科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

査読付き論文とは 純粋な科学論文も政治や商売が絡むと

白井 洋一

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 私は研究者だったので「論文」と言えば、匿名の専門家によって審査され、学術誌(学会誌)に掲載が許可された論文のことだと思ってしまう。最近話題の「機能性表示食品」では、消費庁の資料やメディアの記事で、「査読付き論文」という表現がよく出てくるので、ちょっと奇異に感じている。機能性表示食品などいわゆる健康食品の問題はFOOCOM事務局や消費者団体にお任せするとして、学術誌に載った論文にまつわる学問を離れた話題をいくつか紹介する。

論文の査読システム
 査読論文とは、ピアレビューされた論文(peer reviewed paper)のことで、ピア(peer)は同業の審査者を意味し、レフリーと呼ばれることも多い。研究者が論文を学術誌に投稿すると、編集事務局はレフリーに論文の審査を依頼する。レフリーは1人から3人と学術誌によって異なるが2人の場合が多く、いずれも匿名で論文を投稿した研究者にはだれがレフリーをやったか知らされない。

 複数のレフリーがそろって問題なしと判断すれば論文として掲載されるし、レフリーの意見が異なる場合でも、編集事務局が著者に修正を求め、クリアすれば論文になる。複数のレフリーがそろって問題が多い、欠陥が多いと指摘すれば、「この論文は当誌には掲載できない」と却下される。1回却下されたから終わりではなく、別な学術誌に投稿して、別なレフリーが審査して掲載されることもある。ランクの高い学術誌から低い学術誌に投稿先を変えた場合だけでなく、学術誌の性格(編集方針)に合う合わないの違いもある。たとえば、農薬が野生生物に及ぼす影響の論文では、農薬学の学術誌では却下されたが、環境生態学の学術誌ではすんなり許可されるということはよくある話だ。査読された論文として世に出たとしても、それで研究結果が正しい、真実として認められたわけではない。

レフリーも大変 時には逆恨みも
 レフリーに指名された研究者は、原稿をじっくり読んで、研究の目的と結果に整合性があるか、調査数や比較対象など実験方法は適切か、統計処理法は正しいか、得られた結果から飛躍した結論を述べていないか、引用した文献は適切かなどをチェックして、「掲載可、不可、この部分が修正されれば掲載可」などの意見を添えて事務局に送り返す。

 レフリーはたいてい無償の作業だ。投稿者は論文を書くと研究業績にカウントされるが、レフリーを何本やっても業績としては評価されない。今はどうか分からないが、私が独立行政法人(今は国立研究開発法人と改称)に勤めていた頃はそうだった。

 本業の実験や野外調査が忙しいとき、2,3週間以内に対応するようにという論文審査の依頼を何本も受けると正直しんどい。それでも、海外の学術誌から尊敬する研究者の指名でレフリーの依頼を受けたときなど、自分もこの世界で認められているのだと感激し、研究の励みになったことを思い出す。多くの研究者がそうだと思う。

 海外の学術誌に投稿したときはそうでもないが、国内の学術誌に投稿した場合、研究分野の近い同業者は限られるのでレフリーには知り合いも多い。 厳しい指摘の付いた審査結果が戻ってくると、レフリーは誰だ、たぶん彼だろうと詮索してしまう。詮索が当たっていればまだしも、見当違いで、「あいつに論文を却下された」と逆恨みされる場合もある。私も「はやく通してくださいよ」と身に覚えのない年賀状をもらったことがあるが、学者、研究者の世界は狭く、時には陰湿な人間関係を作ることもある。

