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執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

野良猫通信

「グリホサート論文取り下げ」のニュース解説

畝山 智香子

雑誌Regulatory Toxicology and Pharmacologyに2000年に発表された除草剤ラウンドアップとその有効成分であるグリホサートの安全性に関する論文が、発表から25年も経って研究倫理上の問題があったとして取り下げられたことが一部で話題になっています。

ScienceInsider
雑誌がモンサントの支援による除草剤研究を「深刻な倫理的懸念」として取り下げ
Journal retracts weed killer study backed by Monsanto, citing ‘serious ethical concerns’ | Science | AAAS
5 Dec 2025 By Warren Cornwall

このことをもってグリホサートの安全性に問題があるかのように主張する人たちもいるようなので、背景と事実を提示しておこうと思います。

●これまでの経緯

取り下げの経緯は、Scienceの記事と雑誌の(共同)編集長Martin van den Berg教授の取り下げ通知
RETRACTED: Safety Evaluation and Risk Assessment of the Herbicide Roundup and Its Active Ingredient, Glyphosate, for Humans – ScienceDirect
によれば以下のようなものです。

この論文(Gary Williamsら、2000)への疑義が提示されたのは2017年、アメリカのラウンドアップを巡る訴訟の中で開示された文書によるものです。論文の執筆にラウンドアップを製造・販売していたモンサント社の従業員が多大な貢献をしていて、論文ではそのことが適切に開示されていないことが明らかになりました。

これを受けて同じ著者(Gary Williams)による、2016年のグリホサートの別の論文については2018年に懸念の表明が行われ追記と修正がなされています。
Journal flags papers, saying authors didn’t adequately disclose ties to Monsanto – Retraction Watch

今回取り下げられた2000年の論文については2017年に著者の所属するニューヨーク医科大学が調査を行った結果、問題はないと結論しています。
Update: After quick review, medical school says no evidence Monsanto ghostwrote professor’s paper | Science | AAAS

それが今回取り下げられることになったのは2025年7月に科学史や社会学研究者のNaomi Oreskes教授らが以下の論文を発表し、雑誌に取り下げを要求したからです。
The afterlife of a ghost-written paper: How corporate authorship shaped two decades of glyphosate safety discourse – ScienceDirect
Alexander A. Kaurov  & Naomi Oreskes

Oreskes教授は他にも企業が関連したとされる論文の取り下げを要求しています。

●いくつかの疑問

「Gary Williamsら、2000」は25年前の論文なので3人の著者のうちの2人は故人です。van den Berg編集長がOreskes教授らの指摘を深刻に受け止め、論文取り下げには普通著者の合意をとるので生存している著者に連絡をとったが返事がなかったために取り下げを決定したと書いてあります。生存してるとはいえ引退してしばらくたっている人に25年前の話をしてすぐに返事がないのはむしろ当然かと思いますし、現在の倫理基準(取り下げ通知に引用されているElsevier の方針は現在のものです)がどこまで遡って適用されるべきなのかについては疑問は残ります。

そして私がこの原稿を書いておこうと思った最大の理由は取り下げ理由の中に日本の資料と思われるものがあげられていることです。

残留農薬研究所

  • Sugimoto K. 18-Month Oral Oncogenicity Study in Mice, Vol. 1 and 2. Kodaira-shi: The Institute of Environmental Toxicology; 1997. Study No.:IET 94-0151.
  • Enemoto K. 24-Month Oral Chronic Toxicity and Oncogenicity Study in Rats, Vol. 1. Kodaira-shi: The Institute of Environmental Toxicology; 1997.


株式会社日本実験医学研究所(その後2003年にSRDグループの一員となった際に 株式会社SRD生物センター と名称を変更)

  • Takahashi M. Oral feeding carcinogenicity study in mice with AK-01. Agatsuma: Nippon Experimental Medical Research Institute Co. Ltd.; 1999.


これらは日本でグリホサートを申請するにあたってそれぞれの組織に委託された試験だと思われますが、van den Berg編集長はWilliamsらの論文がこのような「他の試験」について言及していないことを取り下げ理由のひとつにしているのです。それは行き過ぎた要求だと感じます。

なお日本の申請関係の情報は以下から日本語で参照できます。
グリホサート農薬抄録 – 独立行政法人農林水産消費安全技術センター(FAMIC)
もちろん、グリホサートの安全性に問題があるというデータではありません。

●背景として知っておくべきこと

農薬の申請には企業がお金を出して安全性を立証する必要があります。それは世界中で同じです。企業の行う試験が信用できるものにするためにGLP(Good Laboratory Practice:優良試験所基準)制度が運用されています。GLPの認証は国のしかるべき機関が行っているので、GLPが信用できないという主張は企業への批判ではなくGLP査察を行っている国への批判です。資金源がどこであろうと、GLP認証機関が行った試験は質が担保されているとみなせます。

一方、学術論文では質の担保はピアレビュー(同業者による査読)です。これは甘い場合もあれば厳しい場合もあり、必ずしも万全ではないことは周知のとおりです。

公開されている学術論文と、一般的には公開されない申請のための安全性試験の両方が「科学的根拠の全体像」になると考えられますが、IARCはそのがんハザード評価においてGLP試験は学術論文になっていなければ採用しないという基本方針です。従って申請に用いた質の高いGLP試験を評価の参考にしてもらうためには学術論文の形にする必要がありました。(現在はEFSAのデータベースOpen EFSAのような形で公開されているので論文化する必要はないことになっています。)モンサントがアカデミアの学者にデータを提供して論文にして発表する必要があると考えたのは当然だろうと思います。

そして2017年の裁判文書の公開でモンサントのゴーストライティング疑惑が報道された時、EFSAはグリホサートの安全性への疑問にはならないという旨の声明を発表しています。
Microsoft Word – EFSA statement glypho 23 May 2017.docx
グリホサートの安全性のデータは膨大で、論文はそのほんの一部に過ぎないからです。

実際Oreskes教授の「Williamsらの2000年の論文が安全性の議論において重要だった」と主張する論文の中ですら「この論文はグリホサートについての論文に引用されている学術文献のトップ0.1 %に入る」と書いてあるのです。目を疑いますが0.1%です。これが大勢に影響するようなものではないことは明らかです。(他にWikipediaで引用されていることを影響力が大きい根拠だと主張しています。)

●とりあえずの結論

いずれにせよこの論文取り下げは研究倫理の問題で、グリホサートの安全性に対する疑念にはなりません。

研究倫理は時代とともにより厳しく問われるようになっているものの、その適用はかなりばらつきがあるのが実情でしょう。新しい、より厳しい規則が遡って昔のものに適用されることはないのが一般的だと思います。

執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

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