科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

最近話題のゲノム編集技術 GMO(遺伝子組換え生物)の規制論争も再燃するか

白井 洋一

キーワード:

 一般紙の科学面でもゲノム編集技術がよく取りあげられるようになった。とくにCRISPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)というDNA切断酵素システムを使うと、狙った部位を自在に操作でき、標的遺伝子を導入したり取り除けると話題になっている。Nature誌やScience誌でもゲノム編集、クリスパーの時代と題する特集がひんぱんに組まれている。

 2016年3月11日の日経バイオテクに「環境省がカルタヘナ法の施行状況検討にゲノム編集追加、パブコメ(意見募集)開始」という記事が載った。

 全文は有料会員しか読めないので(会費が高い!)、見だし文だけではなかみが分からない。日本も遺伝子組換え生物の規制対象にゲノム編集技術を加えることになったのかと思う人もいるかもしれないが、そうではない。今回はこの見出し記事の背景と、3月10日に載ったNature誌の「この際、遺伝子組換え技術の規制対象についても議論をやり直すべき」という論説記事を紹介する。

ゲノム編集や合成生物 最新知見と国際動向に注視が必要
 環境省は3月10日に「遺伝子組換え生物の使用による生物多様性確保に関する法律(通称、カルタヘナ法)の施行状況の検討結果」を発表し、パブリックコメントを開始した。

 施行状況の検討はおおよそ5年ごとにおこない、必要ならば法律を改正する。カルタヘナ法は2004年2月に施行され、2009年に1回目の検討をおこない今回は2回目で、昨年11月9日に第1回の専門委員会が開かれ、1月22日の第2回委員会を経て検討結果が公表された。

・組換え生物による国境を越えた移動により生物多様性に損害が生じたときの「責任と救済(補償)」に関する名古屋・クアラルンプール補足議定書を日本が批准する場合、それに必要な国内措置については別途検討する。

 これは当コラム(2015年11月25日)で紹介したが、日本政府は補足議定書批准の準備を進めており、第3回以降の専門委員会で引き続き検討されることになった。

 以下が2009年から2016年2月までの検討状況の結果で、おおむねうまく運用されており、法制度を改正する必要はないが、変化の激しいモダンバイオテクノロジーの世界なので、最新の科学的知見と規制に関する国際動向をしっかり注視し、必要に応じて検討する必要があるとして、おもに2点を指摘した。

・ゲノム編集など新しい育種技術の扱いは緊急の課題だが、最新の知見や国際動向を踏まえ慎重に検討する必要がある。現時点では、案件ごとに規制当局に開発者が事前相談することを周知させる必要がある。

・合成生物は2014年の生物多様性条約締約国会議(COP)の議題に上がったが、カルタヘナ議定書締約国会議(MOP)ではまだで、この委員会で議論する段階ではない。合成生物の定義に関する国際的な作業部会の動向などを見て、今後対応すべき。

 新しいモダンバイオテクノロジーとして、環境省事務局は最初は合成生物しか取りあげなかったが、複数の委員から、「合成生物より、緊急の検討が必要なのはゲノム編集や新育種技術(NBT)だ。今日明日にも開放系利用や商業利用が申請される状況にある」という意見が出された。今回の検討結果はそれを反映したもので、順番も合成生物を後にし、ゲノム編集をより重要課題と位置づけた。「ゲノム編集を追加」という記事を書いた日経バイオテクの記者は毎回専門委員会を取材しているので、このような見出しにしたのだろう。要は米国、ヨーロッパ、国際機関の動きを環境省など規制当局が常にしっかり注視しておくようにという委員からの注文だ。
検討結果の報告書(案) (検討結果は最後の2頁、パブリックコメントは4月8日締切)

遺伝子組換え生物の規制対象も再考すべき
 3月10日のNature誌はゲノム編集、CRISPR/Casの特集で、CRISPR Everywhere(どこにでもクリスパー)、CRISPR Zoo(クリスパー動物園)という記事が並ぶ。編集部の論説は「規制政策、遺伝子組換えについても議論を再考すべき」だ。

