家庭科教育の今
家庭科は衣食住、家族、消費、環境とあらゆる側面に関連する教科です。時代に応じて刻々と変わる家庭科教育の今をお伝えします。
家庭科は衣食住、家族、消費、環境とあらゆる側面に関連する教科です。時代に応じて刻々と変わる家庭科教育の今をお伝えします。
高等学校(家庭科)及び大学の非常勤講師等を経て,2019年度より鹿児島大学教育学系講師。専門分野は教育学,とくに家庭科教育。
家庭科という教科は,衣食住,家族,消費と環境など生活のあらゆる側面と関連する教科です。このコラムでは,人々の生活の移ろいに伴って刻々と変わりゆく家庭科教育の姿を制度や歴史を踏まえてお伝えしていきたいと思います。
家庭科の学習は今も昔も小学校5年生から始まります。多くの子供たちが待ち望んでいるのは何といっても調理実習。皆さんは,小学校の調理実習で何を作ったのか覚えていますか?ゆで卵,野菜サラダ,ご飯とみそ汁…それとも楽しいおやつ作りでしょうか。
●調理実習の料理の順番は指定されているわけではない
実は,家庭科の調理実習で最初に作る料理はこれ,次はこれ,次は…と指定されているということはありません。各学校では「年間指導計画」と呼ばれる計画を作成し,それぞれの教科でどのような学習内容をどのような順序で指導するのかを決めていますが,調理実習でいつ何を作るのかについてもこの指導計画に記載することになります。小学校では年に2〜3回,5年生と6年生の2年間で合計5回程度の調理実習をする場合が多いようです。
指導計画を作成するとき,各学校で家庭科を担当する教師が指針とするのが文部科学省の告示する『学習指導要領』とその『解説』,そして学習指導要領に基づいて編集された検定教科書です。
●教科書で最初に掲載されている調理実習は「お茶のいれ方」
小学校家庭科の検定教科書は現在2冊しか発行されていません(家庭科は教科書の種類が最も少ない教科です)。ひとつは東京書籍,もう一つは開隆堂出版の発行するもので,日本全国すべての小学校でどちらかの教科書が使用されているということになります。
まず,東京書籍『新編新しい家庭 5・6』をみると調理実習についての記載は8ページから始まっています。「まずは家庭科室でお茶のいれ方を学び,家庭でもやってみましょう」とあり,お茶のいれ方を最初に実習するよう示しています。
10〜11ページ(図1)には「1)量る→2)湯をわかす→3)お茶をいれる→4)お茶をだす→5)かたづける」という煎茶のいれ方の手順が茶葉の分量などとともに大きく書かれています。この教科書では,お茶をいれることが最初の調理実習として位置づけられていることがわかります。
一方,開隆堂出版『小学校 わたしたちの家庭科 5・6』ではどうでしょうか。調理実習は「ゆで卵」「青菜をゆでる」からスタートするという位置づけのようですが(12〜13ページ),その直前の8〜11ページには調理実習の準備について書かれていて「湯のわかし方」の記載があります(図2)。ここでは扱いは小さいものの急須で日本茶をいれる方法についても写真とともに紹介されています。
このように,2冊の教科書では構成に違いがありますが,ともに最初に実習するトピックとして「お茶のいれ方」を取り上げているといってよいでしょう。
●お茶のいれ方を学ぶのは何のためか
家庭科の授業は必ずしも教科書の順序の通りに進むものではありません。けれども実際の調理実習も,教科書と同じように最初に行うのはお茶のいれ方という場合が多いようです。
お茶のいれ方を最初の調理実習で扱うのにはどのような意図があるのかというと,本格的な実習に入る前にお湯を沸かしてみることでガスコンロなどの調理器具の使い方を知ることと,やけどなどの事故を防ぐために安全について学ぶことで,この点は2冊の教科書に共通して書かれています。
ところで,お茶のいれ方を通じて調理器具の使い方や安全を学ぶという視点は,かつての教科書にはないことでした。それでもお茶をいれる方法は半世紀以上にわたり小学校の教科書に掲載され続けています。その目的はどのように変化してきたのでしょうか。
●教科書における「お茶のいれ方」の位置づけの変遷
時代を遡って,昭和36年度から使用された家庭科の検定教科書をひもといてみると,現在と同じように茶葉の量,湯の量,湯の温度などが書かれています。しかし,これは最初の調理実習ではなく,お茶のいれ方が書かれているのは後半の「来客のもてなしとほうもん(訪問)」という章です。開隆堂出版も同様で,家庭で来客を応接するための方法としてお茶のいれ方が扱われていたことがわかります(図3)。
家庭科の授業で軽食を作り,お茶とともにいただいた記憶がある方も多いかもしれません。昭和61年度から使用された教科書(開隆堂出版『小学校家庭科5』)では,「家族との団らんでは,わたしたちがすすんでお茶を入れて,楽しくすごせるようにしよう」とあり,お茶のいれ方が書かれています。ここでは来客のためではなく子供たち自身が家族との団らんのためにお茶を飲むことが想定されています(図4)。
そして,平成14年発行の教科書(開隆堂出版『小学校わたしたちの家庭科5・6年』)では現在の教科書と同じように料理のレシピが掲載されているページより前にお茶のいれ方が紹介されていますが,ガスコンロを用いてお湯を沸かす方法の応用例という位置づけも今と同じです。
このように,お茶をいれることの位置づけは戦後の家庭科教科書のなかで変化してきており,平成14年の教科書にはすでに現在に近い扱いがみられることがわかります。
