもいったんはお断りしたのだが、Y記者の電話対応が真摯で、その内容から、短期間の間にかなりの取材・調査をすませてあることがわかった。「週刊新潮さんの記事には『いたずらに恐怖を煽る意図はいささかもないが・・・・』と書かれてあるが女性自身の読者には不安になる人がいるかもしれない。読者が、非科学的な情報が原因でそのような状態に陥ることのないように取材をしている」という言葉に納得して、取材を引き受けた。
■ハザードとリスクを「意識的に」混同!?
現在、日本で流通・販売されている食品(生鮮食品であれ加工食品であれ)で「食べると危険な物」など、ない。食べると危険・・・・すなわち「すぐに」あるいは「将来的に」健康を害するものは食品衛生法という法律で規制されている。現時点の科学で、食べても健康を害しない物だけが「食品」として流通・販売を許可されてある。
そしてその評価(食べていいかどうか)は、日本では、食品安全委員会【※1】が検証している。食品安全委員会では、ある食材(それに含まれる成分であることが多いが)に毒性があるかないかだけを調べるのではない。それを(日本人が)どのくらい食べれば健康を害するのかあるいは害しないのか、を検証している。これには、多大な手間と努力と能力と資金が必要・・・・つまりは膨大なエネルギーを投入せざるを得ない。1個人や1企業ができる作業ではない。
週刊新潮で、1人の“専門家”が、「食品安全委員会の言うことが100%正しいわけではない」などと(当たり前のことを)揶揄して持論を展開していることを、もっともらしく紹介するのは「読者を煽る行為」以外の何物でもないと、私は感ずる。
ここで簡単に整理をすると・・・・。
食品の安全性には「ハザード」と「リスク」がある。ハザードというのは「その食品(成分)はどのくらいの大きさの毒性を持っているか」という指標。リスクというのは「それをどのくらい摂取すると健康を害するのか」という指標【※2】。
食品(成分)で「ハザードがゼロ」つまり「いくら食べても・どのように食べても害がない」ものはない。逆に「ごくごくわずかを摂取しただけで健康を害する」ものもない。これを勘違いすることから「食品危険情報」が混乱する。
週刊新潮などに掲載される「食べてはいけない食品情報」のほとんどは、「ハザードはあるけれども(日常の生活の中では)リスクがきわめて低い」食品(成分)が取り上げられる。ハザードとリスクを知らずに間違えてあるのか、あるいは知った上で混乱させる記事が作られているかのどちらか。「知らずに」であれば無知も甚だしいし、「知っていて」であれば(私はこちらだと思うが)犯罪的ですらある。
■「この程度の週刊誌」による非科学的情報提供
週刊新潮の記事の問題点に関しては、食品安全委員会のfacebookで取り上げてあるし【※3】、FOOCOMでも他の筆者が指摘してある【※4】ので、ここでは異なる視点から週刊新潮の記事の問題点を見てみようと思う。
週刊新潮の第1弾が発売されたとき、下記のような意見を述べる人がいた。
「今回は食品の実名をあげて報道している。もし事実でなければ食品会社が訴えるだろうから、これは勇気のある報道だし、内容は正しいと思う」
しかし、週刊新潮の記事はこのリスクを巧みに(見事にといってもいい)避けてある。週刊新潮の記事の基本構造は、おおむね次のような論理構成になっている。
①A(実名)という加工食品にはXという添加物(成分)が含まれている。
②Xは健康を害するという研究がある(ここが非科学的なので問題!)。
③だからAを食べてはいけない。
ここで気がつくとは思うが、この記事では「Aが危険である」とか「Aは健康を害する」とは、実は、一言もいってない。読者が(かってに行間を読んで)「Aは危険だから食べないほうがいい」と判断する(そう判断させる)仕組みになっている。
これでは、食品会社としては訴える訳にはいかないだろう。また、その根拠があまりにも非科学的なので「科学的レベルを落として争うのは得策ではない」と考えているのかもしれない(週刊新潮がそこまで計算に入れてあるとしたら、たいしたモノだが)。
どのような理由であろうと(その理由が科学的であろうが非科学的であろうが)、マスコミが「ある食品を食べるな!」と報道するのは自由である。自由なので、さまざまな情報が提供される、ということを消費者は知るべきだ。間違っても「マスコミが報道するから事実である」とか「専門家が言うからウソじゃない」などとは思わないこと。
ちなみに(話はややそれるが)今回の週刊新潮の記事に対して「非科学的なので報道してはならない」というような報道規制をすべきではない。この程度のことで報道規制を容認すると、将来、さらに重要な「報道の自由」が奪われることにつながる。
今回の騒動で消費者が学ぶべきことは1つ!
「週刊新潮は(少なくとも食情報に関しては)その程度の週刊誌である」ということにつきるだろう。
【※2】 ハザードとリスクのこの解説は、私の独断。一般的な意味と異なるかもしれない。
食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員
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