科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

グリホサート発がん裁判 1兆円の和解金払っても泥沼裁判はつづく

白井 洋一

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先週(2020年6月24日)、ドイツの医薬・バイテク作物の最大手、バイエル社は1兆円超の和解金で、除草剤グリホサートの発がん裁判の大部分を解決すると発表した。時事通信などが「独バイエル、和解金1兆円超の支払いに合意」と伝えた。

バイエルはプレスリリースで「モンサントの遺産訴訟の多くを解決」と強調している。10万人以上に及ぶ原告を抱えるグリホサート発がん裁判だけでなく、別な除草剤ジカンバのドリフトによる周辺作物被害とPCB(ポリ塩化ビフェニール)による水質汚染の集団訴訟も和解金で解決するという。いずれも2018年に買収した旧モンサント社が抱えていた訴訟だ。しかし、これでモンサント時代の負の遺産がすべて清算されるわけではない。6月にはグリホサート、ジカンバをめぐって、別な展開もあり、先行きは複雑で不透明だ。。

●グリホサート発がん裁判

発がん裁判のきっかけは2015年3月、世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)が、グリホサートを「おそらく発がん性の可能性あり」と分類したことに始まる。IARC以外の世界中の研究機関は「表示通りに使用すれば、グリホサートに発がん性なし」と認めており、IARCは極端な条件での危害が1例でもあれば「発がん性あり」と分類するので、見方の違いと専門家筋は冷静に見ていた。

しかし、商魂たくましい米国の弁護士たちはグリホサートを使ったことのある非ホジキンリンパ腫瘍(NHL,白血病の一種)患者を大量に集め、「発がん性と知りながら、表示をせずに販売したのは違法」とモンサントを訴えた。NHLは米国で年数万人の発症があるが、原因ははっきりしない。グリホサートによって発症するという因果関係も今までに一例も立証されていない。

2018年8月、モンサントはバイエルに買収されたため、被告もバイエルに代わった。遺伝子組換え作物を含め、活動家の標的にされやすいモンサントを買収することは医薬品メーカーでもあるバイエル社のイメージ上問題という懸念もかなりあったが、機関投資家(株主)は利益ありと承認した。

素人が判決を下す陪審員裁判で、2018年8月、2019年3月、5月と原告側は3連勝し、賠償額は7800万ドル、2530万ドル、8670万ドルと巨額だ。バイエルはすべて2審に控訴し、現在も係争中だが、勝訴のたびに原告は増え続け、現在12万5千人、さらに予備軍も数万人控えているという。法廷弁護士がテレビ、ラジオで広告を流し、原告候補を大募集した結果だ。

(ここまでの詳細は2019年8月21日の当コラム「どうなるグリホサート裁判 陪審員評決は3連敗だが環境保護庁は発がん性を否定」を参照)

●環境保護庁や裁判所はバイエル社の主張を認める

発がん性の判決は2審で逆転する可能性は十分ある。2020年1月、環境保護庁(EPA)はグリホサートの再更新の中間評価を行い「発がん性なし」と判断している。

6月22日には、カリフォルニア州の控訴審が、「州が義務付けたグリホサート製品への発がん表示は根拠なく違法」とバイエル側勝訴の判決を出している(ロイター通信、2020年6月22日)。

粘り強く裁判を続ければ、2審で逆転できるかもしれないが、時間と費用がかかる。1年に処理できる訴訟件数は多くて20件程度で、何十年、何百年もかかる。最初の判決(2018年8月)で、バイエルの株価は30%以上下落し、今も回復していない。先の見えない裁判を続けていると資産価値は落ちるだけという判断で、今回の和解金に至ったようだ。主要株主も今回の決定をすんなり認めている。彼らにとっては株価(資産価値)がすべてだ。

しかし、今回の和解金ですべてが解決するわけではない。1審が終わった3件は引き続き裁判が続く。和解金を出すのは裁判待ちの原告12万5千人の75%で、総額96億ドル支払う。さらに原告予備軍には、原告と被告推薦の専門家による科学パネルで審査する。そのための費用として12億5千万ドル準備するというもので、裁判は続くのだ。

●ジカンバドリフト裁判

ジカンバはグリホサートとは殺草作用の異なる除草剤で、グリホサートの効かない抵抗性雑草がまん延したため、使わざるを得なくなった。ジカンバの欠点は低濃度でも霧状になって周辺の作物に飛散すると、発育障害を起こすことだ。ジカンバ耐性の組換えワタとダイズが商品化されたため、ジカンバを散布する農家が増えたが、周辺の作物で障害が発生するトラブルが全米各地で起こった。

