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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

ゲノム編集技術の法的規制 ~食品、医療、遺伝子ドライブ~ 用途別に落ち着いた議論を

白井 洋一

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遺伝子組換え生物の環境影響評価は、法律(カルタヘナ議定書担保法)によって環境省が管理している。ゲノム編集など新しい遺伝子操作技術で作られた生物がこの法律の対象となるのかならないかも、環境省が中心になって決める。

 2018528日の中央環境審議会自然環境部会(35) で、ゲノム編集の概念を整理し、カルタヘナ法の対象となるかどうか検討することが決まった。

ゲノム編集とは、DNA切断酵素システムを使って、標的とする部位の遺伝子を正確に取り除いたり、導入する技術だ。2年前の当コラム「ゲノム編集技術応用へのハードル 医学では生命倫理だが農作物や魚では?(20161012)で紹介したように作物や家畜の品種改良や遺伝子病の治療など応用場面はさまざまだ。

有望な技術として期待されているが、技術的なリスクや悪用される危険もある。リスクとしてあげられるのが、標的以外の部位を間違って切断する可能性(オフターゲット)だ。悪用や生態系への影響が心配される例としては遺伝子ドライブがあげられる。

遺伝子組換え生物、遺伝子組換え食品反対運動が根強いヨーロッパでは、ゲノム編集の扱いでも、冷静な判断が期待できない政治問題になりそうな状況になっている。日本はそれほどでもないが、遺伝子組換え食品反対運動をリードしてきた市民団体やシンパの社会科学系の学者が「ゲノム編集食品反対、危険なことがたくさんある」と主張するようになってきた。

 メディアも推進側の研究者と反対・懸念の団体、学者を並べて紹介する番組や新聞記事が目につくようになった。「日本は法的な規制がないし、準備もしていない」という指摘が多いが、気になるのは、オフターゲットや遺伝子ドライブなどのリスクが、どんな場面で心配されるのか、利用場面に分けた説明が十分ではないことだ。市民団体や社会学者は、「心配なことがたくさんある、なにが起きるか分からない」と不安を煽る。この技術を利用し、推進する側の研究者が、きちんと場面場面にわけて説明するしかない。

 ●作物の品種改良は小規模な変異誘導のみを想定

528日の環境省会議資料「ゲノム編集の概念の整理について」によると内閣府の「バイオ戦略ワーキンググループ」で「ゲノム編集作物がカルタヘナ法の対象となるのか早期に明確にしてほしい」と要望があり、これらを踏まえて、組換え生物等専門委員会のもとに、ゲノム編集技術検討会を設置して検討することになった。

ゲノム編集による作物育種でも、標的の塩基配列を切断して変異を誘導するだけでなく、新たに核酸(塩基や遺伝子)を導入するなどいくつかのパターンがある。資料でも、SDN(Site-Directed Nuclease、部位特異的切断酵素)として3パターンに分けている。新たに核酸を導入する場合は、遺伝子組換え生物扱いとなる。同じ種の核酸を合成して、再導入することも可能で、その場合は「外来遺伝子を導入していないのだからカルタヘナ法の対象外ではないか」という議論も出てくるが、今のところ、そこまでは想定していないようだ。

 バイオ戦略ワーキンググループが要求したのは外来遺伝子を導入せず、小規模な変異を誘導した品種の場合だ(資料のSDN-1にあたる)。「このような品種はカルタヘナ法の対象外になるはず」、「環境省や農水省はきちんと見解を出してほしい」、「先がはっきりしないと研究開発に投資できない」ということだ。控えめかつ切実な要求とも言えるが、農作物の品種改良ではゲノム編集のごく限られた技術の利用しか考えていないとも言える。

 ゲノム編集技術検討会は6月に開催し、秋までに見解をまとめることになっていたが、開始は遅れ、まだ日程は決まっていない。「ゲノム編集はカルタヘナ法の規制対象か否か」だけが注目されがちだが、実際はゲノム編集の一部の「正確な小規模変異誘導技術」の扱いをどうするかだ。農水省や大学はタイやマグロなど魚でもゲノム編集で品種開発をしているが、今回の検討会が作物(植物)限定なのか、魚や家畜も含むのかは今のところはっきりしない。

 ●医療は基礎研究のみ 体内に戻さない

医学では、変異誘導だけでなく、改変した遺伝子を導入する。ゲノム編集によって今まで難しかった生殖細胞や受精初期の胚の改変も可能になったため、生命倫理上の問題が表面化した。遺伝子病治療のため、患者の体細胞に改変した遺伝子を導入する場合、オフターゲットの危険性などの問題が生じる。しかし、最大の問題は生まれてくる子供の受精卵を親の希望で改変しても良いのかという生命倫理だ。

内閣府の生命倫理専門調査会は「基礎研究は認めるが、ゲノム編集で改変した受精卵を母体(子宮)に戻すことは認めない」とする見解をまとめた(107回 2018年3月9)

これに基づき、文部科学省と厚生労働省は基礎研究に関する指針(ガイドライン)作成を5月から開始している。指針ではなく、法的拘束力のある法律にすべきとか、「海外でゲノム編集ベビーを授かった場合、日本での扱いはどうなるのか」といった意見もあるが、第一歩としてはまずは妥当なスタートだろう。

 ●遺伝子ドライブの応用は厳重に管理

悪用や生態系への影響がもっとも心配されるのは遺伝子ドライブだ。人間に都合のよい性質を導入した個体しか、交尾しても生き残れないようにするシステムで、マラリア病原虫を媒介する蚊や外来魚の駆除が計画されている。しかし、理論上は生物兵器のような病原体を拡散することも可能で、ゲノム編集技術の利用を支持する研究者の中にも、「遺伝子ドライブだけはだめ、慎重に」という人が多い。

