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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

米国 バイテク作物審査システム 33年ぶりの大改正 輸出先とのトラブルは解消するのか

白井 洋一

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2020年5月14日、米国農務省はゲノム編集を含むバイテク技術を利用した農作物の審査システムを改訂した。1987年以来の大改正で、これで一貫性、統一性、効率性が向上し、バイテク作物の開発が進むというものだ。今まで時間とコストのかかっていた遺伝子組換え作物の承認システムを大幅に改善し、非効率、無駄なことはやらないという。

ゲノム編集技術を用いた小規模の変異誘導は評価の対象にしないという米国の方針は2018年に出され、日本でも報道されていたが、今回の最終決定でも変更はない。しかし、米国の場合、ゲノム編集をどう扱うかだけが関心事ではない。1994年、米国で組換え作物の商業栽培が始まってから26年、連邦政府やバイテク開発者を悩ましてきたのは、輸出国での承認の遅れ、未承認品種の市場流出、有機農産物への混入など、主に経済的なトラブルだった。今回の大改訂で、社会経済的問題が改善されるのか探ってみた。

●ここまでの動き

2000年代から農務省はトラブル対策を考えていたが、規制強化派と開発促進派の間でまとまらなかった。2015年7月、連邦政府の科学技術政策局(OSTP)が「バイテク製品の規制や管理について、管轄する3省庁(農務省、環境保護庁、食品医薬品庁)で再検討し、時代に合ったものに改めるべき」と指示を出した。

2017年1月、オバマ政権の最後に、農務省はバイテク農作物の規制に関する改訂案を発表。同時期、食品医薬品庁はゲノム編集技術を使った動物、昆虫、食品について評価の考え方を発表した。

2017年11月、農務省は1月に出した改訂案を撤回し、再検討を開始。2018年3月に、ゲノム編集など新育種技術(NBT)を用いた農作物に関する見解を発表。2019年6月に今回の最終版の基になる草案を発表し、同月、「審査システムを効率化し、技術革新をさらに促進すべき」という大統領令も出された。意見募集や公聴会を経て、今回の決定に至った。

●主な改訂内容

オバマ政権時代に作った案を撤回した最終版であるが、劇的な変化があったわけではない。2017年1月版では、改訂のポイントとして以下の3つをあげている。

(1)アグロバクテリウムなどを使って植物ペストとなるか、あるいは有害雑草化する可能性があるかを判断し、可能性のないものは規制対象としない。

(2)ゲノム編集など新規技術を特別扱いするのではなく、植物ペストかあるいは有害雑草化の観点から、規制対象とするかどうかを判断する。

(3)規制対象となるかならないかを、開発者、申請者に早期に示し、時間とコスト負担を減らす。

これらのポイントは今回の最終版でも基本的に変わっていない。(1)でアグロバクテリウムを使っても、最終産物にリスクがあるかないかで規制対象とするかどうかを決める、規制対象外となった導入形質を別な植物種に用いる場合も対象外とするなど、開発者の負担をより減らした内容になっている。

Q&Aでも、「過去の多くの審査事例をもとに、大幅に合理化、効率化した」と繰り返し強調している。政権が変わったので表紙(法律名称)も含めて一新したものだが、少なくともトランプ大統領による科学を無視した規制の大幅緩和ではないようだ。新しいルールは1年半後の2021年11月から施行される。

●除草剤耐性作物と除草剤の承認時期のズレは省庁間の調整で

私が注目したのは、組換え作物でトラブルの原因になったいくつかの問題が今回の改訂で解決できるのかだ。 2017年1月の改訂版が出た後、当コラム「近未来への備えと直面する現実への対応 米国農務省改定案を深読みする」(2017年3月29日)で、米国のバイテク農業が直面する現実問題を2つ紹介した。農務省の文書でも深刻な問題と強調していた事項だ。

1つは除草剤耐性組換え作物と散布する除草剤の承認時期のズレだ。前者は農務省が、後者は環境保護庁が独立して審査・承認するため、時には、数年単位のズレが生ずる。組換え作物に散布する除草剤は飛散を抑えた新タイプだが、すでに承認されている旧タイプの除草剤を使ったことで周辺農場の作物を枯らすトラブルが相次いだ。

もう1つは海外市場に米国の新しい審査システムが理解されるかという心配だ。隣国カナダとメキシコ、経済協力開発機構(OECD)加盟国へは積極的に情報提供すると強調していたが、受け入れ国側の承認がなければ、組換え作物、食品の輸入は拒否され、返品されるというトラブルからの教訓だ。