政治に利用された論文 振り回される論文
 研究者が実験や野外調査の結果を投稿し論文になったものが、研究者の意図ではなく政治的に利用され、社会問題化することもある。2000年代に頻発したヨーロッパ連合(EU)の遺伝子組換え食品・作物の反対の根拠として使われた論文が代表的な例だ。EUでは組換え食品・作物の利用に関する指令(2001/18/EC)で、安全性に問題なしと承認された組換え品種でも、あとから「食品や環境に悪影響を及ぼすことを示す新たな科学的知見が出たら、各国は使用禁止措置を講ずることができる」といういわゆるセーフガード条項がある。これを悪用して、フランス、イタリア、オーストリアなどが、次々と新たな科学論文を根拠に持ち出した。どの論文もどう読んでも重大な悪影響を及ぼすことを実証したものではなかったが、そのたびごとにEUは混乱し、組換え作物の新規承認が遅れた。これらの根拠論文の詳細は、私が農業環境技術研究所在職時に連載したGMO情報や宗谷敏さんのGMOワールド(I,II)でも解説してきたが、科学的な正当性はなく、政治的に利用されたことがどれだけ世間に理解されているか疑問だ。

 研究者が論文を投稿したくても政治や倫理上の問題から、論文として日の目を見ない場合もある。サイエンスニュース(2015年6月19日)は「国際捕鯨委員会の科学委員会、日本の調査捕鯨に科学的根拠なしが大勢意見」と伝えた。

 2014年3月31日、国際司法裁判所は「南極海での日本の捕鯨は科学的に見て調査捕鯨とは見なされない」として豪州の訴えを支持した。6月19日の報道は、これを受けて日本が捕獲数や調査内容を大幅に削減、修正した計画案に対しての意見だが、ここでも「科学研究に必要な調査捕鯨とは認められない」という意見が多くの委員から出された。昨年3月の判決で、ロイター通信(2014年3月31日)は、「2005年以来、日本が調査捕鯨で得た結果をピアレビュー論文にしたのはたったの2本、捕獲した3591頭のうち、論文に使ったのは9頭だけ。これでは科学調査のための捕鯨とは言えないという豪州の主張が認められた」と伝えている。

 査読論文が2本だけが正しいのかは分からないが、日本が調査捕鯨で捕獲した鯨を材料とした論文を、海外の水産学、生態学の学術誌に投稿しても、動物福祉や倫理上の理由から、投稿を受け付けられない場合があるのは事実だ。「鯨肉食、捕鯨は日本の食文化だ。欧米の環境団体は日本の伝統文化に干渉している」と怒る感情論もあるが、問題となっているのは日本が主張する「調査捕鯨」がはたして科学的に必要な調査かどうかだ。科学的であることを証明するための論文を発表する道が閉ざされると袋小路に陥ってしまう。日本の調査捕鯨はきわめて厳しい状況に追い込まれている。

機能性表示食品 科学的根拠としての査読付き論文
 2014年11月4日の消費者庁・消費者委員会本会議(177回)の資料(2-3 part1)を見ると、「食品の機能性表示に必要な科学的根拠の考え方」として2つあげている。

 「最終製品を用いた臨床試験」と「最終製品または機能性関与成分に関する研究レビュー」で、機能性表示食品と名乗るには、これらのうちのいずれかを実施しなければならない。研究レビューについては、「査読付き論文等を肯定的・否定的を問わず総合的に検討し、査読付き論文が1本もない場合や、表示しようとする機能について査読付き論文がこれを支持しない場合は表示は不可」と説明している。

 私はこれを読んで、機能性表示食品として商品化し儲けたい企業、大学、国公立の研究者は効果や機能を肯定する論文を競って量産するのでないかと思った。ねつ造や改ざん、盗用のような悪質な不正論文ではないが、論文1本では弱いから、ちょっとアレンジして2本、3本、別な学術誌に投稿して論文数を増やそうと考えそうだ。 論文書きになれた優秀な研究者なら容易にできるテクニックだ。さらに新規の効能、機能を持つ食品の研究材料を持っているのは開発したグループに限られているので、これを否定するような論文は最初は存在しないだろう。開発に係わったグループ以外の研究者が、客観、中立な立場で機能、効能を試験できるのは、その商品が販売されてそれを購入してからになる。

 消費者庁の考え方を読むと「機能を肯定する査読付き論文が最低1本あれば良い。2本、3本あればなお良い」ということになる。最初に書いたように、私はこの問題に深入りするつもりはないが、「査読付き論文」の扱い方については、ちょっとねえと失笑してしまった。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介