科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

長村 洋一

藤田保健衛生大学で臨床検査技師の養成教育に長年携わった後、健康食品管理士認定協会理事長に。鈴鹿医療科学大学教授も務める

多幸之介先生の健康と食の講座

添加物のトラウマをもつ高齢者を脅す週刊誌記事

長村 洋一

キーワード:

週刊新潮の記事に、週刊文春、週刊FLASHが反論

 本年5月、週刊新潮が「専門家が危険性を告発 食べてはいけない『国産品」実名リスト」と大見出しで、15年ほど前に世間を騒がせたような記事をだした。d-マガジンで幾つかの週刊誌の見出しをチェックしていて、この記事を見かけたときは、まだこんな記事を書く週刊誌があるものだと、あらためてそのくだらなさを確認した。

 しかし、その後この記事が大好評だとして第2弾が続けられ始めた頃、週刊文春は見かねて「国産品は本当に食べてはいけないのか」および「『週刊新潮』食べてはいけない『国産品』実名リストの罪」と題して2回にわたり、反論記事を出した。

 週刊文春には、私も幾つかのコメントを求められ回答をした。その後も週刊FLASHなどからもコメントを求められたこともあり、週刊新潮の全記事を結果的には熟読させていただいた。

 週刊新潮の特集は第8弾で終了し、その後2回にわたって今度は「『添加物なし』食べるなら安心の『国産食品』はこれだ!!」という記事が掲載された。これなら安心して食べても良いと、幾つもの商品と一緒に紙面一杯の安心食品リストを掲げて、その商品作成の苦労話等が書かれている。

 しかし、この「添加物なし安心食品」の「添加物」とは、合成保存料、発色剤、人工甘味料、うまみ調味料、人工着色料など、問題のない添加物ばかりである。すなわちこの一連の記事で問題としている食品添加物はすべて指定添加物であり、指定添加物こそ安全性の最も確立された添加物で、1974年にAF-2が禁止されて以来問題となって消えたものは一つもない。

 それなのに、その食品添加物を添加された食品から摂取しようとしたら何kgも一度に摂れば起こるようなことが、あたかもリストに挙げられた食品を食べれば起こるように書いている。このような量を無視した非科学的な扇動記事は、昭和の時代に不安をあおる多くの報道にさらされてトラウマを抱えた高齢者にとって、その傷を改めて確認させるような許せない記事であると、憤りを感じている。

●美味しさと見た目の良さは、食品の命である

 週刊新潮の記事は一貫して食品添加物を用いた料理は本物でない上に、危険であるから避けようという姿勢を貫いている。「本物の料理しか料理じゃない」といって、手間暇かけた日常食ができる人がそうするのを邪魔するつもりはさらさらないが、そうできない人たちとってこうした記事は精神的圧力をかける。それは、私の経験から間違いのないことだと考えている。

 たとえば、私が市民公開講座や公民館の講座などで「だしの素を使った味噌汁を作って食べさせたからと言って罪の意識を持つ必要がない」と話すと、その言葉に心が和らいだという感想をいくつも頂く。まじめなお母さんほど、子供に添加物で作った料理を出すことに罪の意識を抱えているようであり、これは精神的に非常に不健康だと確信している。

 また、数年前に連載していた日経BP 社の記事を読んだある方から「『無添加を標榜した回転寿司の無添加の実情が、4大添加物と称して指定添加物の追放のみに重点をおいていてナンセンスである』と書かれた先生の記事を読みました。そこで、小生自身でも調査してみたら、その通りでした。従って、確かに先生のおっしゃるように無添加にする必要などまったくないことが分かりました。となると、今までは、あれほど仰々しく無添加を標榜する回転寿司があるなかで、別な回転寿司に行った時に、この寿司屋はおいしいけれど大丈夫かな?と心配しながら食べていましたが、先生の記事を読んでから自分がいつも行く寿司屋がおいしくて問題のないことが分かって“安心”してゆけるようになり、ますますその寿司がおいしくなりました。」というメールを頂いたこともある。

 このように、「無添加=安心食品」というような感覚にとらわれている人に及ぼしている精神的弊害の大きさこそ問題である。食品添加物が規定量使用されていても、本当に健康に害があるなら、問題提起すべきだろう。しかし明らかに問題のない添加物を問題にすることは、まじめな国民に対する精神的害悪を広げているに過ぎないのではないか。

