科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

ゲノム編集技術をめぐる動き活発 ヨーロッパの作物は遺伝子組換え同様の規制 国際会議は遺伝子ドライブの規制強化へ

白井 洋一

キーワード:

 前回(7月5日)のコラム「ゲノム編集技術の法的規制~食品、医療、遺伝子ドライブ~用途別に落ち着いた議論を」のタイトルに書いたような出来事が7月に集中して起こった。

 いずれもキーワードは「ゲノム編集技術」。DNA切断酵素システムを使って、標的とする遺伝子を正確に取り除いたり導入する先端技術だ。しかし、食品、医療、環境と応用分野はさまざまなので分けて考える必要がある。今回は4つのできごとを簡単に紹介し、その後の動きは改めて個別にとりあげる。

1)ゲノム編集作物の扱い方 環境省で検討始まる
 7月11日、環境省主管の「遺伝子組換え生物等専門委員会」が開かれ、ゲノム編集技術を使った生物が、遺伝子組換え生物に該当するかどうか、つまりカルタヘナ議定書担保法の適用対象となるかどうかの検討が始まった。

 環境省から、ゲノム編集技術によって作られた生物の規制対象範囲の素案が示された。クリスパーやターレンなどのDNA切断酵素システムを使っても、切断(変異誘導)するだけで、新たに遺伝子を導入しない場合は、カルタヘナ法の規制対象外となるという見解だ。専門委員会はこの考え方を基本的に了承し、委員会の下に、「ゲノム編集技術等検討会」を作って詳細を詰めることになった。技術検討会は秋までに2回開き、「科学的な線引き」、「規制対象外とした生物のフォローアップ」などが検討される予定だ。フォローアップとは、規制対象外と判断した生物のデータ管理などを考えているようだ。

 作物(植物)だけでなく、家畜、魚などの動物も同じ基準で検討する。今回の検討は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の強い要請で始まったものだが、イノベーション会議はカルタヘナ法(環境影響)だけでなく、食品安全規制についても見解を出すよう求めている。厚生労働省の主管で食品衛生法上の検討も始まる予定だ。

毎日新聞(2018年7月11日)

2)ヨーロッパ 小規模変異誘導も組換えと同じ規制対象に
 7月25日、欧州司法裁判所は「ゲノム編集技術を使って変異誘導を導く品種改良は遺伝子組換え生物と同様の規制対象とするべき」という見解を発表した。

 欧州連合(EU)は2010年頃から、新しい遺伝子操作技術を使った作物のうち、外来遺伝子を導入しない場合の扱いをどうするか検討してきた。結論の先送りを繰り返す中、2016年秋に、フランスの農民団体が「変異誘導技術によってできた品種はEUの組換え体の環境放出指令の対象となるのかどうか」と欧州司法裁判所に判断を求めた。

 見解では、「外来遺伝子を導入するしない、最終産物に残っているいないが問題ではなく、改変による環境や健康へのリスクは組換え体と同じと考えるべき」と述べ、「組換え体と同じ規制の枠組みで管理すべき」とした。一方で、放射線や化学物質による変異誘導技術は安全性について長い歴史があるから規制対象外としている。

 つまり変異誘導技術を従来型と(ゲノム編集を使った)新型に分けている。この線引きは科学的にはすんなり納得できないが、環境市民団体は「大勝利」と歓迎している。植物バイオの産業界や学界は「遺伝子組換え冬の時代をまた繰り返すことになる」、「研究は続くかもしれないが、企業は撤退するだろう」と怒りと落胆にあふれたコメントを発表している。

 バイオ関係者が落胆したのは、欧州司法裁の法務官が1月18日に予備的見解として「外来遺伝子を導入しない変異誘導技術は規制対象外にすべき」という解釈を発表していたからだ。

 EUの環境放出指令の対象とするかどうかは最終的には加盟国の裁量に委ねるという含みのある見解だったが、過去に予備見解が大きく変わることはなかったので、今回も産業界、学界、そして欧州委員会(行政府)は「規制対象外になるだろう」と期待していた。しかし、最終判断は5月に出ると報じられていたのが、延び延びになり、まったく逆の判断が出たので、落胆は大きかった。

 この司法判断がEUの最終ルールになるかはまだ分からないが、近年のEUのバイオ食品や農薬をめぐる政治や社会情勢から、巻き返しは厳しい。組換え体と同様の規制を受けることになれば、野外での小規模な試験栽培でも厳重な事前審査を課せられる。試験地も公開されるので、反対派が押しかけ、作物を引き抜き、彼らの行動の正当性をアピールする。企業は嫌気がさし、欧州市場から撤退するだろうというのが、過去20年の組換え体騒動から見えてくる未来予想図だ。

EurActiv (2018年7月25日)
Nature News (2018年7月25日)
ロイター通信 (2018年7月25日)
毎日新聞 (2018年7月26日)

