野良猫通信
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。
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東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
2024年10月5日に、エームズ試験(Ames test)で有名なBruce N. Ames博士が95才で亡くなったとの報告がありました。
Bruce Ames, developer of a simple, widely used test to detect carcinogens, is dead at 95 – Berkeley News
エームズ試験は教科書にも載っているような試験なので、その開発者であるAmes博士が遠い昔の歴史上の人物だと感じられている若い人がいるようですが、比較的最近まで研究を続けられていました。PubMedに収載されている、筆頭著者になっている論文は2021年まであります。
私は学会等で直接お目にかかったことがあるわけではなく専門分野が同じというわけでもないのですが、Ames博士の挙げられた多くの業績を目にし活用させていただいてきたため、ここで改めて紹介したいと思います。
Ames博士を有名にしたエームズ試験は1960年代から70年代に開発された、化学物質の突然変異誘発活性を調べる試験法です。復帰突然変異試験とも言います。
必須アミノ酸であるヒスチジンを合成できない変異をもったサルモネラ菌に、化学物質を与えたときに突然変異がおこって再びヒスチジンを合成できるようになってヒスチジンがない培地でも目に見えるコロニーとして増殖したものを検出します。遺伝子変異をおこす活性が高いほど、コロニーの数が増えるわけです。発がん物質は基本的に遺伝子に変異を誘発するものと考えられるので、発がん性の可能性のある変異原性物質を比較的簡単に検出できるスクリーニングとして広く使われるようになりました。
エームズ試験が広く使われるようになった理由の一つに、Ames博士が試験法のプロトコールや試験に使う突然変異細菌系統を広く誰にでも無償で提供したことがあります。そしてよくある食品や家庭用品中の多様な化学物質がエームズ試験にかけられ、その結果が発がん性の可能性を示すものとしていろいろな化合物の販売停止や開発中止の理由になったのです。
しかしエームズ試験陽性になる化合物は人工の化学物質だけではありませんでした。普通に食べている一般的食品の中にもエームズ試験陽性、つまり突然変異を誘発する化学物質がたくさんみつかってきました。その全てについて発がん性があるかもしれないから避けるべきだというわけにはいかないのです。
そしてAmes博士が次におこなったことは、世界中で行われていた動物実験のデータを集めた、誰にでもアクセス可能なデータベースを作って運用することでした。発がん性の強さプロジェクトCarcinogenic Potency Project といいます。
このプロジェクトによる大きな発見は、それまで想定されていたこととは違って、人工の化学物質のほうが天然物より危険だということは必ずしも言えないこと、発がん物質と言ってもその強さには相当な差があるので、発がん物質だからとにかくダメというような単純な対応はできないということです。
1978年にLois Gold博士と協力して作ったこのデータベースをAmes博士は何と30年も運営され、運営主体は代わったものの世界中で今でも使われ続けています。このプロジェクトの作成したグラフィクスを私はよく使わせてもらっています。
The Carcinogenic Potency Project (CPDB)
そして、アメリカ人が食事から摂取している農薬(植物保護成分)の99.99%(重量で)は天然物で、その多くが安全性試験は行われていない、という有名なPNASの論文もこのプロジェクトの成果です。
Dietary pesticides (99.99% all natural).
この論文では登録農薬のような合成化合物だけを避けたところで安全性にとってはあまり意味がないことを明確に主張しました。これが、かつてAmes博士を化学物質の有害影響を次々に暴く正義の味方のように賞賛していた有機農業や環境保護推進を訴える活動家との決定的な亀裂になりました。
もともとAmes博士は科学者として事実を探求していただけですが、社会運動をしている人たちは自分たちの主張にとって都合の良い時には賞賛し都合が悪くなると離れていったのです。
エームズ試験については、新しい検査手法とその結果の解釈や限界、社会への影響について多くの学術的話題がありますが、学者としてのAmes博士はエームズ試験を絶対視していたわけではありません。
Ames博士は2000年に70才でカリフォルニア大学バークレー校を引退した後もオークランド子供病院研究所(CHORI)で研究を続けていました。80代になっても精力的に論文を発表し続けています。
2021年にACSHのドキュメンタリー(大きな恐怖、小さなリスクBig Fears Little Risks)に出演されていたのを見たのが私にとっては最後の動画です
【Big Fears Little Risks】
(16:53あたりから17:10くらい)
90才を過ぎたAmes博士が、食品に天然に含まれる無数の化合物を食べているのだから、ごく微量の合成の残留農薬を心配する必要はない旨話しています。
エームズ試験は必ずしも発がん性を予測できるわけではないですが、スクリーニングとしては有用なツールです。他に多くの安全性試験データがある場合にはエームズ試験の結果はそれほど重要ではないかもしれませんが、何の情報もない物質についてまず最初に行う試験として、今でも第一選択となります。
例えば新規食品の安全性を評価する場合に多くの国で最初の試験として要求しています。日本でも健康食品のようなものについては、最低限エームズ試験陰性であることの確認くらいは要求してもいいと思います。
明確な効果があるわけでもないのに、わざわざ変異原性陽性のものを毎日摂取したい人などいないでしょう。生産上の品質管理で活用すれば、たとえどんな物質ができているかわからなくても、変異原性のあるカビ毒の混入などの異常がわかるかもしれません。どんな道具でも使い方次第です。
Ames博士のエームズ試験以外の業績も、もっと広く知られるべきだと思います。
東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。
国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。