 ゲノム編集技術の急展開で議論になっているのが、この技術が今までの遺伝子組換え技術と同様に法による規制対象となるかならないかだ。その背景には規制対象はプロダクト(最終産物)なのかプロセス(途中過程)なのかという論争(対立)があるが、このような2分法は科学的でも合理的でもなく、感情的対立を激化させるだけで、過去の組換え体をめぐる論争の時と変わらないという主旨だ。

 プロダクトベースの規制とは、最終産物に導入した外来遺伝子が残っている産物を対象とし、プロセスベースは最終産物に残存しなくても、途中の生産段階で遺伝子組換え技術を使っているなら規制の対象とする。米国や日本はプロダクトベースの規制だが、ヨーロッパはプロセスベースの傾向が強い。ゲノム編集や新育種技術では、途中の段階で遺伝子組換え技術を使うが、最終的に利用する製品に外来遺伝子が残らないと期待されるものが多い。また、外来遺伝子をまったく使わず、同種生物の遺伝子配列を変化させる変異誘導技術もある。今までも放射線照射や化学薬品処理で突然変異を誘導した育種はたくさんおこなわれているが、これらは環境への影響や食品安全の規制、審査対象にならない。新技術によってできた外来遺伝子のまったく残存しない製品(プロダクト)も当然、規制対象にはならないはずだというのが、開発者、研究者側の主張だ。

 しかし、Nature誌の論説では、プロダクトベース派はプロセスベース派を科学的ではない、感情的というが、プロダクトベースが必ずしも科学的に完璧なものではないと批判している。すべてを規制するのも、すべてを規制対象外とするのも現実的ではなく、出来上がったプロダクトが人や環境にとってリスクがあるのかどうかを考えるべきだという。

日本の研究者も規制対象になるかならないかが最大の関心事だが
 たしかにプロセス対プロダクトの二極化した議論では、また不毛な論争になる可能性があるが、社会科学者を含めた多方面の見方を取り入れるという意見には賛成できない。多様な学者や活動家の意見を取り入れたら、組換え体の時と同じように、自分たちに不都合な真実は見て見ぬふりの言いたい放題になるだけだと思う。

 日本の研究者もゲノム編集や新育種技術を使って多くの研究開発をおこなっている。ゲノム編集で腐りにくい日持ちのよいトマトの開発もやっているようだ。ここで思い出すのは1994年、世界で初めて商業栽培された組換えトマト、フレーバーセイバー(Flavr Savr)だ。植物の細胞組織をしっかり定着させるペクチン質を分解する酵素(ペクチナーゼ)の働きを、組換え技術によって抑制したトマトだ。フレーバーセイバーはトマト由来のペクチナーゼを使っているが、抑制操作に使う外来遺伝子がトマトに残る。

 あれから20年以上が過ぎ、分解酵素の発現と抑制をゲノム編集で操作し、外来遺伝子が残らないようにした。フレーバーセイバーは発売数年で市場から消えたが、食品の安全性に問題があったわけではない。「目に見える形で食卓にあがる作物(Table crop)」として反GM団体が攻撃の標的にし、食品業界が早々に手を引いた。今は組換え作物といえばトウモロコシやダイズがほとんどだが、トマトやポテトでも今までに商業製品として開発され承認されたもので、安全性の問題は世界で一件も起こっていない。新技術が組換え体同様に規制の対象になるのかどうかを心配する気持ちは理解できるが、もし組換え体扱いになったら、実用化、産業利用はあきらめるのだろうか?

 今まで開発された組換え体にどんなリスクがあったのか? どんなリスクが考えられるものは規制の対象とすべきなのか? 外来の導入遺伝子が残る残らないだけでなく、根本的な問題を改めて考える必要ありという視点で、Nature誌の論説を読んだ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介