 私は「おいしい病院食は患者を救う」(ウエッジ社)の監修をしているとき、想像以上においしさと食事の見た目の美しさが大切であるかを実感した。そしてそんな食事を提供しようとするとき、無添加などにこだわることはエネルギーの無駄つかいにつながると確信した。「おいしさと見た目の美しさ」を備えた食品は、健康な食生活を送ろうとする人たちの必須因子である。

 ●記事は、トラウマを抱えた高齢者へのハラスメントでしかない

 私は最近、市民公開講座やもっと小さな公民館の講座などで、比較的高齢者の方とかなり親密な対話をするケースに遭遇している。病気にならないようにと必死に生きている多くの高齢者は本当に何を食べ、どのように生活したらよいか、正しい情報を得ようとしている。そうした人たちに、今回の週刊新潮の記事はとんでもない悪影響を与えている。「先生、やっぱり添加物は危ないんですね」の質問に、その影響が推測できる。私もこんな質問をする方たちとほぼ同じ世代なので、この記事により彼らが被っている精神的被害がよく理解できる。

 私は昭和49年から退職するまで、前任の藤田保健衛生大学において食品衛生学の講義を行っていた。講義を始めたその年にAF-2が、その数年前にはチクロ、バターイエローといった食品添加物が発がん性を理由に使用禁止になったり、化学調味料グルタミン酸ナトリウムの大量使用で神経に影響が出るような報告も出されたりしていた。そして水俣病、ヒ素ミルク中毒事件、イタイイタイ病、カネミオイル事件など化学物質による大きな事件も昭和30年代には起こっていた。従って、私の講義においては、食品添加物は発がん性を始めとして種々の問題を内在していたから、可能な限り避けるべきものとして教えていた。

 その後、平成7年に食品衛生法の改定に伴って食品添加物の在り方が大幅に変えられ、安全性に関するチェックが非常に厳しくなされるようになった。平成7年以後数年にわたっては、特に既存添加物として分類されたが使用実績のない、いわゆる天然添加物は年によっては2ケタのオーダーで使用禁止になっていた。

 こんな状況の中で、私は講義では食品添加物の安全性に関しては相変わらず基本的にネガティブな姿勢を貫いて調べ、絶えず安全性に対する懸念を話していた。しかし、科学(化学)技術に関して時代は確実に進歩、変化をしている。食品添加物もその例外ではない。そして、添加物は使用の仕方によっては、我々の食生活における優れものとして、健康の維持や経済、環境にも大きな影響があることが分かってきた。

 私は講義という自分の仕事のために絶えず新しいことを追及してきてこのような考えになっているが、昭和の頃、最もこの問題を考えた人たちにとって新潮の記事はまさにあの時代に引き戻されることになる。そして8弾まで続けた後で「買うならこれ」と意味もない商品を推奨した記事を出しているが、高齢者として必要な食事は「栄養素として何をどれだけ摂取するか」である。その量と食材が決定されても、おいしくなければ結局は口に入らない。

 安全な添加物でおいしく作られた食品、冷蔵庫にしまい忘れて食卓に少しくらい放置されていても雑菌が増殖しない食品の方が、国民全体にとって重要な食品である。無添加で安全な食品はこれであると勧めることなどは、昭和のトラウマを抱えた高齢者へのハラスメントといってよい。そんな昭和を生き抜いた高齢者は現在、一千万人以上おられる。

 いずれにしても出版社として国民へ正しい情報を伝えようという姿勢は感じられない。食品安全委員会から2度も誤りを指摘されても、単に雑誌を売ることを目的とした姿勢は、昭和のトラウマを有する高齢者を喰いものにするあくどい記事であると考えている。

執筆者

長村 洋一

藤田保健衛生大学で臨床検査技師の養成教育に長年携わった後、健康食品管理士認定協会理事長に。鈴鹿医療科学大学教授も務める

多幸之介先生の健康と食の講座

食や健康に関する間違った情報が氾濫し、食品の大量廃棄が行われ、無意味で高価な食品に満足する奇妙な消費社会。今、なすべきことは?