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執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

野良猫通信

食品中無機ヒ素について(その1/全3回)-ヒジキ

畝山 智香子

2026年2月13日に開催された食品安全委員会第47回企画等専門調査会において令和7年度「自ら評価」案件候補についての審議が行われ、候補として残っていた無機ヒ素について、今年度の自ら評価対象にはしないものの、食品安全委員会において必要な専門家の選択など体制をきちんと整備した上で評価に挑む方向性が示されました。
会議資料詳細

無機ヒ素は日本人の食品中化学的ハザードとしては極めて重要なものなので、少し遡って経緯を説明しておこうと思います。

●ひじきの無機ヒ素

環境中に天然に存在するヒ素がヒトや動物にとって有害であることは古くから知られていました。地下水のヒ素濃度が高い地域がいくつか知られていて、ヒトでの健康被害が記録されてきました。そのため、水のヒ素濃度についての基準はかなり早くから作られていました。この場合のヒ素はほぼ無機ヒ素です。そして長らく公衆衛生の専門家たちはヒ素の問題は飲料水を主な規制対象に考えてきました。

しかし食品中にもヒ素はいろいろな形で存在します。

日本で食品安全委員会ができて以降、食品中のヒ素が比較的大きく話題になったのは2004年に英国FSAがヒジキに含まれる無機ヒ素濃度が高いために食べないようにという警告を出したときです。FSAの発表を受けて他の海外の国でも同様にヒジキの無機ヒ素濃度が特異的に高いことが確認され警告や規制が実施されました。他の海藻や水産物にもヒ素は含まれますが毒性の低い有機ヒ素の形態で存在しています。そしてこのFSAの発表を受けて当時の厚生労働省省医薬食品局食品安全部監視安全課がヒジキ中のヒ素に関するQ&Aを発表しました。

この中で

「WHOが1988年に定めた無機ヒ素のPTWI(暫定的耐容週間摂取量)は15μg/kg体重/週であり、体重50kgの人の場合、107μg/人/日(750μg/人/週)に相当します。FSAが調査した乾燥品を水戻ししたヒジキ中の無機ヒ素濃度は最大で22.7mg/kgでしたが、仮にこのヒジキを摂食するとしても、毎日4.7g(一週間当たり33g)以上を継続的に摂取しない限り、ヒ素のPTWIを超えることはありません。」

と説明しています。

ここで参照しているのは1988年にJECFAが評価した0.015 mg/kg体重/週 (2.1 μg/kg 体重/日)です。
この値が古いもので、FSAが警告している理由である発がん性などについては新しいデータで更新される可能性があることは当時からわかっていました。しかしリスク評価機関である食品安全委員会による評価がまだない状況でリスク管理機関が参照できる値はこれしかなかったのも事実です。

一方で農林水産省は2005年からヒジキのヒ素の低減法などの調査研究を開始しています。
ヒジキに含まれるヒ素の低減に向けた取組:農林水産省

●JECFAの評価の推移

JECFAの1967年の評価ではヒ素の暫定TDIは0.05 mg/kg 体重/日でした。
それが1983年に0.002 mg/kg 体重/日へと引き下げられ、1988年に0.015 mg/ kg体重/週になっていました。

そして2011年の評価ではこのPTWIは最早保護的ではないとして取り下げられ、参照として肺がんの発症が0.5%増えるベンチマーク用量信頼下限(BMDL 0.5 )として 3 μg/ kg 体重/日が提示されました。PTWIは安全であるとみなせる量と解釈できますが、遺伝毒性発がん性と考えられる物質については安全な量は決めることができない、というのが食品中化学物質の評価での一般原則だからです。BMDLはその値からどれだけ離れているかによってリスク管理の優先順位を考える、出発点(POD)となります。一般論として遺伝毒性発がん物質についてはPODとばく露量の比であるばく露マージン(MOE)が10000以上あればあまり心配しなくていいのですが無機ヒ素に関しては2011年の評価でも余裕はほとんどない状況でした。

なおEFSAは、2009年に食品中無機ヒ素は0.3 から 8 µg/ kg 体重/日の間で健康リスクとなるという評価をしました。少し幅がありますがJECFAの評価と重なっています。

そんな中で食品安全委員会は2009年に自ら評価の対象として食品中のヒ素を選定し、2013年に無機ヒ素の評価書を発表しましたが、その評価書では耐容摂取量やBMDのような具体的な数値を示しませんでした。

そのため厚生労働省はヒジキのヒ素についてのQ&Aを更新することができませんでした。少なくとも2011年にJECFAが1988年のPTWIを取り下げたことくらいは追記しておく必要があったのですが、結果的に何も対応されないままになっています。ヒジキのヒ素について、いまだにこの2004年のQ & Aが引用されることがあるのは望ましいことではないです。

このことについて一応釈明しておきますと、少なくとも厚生労働省の基準審査課にはなんとかしたいという意思はありました。しかし汚染物質の担当者はずっと少人数しか配置されず、多くの場合2年程度で異動するので複雑でニュアンスの必要な重大な問題を扱うには無理があります。2013年の食品安全委員会の評価書は、リスク管理の具体的な指標としては使いにくいものだったとしか言いようがないです。

下記に続く

(その2)食品中無機ヒ素についてーコメ

(その3)食品中無機ヒ素についてー私たちはどう対応するか

執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

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