3)生物多様性条約の国際会議 遺伝子ドライブの野外利用規制強化へ

 遺伝子組換え生物の規制を定めたカルタヘナ議定書締約国会議など、生物多様性条約関係の国際会議が今年11月にエジプトのシャルム・エル・シェイクで開かれる。本会議の準備会合が7月上旬にカナダ・モントリオールで開かれた。会議名は第22回科学技術助言補助機関会合(SBSTTA22)で英語の略称から「サブスタ」と呼ばれている。

 本会議は2年に一度開かれるが、サブスタはその間に1、2回開かれ、本会議で採択する文書の中味を調整する。規制強化を主張する途上国側と反対の先進国側など、それぞれの立場を激しく主張し、緊迫するのは本会議と同じだ。

 環境省の会議結果報告(2018年7月19日)ではまったく触れていないが、サブスタ22ではゲノム編集技術の応用への危機感が高まり、遺伝子ドライブの規制強化が11月の本会議に提案されることになった。

 遺伝子ドライブとは、改変した遺伝子を組み込んだ生物が交配によって、ねらった遺伝子を集団内に急速に広げることができる「遺伝子浸透、置き換え」だ。ねらった遺伝子だけを効率的に操作できるゲノム編集技術の普及で現実味が増し、現在、マラリア媒介蚊の駆除や島に侵入した外来ネズミの根絶などが計画されている。しかし、ある種の集団全体を根絶したり、集団の性質を一色に変えてしまうことは、生態系のバランスを崩し、人間にとっても思わぬ不利益が起こる可能性がある。

 前回(2016年12月)、メキシコでの生物多様性条約会議では、遺伝子ドライブは正式議題として文書化しなかったが、その後のゲノム編集技術の急速な発展から、「遺伝子ドライブを含む合成生物(学)の野外での利用を事前に評価すること」を2018年の本会議で議題にすることが決まった。

 遺伝子ドライブだけでなく、合成生物(Synthetic Biology)も登場するためややこしいが、コンピューター工学を駆使して人工生命を合成する合成生物も生物多様性条約の中で、規制の対象とすべきか、組換え体とどこがどう違うのかなどで議論が続いている。7月のサブスタ22では、「すべての合成生物を規制対象とする」や「ゲノム編集によってできた合成生物」という表現の採用は見送られた。あくまで遺伝子組換え体(LMO)のリスク評価とリスク管理の範囲で「遺伝子ドライブを含む合成生物」を事前評価することで合意したのだが、11月の本会議ではさらに規制の範囲を広げようとする側と、過剰規制を懸念する側の対立が予想される。

 それにしても、環境省はサブスタの結果報告をプレスリリースしているのに、ゲノム編集など最新の遺伝子操作技術の規制に関する世界の動きをまったく伝えないのはなぜなのだろうか。

参考 前回(2016年12月)のメキシコでの国際会議
生物多様性条約締約国会議 合成生物学、デジタルシーケンス情報、遺伝子ドライブ 新ネタ続々登場で盛り上がる」(2016年12月26日)

4)標的部位周辺でも予想外の塩基配列消失や再構成の可能性
 ねらった部位を正確に操作できるのがゲノム編集技術のセールスポイントだが、標的以外の部位を誤って切断する可能性(オフターゲット)が最大のリスクとして指摘されている。オフターゲットではなく、標的部位のすぐ近くでも、予想外の塩基配列の消失や別な配列が組み込まれる可能性を示唆する論文が、7月16日、Nature Biotechnology誌(電子版)に載った。

 オフターゲットのリスクは今までも多く指摘され、救済策もいくつか発表されているが、標的部位近傍でのリスクを指摘した例は少ない。クリスパー/キャスナインを使っているので、Nature News日経バイオテクなどで広く報道された。小規模の塩基配列の操作では問題にならないが、複数の遺伝病治療を同時に行う場合には大きなリスクになる可能性がある。これから技術の発達で克服される可能性はあるが医療への応用では重要だ。この論文の中味の信頼度はまだはっきりしないが、医療での応用はまだまだ慎重にという警告とみるべきだろう。

● 日本はEUの動きに影響されるか

 紹介した4つのできごとの中では、EUの今後がもっとも注目される。米国、豪州、アルゼンチン、ブラジルなどは外来遺伝子を導入せず、小規模な変異誘導による品種改良は、組換え体とはみなさないとする方針で、日本もこの方向を採用する予定だ。組換え食品・作物の反対運動をリードしてきた日本の消費者団体は、ゲノム編集食品にも反対で規制と表示を求めているので、今回の欧州司法裁の見解は追い風だ。「日本もEU並みの規制を」と要求するのだろうが、世間全般はどのような反応をするのか。一般の消費者だけでなく、食品流通や食品製造業界がどちらを向くかも大きいように思う。

 EUでは7月25日の司法裁の見解を紹介する際、ゲノム編集は危険で不安定な技術だと、16日のNature Biotechnologyの論文を引用する記事もあった。食品と医療の違い、操作する範囲の違いなどを、専門家はきちんと分けて説明しなければならない。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介