●「お茶のいれ方」のルーツは戦前の修身・礼法にあった
昭和36年度の教科書をみると,お茶をいれる方法は調理実習の主役というよりは,応接のマナーを学ぶ章で副次的に扱われているにすぎません。それもそのはず,戦前の学校教育ではお茶のいれ方に関連する内容は修身や礼法の教科書にあったのです。
文部省編『ヨイコドモ』は国民学校(現在の小学校に相当)1・2年生用の修身の国定教科書で,戦時中の昭和16年から用いられたものです(図5)。「オキヤクサマ(お客様)」という単元では,来客にお茶とお菓子を差し出す子供の姿が描かれています。
また同じく昭和16年発行の国民学校初等科5年生(現在の小学校5年生)向けの礼法に関する書物(礼法教育研究会『国民礼法』)をみると,「第十一 茶菓」では「茶の進め方,飲み方」が文章と挿絵で解説されています(図6)。お茶のいれ方そのものについては触れられていませんが,これらの修身や礼法の教科書のお茶にまつわる記述が戦後の家庭科教科書に影響を与えたことは間違いないでしょう。
なお,来客にお茶をすすめる際の作法については戦時中だけでなく明治期からほとんどの礼法の教科書に記されていることですが,昭和16年は文部省が礼儀作法のマニュアルである「礼法要項」を制定し,礼法教育が修身科の一部として明文化された年でもあります。このような戦時下の礼法重視の機運の残り香が戦後の教科書から感じられるのは私だけではないはずです。
●現代の子供たちにとってお茶のいれ方を学ぶことに意味があるか
話を元に戻しましょう。現在の家庭科の教科書では,お茶のいれ方を実習する主な目的は来客をもてなすことではなく調理実習の準備としてガスコンロの使用方法を確認することでした。
とはいえ,お茶は私たちの生活にあまりにもありふれすぎていて,初回とはいってもお茶をいれるのが調理実習のメインでは子供たちは退屈するのではないかと思う方も多いかもしれません。しかし実際には,お茶をいれたことがない,急須の使い方がわからないという子供たちも多くいるのです。
弘前大学の日景弥生氏による研究は,中学生と大学生について小学校の教科書に掲載されている色々な調理器具の使い方を知っているか,料理ができると思っているかどうかを調べたものです。調査対象者は弘前市とその近隣の居住者に限定されていて,かつ無作為抽出したものでもないため結果をただちに一般化することは難しいですが,調理技能に対する自己評価がどのように変化しているのかを調査結果から推し量ることができます。
調査項目の一つに「緑茶の入れ方」があり,1989年と2007年で小学校卒業直後の中学校1年生(1989年は卒業直前の小学校6年生)と大学生のそれぞれに対し「緑茶を入れる」ことができると思うかどうかを尋ねています。
調査結果をみてみましょう(図7)。中学校1年生では,1989年に「緑茶の入れ方」が「できる」と答えたのは男子96.1%,女子95.4%と,ほとんどの生徒が肯定的な自己評価をしています。しかし2007年では,男子68.8%,女子77.0%と減少しています。大学生はというと,1989年の調査では男子は92.1%,女子は90.0%が「できる」と回答しています。一方で,2007年の調査では男子は59.6%,そして女子は87.6%となっています。大学生の男女差が気になるところですが,いずれにせよ1989年から2007年にかけてお茶をいれることができると回答した者の割合は中学生でも大学生でも急激に減っているようです。
この調査は小学校で家庭科を学んだ「後」の調査ですから,家庭科を学ぶ「前」の実態についてははっきりとはわかりませんが,初めて家庭科の調理実習に臨む小学校5年生にとって,急須でお茶をいれるということは決して当たり前のことではなく,むしろ物珍しい体験である可能性すらあるということです。実際,私が担当している高校生の調理実習でも,慣れた手つきでお茶をいれる生徒がいる反面,おそるおそる急須を手にする生徒を多くみかけます。平成も終わろうとしているいま,同じ調査をしたならば果たしてどのくらいの子供が「できる」と回答するでしょうか。
●これからの調理実習を考える
「お茶をする」という慣用句がありますが,初めて急須を目にする子供にとっても家庭でいつもお茶をいれている子供にとっても,調理実習でクラスメイトとともにお茶をいれて飲むことは,楽しいひとときになります。お茶をいれるのに適切な温度を知ることは科学と料理の関係を学ぶ入り口にもなりますし,日本の伝統文化に触れることもできます。お茶は発展性の豊かな教材といえるでしょう。しかし,お茶をいれるという行為が私たちの生活から消えゆくならば,歴史ある「お茶のいれ方」の実習が他の内容に取って代わられるのは,そう遠くない未来のことかもしれません。
注:過去の教科書など歴史資料から引用する場合,原則として旧字体は新字体に,旧仮名遣いは新仮名遣いに改めています。
引用・参照文献
(〔〕内は公益財団法人教科書研究センター附属教科書図書館・教科書目録情報データベースhttp://textbook-rc-lib.net/Opac/search.htmの目録レコード番号)
高等学校(家庭科)及び大学の非常勤講師等を経て,2019年度より鹿児島大学教育学系講師。専門分野は教育学,とくに家庭科教育。
家庭科は衣食住、家族、消費、環境とあらゆる側面に関連する教科です。時代に応じて刻々と変わる家庭科教育の今をお伝えします。