科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

野良猫通信

2025年を振り返って 米国がMAHAの勝利を宣言する

畝山 智香子

波乱の2025年ももうすぐ終わりです。
米国の政権交代で世界の公衆衛生にとってはかつてない激動の年になりました。

The Lancetの2025年最後の号の論説は、2025年は米国の公衆衛生にとって恐怖の年であったとまとめています。
2025: an annus horribilis for health in the USA – The Lancet

しかし当の米国保健福祉省は、その専門家にとっての「恐怖」をMAHAの勝利として讃えています。
Year One of MAHA | HHS.gov

具体的な項目としてはWHOからの脱退、合成食用色素を排除するよう企業に要請したこと、職員の大量解雇、予防接種の義務を外す、妊娠中のアセトアミノフェンの使用が自閉症の原因だと宣言する、といったようなことです。
科学的コンセンサスからはアメリカ人の健康のためになりそうなことは全くないのですが、いつものように自分たちを英雄と描く自画自賛の動画を掲載しています。

●「アメリカの乳児用ミルクは安心できるものになった」とは言えない状況

この中で特に記録しておくべきなのが「乳児用調整乳をより安全にしている」という項目です。Operation Stork Speed(コウノトリスピード作戦)によって乳児用調整乳の基準を見直し選択肢を増やすと主張していますが、その最大のセールスポイントはシードオイル(植物油)を原材料に使わないミルクを売れるようにすることです。Robert F. Kennedy, Jr. HHS長官率いるMAHAアジェンダではシードオイルが健康に悪いことになっているからです。

一方2025年はアメリカの乳児用調整乳の安全性にとって最悪レベルの事件がおこっています。ByHeart社の製造・販売していた乳児用調整乳に関連して、2025年12月時点で51人の乳児が乳児ボツリヌス症で入院したことが確認されています。
Outbreak Investigation of Infant Botulism: Infant Formula (November 2025) | FDA

この件を巡っては

  • 2022年に既にFDAが同社の施設を視察していて問題点を指摘していた。
  • カリフォルニア当局(CDPH)から最初の報告があったとき、CDPHは全製品の回収を指示したのにByHeart社とFDAは事態を軽視してリコール対象製品を限定した。
  • リコールが発表されて暫くたってからもリコール対象製品が販売され続けた。

など数多くの問題点が明らかになっています。
FDA Takes Action to Improve Recall Effectiveness Following Infant Botulism Outbreak Investigation Linked to ByHeart Infant Formula | FDA
December 15, 2025

新たな患者の報告は落ち着いてきたものの、原因究明など調査は継続中で、患者家族からの責任追及の訴訟などがこれから始まるといったところで、「アメリカの乳児用ミルクが安心できるものになった」などと言えるような状況とは程遠いです。

そういう現実におこっている大きな事件すら完全に無視して上手くいっていると称賛するのがMAHAである、ということです。アメリカ政府の公式発表が信頼できないものであることを象徴する件だと思います。

公的機関の発表する公式情報は基本的に信頼できるものとしてリスクコミュニケーションを行ってきた私にとって、本当に驚きの連続でした。

ただアメリカの乳児用ミルクの問題はTrump政権に始まったわけではなく、以前からあったものです。2022年に米国最大手粉ミルク製造企業であるアボット社のスタージス工場で生産された粉ミルクに関連した乳児のクロノバクター感染の可能性から工場の操業停止と製品の回収が行われたのをきっかけに、深刻なミルク不足に陥りました。

もともと新型コロナウイルス感染症やロシアによるウクライナ侵略などで粉ミルクのサプライチェーンが不安定だったところに、大手工場を閉鎖してしまうというFDAの判断が適切だったのか疑問です。クロノバクター・サカザキは環境中に広く存在するため、工場での製造工程だけではなく開封後にも混入する可能性があるため、購入したミルクを家庭で安全に保管し、菌が確実に死ぬように調整することの啓発が不可欠なのです。

ByHeart社はオーガニックで牧草を与えられて育った牛の乳を原料に、遺伝子組換え、グルテン、コーンシロップ、ヘキサンで抽出した油などは使わず、小規模ロットで生産する、質の高い製品であると宣伝していました。2022年の粉ミルク危機以降、政府による供給メーカーの多様化方針もあって売り上げを伸ばしていたようですが、結局それが品質管理の問題につながった可能性があります。
ByHeart | Our Ingredients

(参考:日本語の記事)
粉ミルクで乳児ボツリヌス症、「高基準」掲げたバイハートの信頼揺らぐ – Bloomberg

乳児用調整乳は赤ちゃんの成長にとって必須の成分を過不足なく含み、かつ一般食品よりもはるかに高い安全性と品質管理を要求されるものなので小規模事業者が簡単に参入できるようなものではないです。オーガニックとかパームオイル不使用を消費者向けにアピールするにしても、本当に必要な安全対策は別のところにあることをしっかり理解していないと事故の原因になります。ByHeart社の周辺情報を見る限り、創業者はそのへんが怪しいです。

●WHO等による乳児用ミルクの排斥運動に疑問

そしてWHOやユニセフによる母乳推進運動が、母乳を薦めるだけではなく乳児用調整乳を排斥することを呼びかけてきたことも遠因になっていると思います。新生児や母親の周辺に乳児用調整乳の選択肢を示さない、適切なミルクの作り方を全ての人に知っておいてもらうなどということは論外で、乳児用調整乳メーカーが学術集会などに積極的に関与することも避けるように公式に勧告しています。

結果的に赤ちゃんのミルクについての知識が乏しい人たちが規制や管理、指導に携わることになる。それは必ずしも赤ちゃんにとって望ましい結果にはならないことが示された例でもあります。母乳だけで育てるのが理想だとしても現実的にミルクは必要だし役に立つので排斥は間違いだと思います。

現在欧米で流行中の超加工食品(UPF)排斥と一緒になって乳児用ミルクをUPFだから悪いものだと主張している人たちもいますが、私は一人の母親として、日本で安全な質の高いミルクが安定供給されていることを企業を含む関係者に感謝したいです。母乳のみで育てていても、なにかあったらいつでもミルクを与えられるようにしておくことの何が悪いことなのかと疑問です。

アメリカの今後がどうなるのかはわかりませんが、新たな年をむかえるにあたって、食料安全保障と安全が政治的立場や主義主張によって歪められることがないように望みます。

執筆者

畝山 智香子

東北大学薬学部卒、薬学博士。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長を退任後、野良猫食情報研究所を運営。

FOOCOMは会員の皆様に支えられています

FOOCOM会員募集中

専門誌並のメールマガジン毎週配信

野良猫通信

国内外の食品安全関連ニュースの科学について情報発信する「野良猫 食情報研究所」。日々のニュースの中からピックアップして、解説などを加えてお届けします。