これらの解決策はどうなったのだろうか。農務省は今回の改訂とともに、PEIS(Programmatic Environmental Impact Statement、要領に基づく環境影響評価書)を発表した。

付属資料込みで478頁の大部だが、なにも対策をとらなかった場合(法律を改訂しない)と優先的代替オプションをとった場合(今回の改訂)で、さまざまの分野の影響を比較している。

総合まとめ(ES)は全27頁で比較的コンパクトにまとまっている。除草剤耐性作物と除草剤の承認時期のズレはES18-19頁で、商業利用できる時期を省庁間で調整することにしたと書いてある。しかし、農務省と環境保護庁が独立して審査するシステムは違法ではなく、これからも続く。問題は違法に除草剤を使用した農家の側にあると書いてあり、役所側に反省は見られない。

●輸入国や有機農業とのトラブルは解消するか

問題は米国の新しいシステムを輸入国が理解し受け入れるかだ。米国の規制システム改訂を報じたロイター通信(2020年5月14日)も、記事の最後で「組換え作物でも中国の承認には時間がかかり、米国のメーカーと農民には不満が募っていた」と今後のトラブルを予測している。

今、中国とは関税戦争だけでなく、新型コロナウイルス発生責任も絡み、米中関係が悪化することはあっても良化は期待できない(少なくともトランプ政権では)。欧州連合(EU)とも組換え作物・食品の承認の遅れ、未承認品種の微量混入による貿易トラブルがあり、最近はゲノム編集応用食品の扱いでも、米国の方針と正反対の立場をとっている。貿易相手国の理解では、中国とEUが最大の難関となる。PIESではこの点をどのように評価しているのか。

「(試験栽培中)の未承認品種の流出、輸入国未承認品種の低レベル混入」(ES11-12頁)と「国際貿易」(ES26-27頁)で分析している。未承認品種によるトラブルは頻度は低いが、これからも起こりうる経済的トラブルとして、問題が起きたら対応するようだ。絶対にトラブルを起こさない対策はないので現実的だ。新しいシステムを輸入国が受け入れるかは3つの可能性がある。

(1)米国の審査システムを受け入れ、同じ基準で審査する。

(2)輸入産物ごとに一件ずつ審査する(時間はかかるが最終的に受け入れる)。

(3)米国のシステムを受け入れず、輸入拒否される。この場合、市場が混乱し、輸入国、輸出国の関連業者がともに経済的損失を被り、輸入国の消費者も価格上昇で不利益になるとしている。

米国内の有機農業への組換え作物の混入についての記述もおもしろい(ES10-11頁)。非組換え栽培や有機栽培では、組換え産物の低レベルの混入で経済的問題はあると認識している。しかし、2011~2015年の農務省調査で、有機農家で組換え産物混入トラブルを訴えた農家は0.1~0.7%であり、被害額も少ない。商業栽培されている組換え作物はトウモロコシ、ワタ、大豆、菜種、テンサイ、アルファルファに限られており、小麦、大麦、イネ、ソルガムなどに商業栽培品種はない。国内では組換えと非組換え栽培に特別な対策は取らず、事例ごとに対応すれば十分という考えのようだ。

●米国の主張はほぼ正論なのだが

輸入国側の対応でも、(3)の受け入れ拒否を避けるため、各国の規制の調和が必要と強調しているが、米国が譲歩するのか、高圧路線で進むのかは読み取れない。米国内での有機農家との共存、すみわけ対策でも、「騒いでいるのは一部の農家とメディアだけ」で、「実際件数や損害額は小さいのだ」と言いたいのかもしれない。

今回の改訂案は、組換え作物の商業栽培が始まってから、多くの安全性審査をこなしてきた農務省の知見と経験からのもので、科学的に間違った評価、分析は少ない。一点あげれば、抵抗性雑草や抵抗性害虫の出現を化学農薬でも起こりうる現象で、組換え作物特有の問題ではないと断言しているのが気になる。特有の問題でないのはその通りなのだが、同じ殺虫特性や除草剤を用いる作物を広大な面積で同時に使う栽培システムが問題なのだが、これにふれていないのは残念だ。

今回の農務省の発表は、ゲノム編集の扱いや規制対象の緩和だけが注目され、PEISの内容はほとんど注目されない。通読して、「正論だけど、EUや中国はすんなり受け入れないだろう」というのが私の感想だ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介