当然、損害賠償を求めた裁判も始まり、2020年2月15日、陪審員はミズリー州の桃栽培農家に2億6500万ドルの賠償金を命ずる評決を出した。バイエルだけでなく、ジカンバを販売しているBASF(バスフ)社も被告で、両社は2審に控訴した。因果関係がはっきりしない、土壌病害や天候不順が原因だろうと被告側は強気だ。

バイエルは今回、ジカンバドリフト集団訴訟(140人)に最高4億ドルの和解金を用意して、決着させるつもりだ。ただし、2月の陪審員裁判は含まれないため、ジカンバでも裁判は続くことになる。

●ジカンバに新たな試練 控訴審は使用差し止め命令

ドリフトによる周辺作物への被害の他に、ジカンバは新たな問題に直面した。6月3日、連邦控訴審はジカンバの2年間の更新使用を認めた2018年11月のEPAの判断は、環境へのリスクを十分に考慮していないと、販売と使用禁止を命じた(ロイター通信、2020年6月4日)。

訴えたのはドリフト被害にあった農民ではなく、遺伝子組換えでも旧モンサント社を標的に攻撃していた環境・消費者団体だ。バイエルだけでなく、バスフとコルティバ社のジカンバ除草剤製品も禁止の対象となった。

今、雑草防除のためジカンバを散布している最中だ。この時期の判決に農家は混乱し、EPAは緊急措置として、判決の出る前に購入したジカンバは、7月末まで散布しても良いとし、連邦控訴審もこれを認めた。ジカンバはドリフトによる被害防止のため、6月中下旬から使用禁止にしている州が多いので、今年に限っては農家の混乱は最小限に抑えられることになる。

問題は来年以降だ、2018年11月のEPAの決定でも、2019、20年の2年間の限定許可であり、2021年以降の使用は改めて検討することになっていた。今回の判決で2021年のジカンバ使用はかなり難しくなるだろう。もとはといえばグリホサートの使い過ぎで、抵抗性雑草がまん延し、代わりに使わざるを得なくなったのがジカンバだ。グリホサートを乱用せず、正しく使っていればと悔やんでも遅い。抵抗性雑草対策はどうなるのだろうか。

●裁判はまだまだ続く 

6月24日のバイエル社の和解発表はこれから予定されていた大量の集団訴訟対策であり、すでに始まっているグリホサート3件、ジカンバ1件の2審(控訴審)は続く。グリホサートについて私は発がん性なしとしたEPAの決定が支持され、控訴審で逆転判決が出ると思っていた。しかし、ジカンバで、連邦控訴審はEPAの環境影響評価は不十分と判断したように、どう転ぶか分からなくなってきた。最高裁がこのような案件を扱うかどうか不明というのも、裁判の先行きを不透明にしているようだ。

プロの裁判調停人が決めた今回の和解内容を大量の原告が納得するかもわからないらしい。「バイエルの決断はリスクの大きい賭けだ」と法律の専門家は見ている(ロイター通信、2020年6月25日)。

バイエルは今回、1兆円超の和解金を自由に使える自己資金と動物医薬品部門の売却益で賄うという。しかし、大量の集団訴訟の25%は決着がついておらず、控訴審に上がった裁判の決着も見通せない。モンサント時代の負の遺産の清算は思惑通りには進まず、特にグリホサートは今後もメディアの社会面をにぎわすだろう。

●ヨーロッパでもまた争点に

ヨーロッパでもグリホサートはなにかと話題の農薬だ。2017年に5年間の有効期限延長で使用継続となったが、2022年12月に次の更新時期を迎える。2017年も当初は10年間延長の予定だったが、活動家や政治家が盛り上がり、結局5年延長で妥協した(当コラム、2017年12月1日)。

あの時も、2015年のIARCの「おそらく発がん性の可能性」が騒動のきっかけだった。今回の和解金でもグリホサート発がん性の疑惑は晴れないだろう。「やましいことがあるから、多額の和解金を出してもみ消そうとしている」と主張するだろう。

グリホサートやネオニコチノイド系農薬は、あるタイプの活動家・政治家たちの脳を刺激し、一般市民もまともな科学的判断ができなくなってしまう魔法の化学物質のようだ。グリホサート発がん騒動はヨーロッパでも2022年に向けて再燃するだろう。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介