今までにも、放射線処理や組換え技術によって不妊化したオスの昆虫を大量に放して、地域全体の個体数を減らす試みはあり、成功したものもある。しかし、これらはもともといなかった侵入種を対象に限定した島などの環境でおこなったものだ。マラリア媒介蚊や湖の外来魚の駆除自体は悪いことではないが、近縁種への影響を含め生態系は複雑で未知の部分が大きい。外来遺伝子を導入した遺伝子ドライブは、組換え生物扱いになるので、利用は厳しく審査される。規制対象とならない場合でも、利用目的や放出する場所について、厳しく制限すべきだろう。市民団体や社会学者がよく使う「なにが起こるかはわからない」というフレーズは、遺伝子ドライブに関しては当たっているのだ。

 

●ゲノム編集技術に偏らず、新育種技術のひとつとして検討すべき

ゲノム編集では、CRISPR/Cas9(クリスパ-/キャスナイン)という言葉がよく使われるが、クリスパーはねらった位置に導くガイドRNAで、キャス9DNAを切断する制限酵素を示す。現在のところ、CRISPRの方は不動だが、Casはさまざまなタイプが報告されている。Casの代わりにdead-Casを使い、DNAを切断しない技術も開発されている。これはゲノムを書き換えずに(DNA配列は変化しない)、変異を後代に伝えるエピゲノム編集としての応用が期待されている。2012年にCRIPRが発表されてから、応用、改良競争は目覚ましい。ゲノム編集技術として確立したものではなく、まだまだ発展途上の分野とも言える。

環境省の会議でどんな方向性が示されるか分からないが、ゲノム編集を使った品種改良に限定するのではなく、エピゲノム編集や育種の中間段階で組換え技術を使う効率化技術など、いわゆる新育種技術(New Breeding Techniques,NBT)のひとつとして、案件ごとに検討すべきだと思う。開発者側には「小規模な変異誘導で、外来遺伝子は入っていないのだから、規制対象外とすべき」、「標的外のDNAを間違って切断したとしても、作物の育種ではそのまま商品になって世の中に出るわけではないので安全性の心配はない」という意見の人も多い。理論、理屈で考えれば、確かにその通りなのだが、それですんなりとはいかないだろう。

●作物や魚の食品安全性 何を調べるべきか

消費者や食品業界の注目はやはり食品の安全性だ。環境への影響を管理するカルタヘナ法の対象外なら、食品衛生法上も規制対象外にすべきで落着するとは思えない。組換え食品反対と同じように、市民団体や社会学者はさまざまな懸念や海外の研究例を持ち出すだろう。

では安全であることを示すにはどんなデータが必要なのか?

標的外の部位を誤って切断するオフターゲットがおこっていないことを示すデータは当然必要だろう。さらに、最初のうちは、ほんとは必要ないかもしれない食品安全性のデータも示す必要があるように思う。ただし、データの提出が定番とならないよう、期間限定という条件を付ける必要がある。これがないと、組換え食品と同じように、「過剰規制、過剰審査」が定着してしまうことになる。

●注目は植物代謝系に影響するかどうか

最近はほとんど紹介されないが、組換え食品の安全性審査で重視されるのは、導入された遺伝子が、宿主作物の植物代謝系に影響するかどうかで、3つのタイプに分けている。

1.   代謝系に影響せず、植物の栄養成分は変化しない。

2.   代謝系に影響し、特定の栄養成分が増えたり、減ったりする。

3.   代謝系に影響し、元の宿主が持っていない新たな栄養成分をつくる。

昨年(2017)1222日の食品安全委員会遺伝子組換え食品等専門調査会で「組換え植物の掛け合わせ品種の考え方」として2004年1月に決めた考え方が改めて確認された。 

標題にあるように、組換え品種同士を通常の交雑(掛け合わせ)で新品種を作るときの留意点だが、組換え食品の安全性審査では、たんに遺伝子組換えか否かというより、新たな遺伝子操作によって、宿主作物の代謝系に影響するかどうかに注目していることを再確認してほしい。

いままで商品化された害虫抵抗性のBtトウモロコシや除草剤耐性のダイズなどはタイプ1で、代謝系には影響しない単純な遺伝子導入作物だ。高リシン成分トウモロコシやオレイン酸増加ダイズがタイプ2にあたるが、商業化された品種は世界でも少ない。日本の食品安全審査でもタイプ2の審査は厳しく、要求されるデータも多い。

ゲノム編集を使った小規模変異誘導でも、この観点から、安全性を調べるのも一案だと思う。植物代謝系を大きく変えるのなら、単純な組換え作物よりも「心配な」食用作物ができる可能性もある。また、家畜や魚では、植物のように組換え体での参考事例が豊富ではないので、何を安全性の指標とすべきか決めるのも難しいかもしれない。

繰り返しになるが、市民団体や社会学者は、「心配なことはたくさんある、なにが起きるか分からない」と不安を過度に煽る。この技術を推進する側の研究者がきちんと場面ごとにわけて説明するしかない。

自分の守備範囲の品種改良の説明だけして、「あとは知らない、関心ない」というスタンスか、遺伝子ドライブや生殖医療についてもコメントするのか、人によってさまざまだと思う。人それぞれで良いのだが、組換え食品の審査基準を含め、過去の流れもひととおり把握しておいた方がよいと思う。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介