科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

デング熱 厚労省は正しい基本情報の提供を

白井 洋一

キーワード:

デング熱の感染が続いている。8月27日の初発(3人)から、9月に入り毎日10人前後の感染が確認され、9月16日時点で124人となった。デング熱はそれほど恐れる感染症ではない。人から人へは直接感染せず、今回の患者の症状もすべて軽い発熱程度だ。

しかし、8月27日の初発報道以降、この20日間の厚生労働省と国立感染症研究所の情報提供は必ずしも十分ではない。「重症化するおそれはきわめて低い。蚊に刺されないよう注意しましょう」は正しいのだが、媒介する蚊の生態やウイルス型に関して、きちんとした基本情報を発信していないからだ。

ヒトスジシマカの行動範囲
9月12日、厚生労働省は「デング熱発生時の対応対策の手引き」を配布した。

地方自治体や保健所向けのマニュアルだが、今まで50メートル程度としていた蚊の調査範囲や防除区域を「半径100メートル程度が望ましい」に改めた。

当初、厚労省・感染症研究所は「媒介するヒトスジシマカ成虫の寿命は約30日、行動範囲は半径約50メートル」としていた。成虫寿命は良いとして、「行動範囲はもっと広いのではないか」と思った。

私は蚊やハエなど衛生害虫は専門ではないが、農業害虫の飛翔行動の研究をやっていたので蚊の論文も収集していた。過去の論文を読み返してみた。

英国のPatesとCartisの総説論文「媒介蚊の行動と防除」(Annual Review of Entomology 、2005)では、ヒトスジシマカと同属のネッタイシマカについて次のように書いてある。

「ネッタイシマカは飛翔力が弱く、約50メートルと考えられていた。しかし、成虫に色素を付けた野外実験からメス成虫の一部は半径800メートル以上飛ぶことが証明された」

豪州クインズランド島の実験でも、ネッタイシマカのメスの平均飛翔距離は78メートルで、風向きによっては200メートル以上飛ぶので、殺虫剤の散布範囲は100メートルでは不十分との報告がある(Russellら、2005年、Medical and Veterinary Entomology)。

日本にいるヒトスジシマカでも、長崎大学熱帯医学研究所の研究者が、成虫にマークを付けて再捕獲する小規模な実験を行っている。オスは50メートル以上の移動はなかったが、メスでは67メートルで3例、89メートルで5例と、合計150例のうち8例(5.3%)で50メートル以上飛ぶことが報告されている(高木ら、1995年、日本衛生動物学会誌)。

これらの論文は、感染症研究所の現役の昆虫研究者なら当然知っているはずだし、蚊の飛翔距離に関する研究論文はもっとあるはずだ。 なぜヒトスジシマカは50メートル程度しか飛ばないから防除もこの範囲で良いとしたのかはなはだ疑問だ。

経卵伝染の可能性
私は前回(9月3日)の当コラムで、「ヒトスジシマカは卵で越冬するがそこから生まれた幼虫にウイルス毒性は伝わらない、つまり経卵伝染はしないことが知られている」と書いた。

これは厚生労働省「デング熱Q&A」の医療機関・検査機関向けの回答文を参考にした。

問12の回答は「ヒトスジシマカは卵で越冬します。なお、その卵を通じてデングウイルスが次世代の蚊に伝播した報告は国内外ではありません」だ。なお、問14の回答は「ネッタイシマカではインドの乾季に経卵伝播の可能性を示唆した報告はありますが、その割合はひじょうに低く、次の流行を引き起こすことはきわめて難しいと結論されています」となっている。

ところが、2014年9月8日の毎日新聞夕刊「正しく恐れるデング熱」の記事で、感染症研究所昆虫医科学部の沢辺京子部長の談として「(ヒトスジシマカでも)ウイルス感染した蚊が産む卵のうち、およそ0.9%が感染し、ふ化した蚊もウイルスを引き継ぐことが確認されている」とある。このあと沢辺部長は「経卵伝染の可能性はゼロではないが、冬期の死亡など総合的に考えて翌年ウイルスを持つ蚊が産まれる確率は限りなく低いので安心してください」と言っている。

後半の説明は正しいのだが、「わずか(0.9%)でもある」と「国内外で報告はありません」はちがう。別な組織の研究者がそれぞれ自説を主張するのは結構だが、同じ研究所からの発信では混乱する。細かいことのようだが、きちんと整合性のとれた情報発信をしてほしい。経卵伝染が事実ならQ&Aの回答文も改訂すべきだ。

再感染、重複感染の情報も
前回のコラムでは、「デング熱ウイルスには4つの型があり、別な型に再感染すると出血性など重症化する可能性が高まるのでやっかい」とも書いた。

国立感染症研究所HPの「デング熱とは」では次のように解説している。

「1つのウイルス型に対しては終生免疫を獲得するとされるが、他の血清型に対する交叉免疫は数ヶ月で消失し、その後は他の型にも感染する。この再感染時にデング出血熱になる確率が高くなると言われている」

私は20年前、タイで仕事をしていたとき軽いデング熱にかかった。急な寒気と高熱、筋肉痛が出たので、医者に行ったら、「おそらくデング熱だろう。しかしあんたのは軽い。様子を見て回復しないなら点滴をしよう」と言われた。幸い4,5日で熱も下がり回復したが、何型のウイルスに感染したのかはわからない。

東南アジアや中南米に仕事で長期間滞在し、デング熱にかかった日本人もたくさんいるだろう。何型に感染したか分かっている人もいると思う。厚労省は今のところ、感染者はすべて同じ型と言うだけで、型名は発表していないが、型名を公表してもよいのではないか。さらに再感染のリスクの程度や免疫の持続期間などもきちんと説明してほしい。

くり返すが、デング熱は過度に恐れる感染症ではない。しかし、いたずらに不安を煽る怪情報を抑えるためにも、厚労省と国立感染症研究所は正しい知見にもとづく最新の基本情報を発信してほしい。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介