科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

BSE対策見直し(その2)安全な牛肉が食べたいのか、国内畜産業を守りたいのか、それとも米国バッシングが目的?

白井 洋一

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前回のコラムにつづいて今回もBSE(牛海綿状脳症)にまつわる話。

 食品安全委員会の発表した評価書案は分かりにくく説明不足だったが、検査対象月齢を30カ月齢以上にする、30カ月齢未満の牛では、病原体のプリオンは特定危険部位にも蓄積しないので、この部位を除去対象からはずすというのは科学的には筋が通っている。

 さらに検査対象基準の変更は、米国産だけでなく、カナダ、オランダ、フランスからの輸入牛肉にも適用されるのだが、米国産牛肉に対してのみ反発の声が大きい。なぜか?

反対する消費者団体と農業者団体

 日本農業新聞は2012年9月7日の論説「牛肉輸入規制緩和 政治より国民の健康を」で、今回の規制見直し案を強く批判している。

 相変わらず、米国の圧力に屈した、TPP(環太平洋連携協定)参加への道を開いたという論調だが、トレーサビリティ(生産流通履歴の追跡)制度に関する指摘の部分は正しい。論説は以下のように書いている。

 「米国農務省は2010年2月、新たな家畜疾病トレーサビリティ(生産・流通履歴を追跡する仕組み)システムを導入すると発表した。制度への参加は農家の任意ではなく義務とし2011年8月から12月まで、法制化に向け一般から意見を募集した。しかし、その後、どんな意見が集まったのか、1億頭に及ぶ牛のトレサが果たして米国内で義務化されたのか。(食品安全委員会プリオン)専門調査会ではそれすら確認することなく、規制緩和を容認した」

米国農務省 家畜トレーサビリティの新制度とは

 米国農務省は2011年8月9日に「家畜の疾病に関するトレーサビリティ」の新制度案を発表し3ヶ月のパブリックコメント(国民からの意見募集)をおこなった。

 内容は 農畜産業振興機構ニュース(2011年8月16日)で詳しく紹介されている(記事では米国農務省は8月11日、新たな規則案を公表したとあるが、8月9日が正しい)。

 米国では2003年12月に初めてBSE感染牛が確認された。これを受けて2004年から全国規模で家畜トレーサビリティ制度を導入したが、導入が急でトップダウン方式であり、さらに制度への参加は生産者の自主性に任せたため、参加率は約4割と普及しなかった。今回の改定案は、全国一律ではなく、州境を越えて移動する家畜(牛だけでなく豚、羊、鶏なども含む)に限り、個体識別し移動実態の報告を義務化するというものだ。

 制度の段階的な導入や18カ月齢未満の肉牛は対象から除外するなど生産者向けの配慮もあるが、肉牛生産農家の反対は強い。2012年7月11日の米国農業紙でも、「家畜トレーサビリティ制度難航 生産者団体、消費者団体ともこぞって反対」と生産者団体の声を紹介している。システムが複雑で、コストがかかり、実際には実行できない。特に小規模生産者にとって負担が大きすぎるということらしい。当初の予定通り、2012年中にこのシステムが義務化されるかは現時点では不明だ。たとえ義務化されたとしても、州境を超える移動が対象であって、米国全土の生産家畜ではない。

カンサス州立大研究者も指摘 国際市場から取り残される

 米国牛肉は輸出競争力の点で遅れをとるかもしれないと、カンサス州立大の農業経済学者が心配している。「牛の個体識別とトレーサビリティの国際比較、米国にとっての国際競争の意味」と題する論文が2012年1月のフードポリシー(食料政策)誌に掲載された。

 牛肉輸出量の多い主要7か国の個体識別とトレーサビリティ制度の現状と制度導入の目的などを比較している(論文の表1と表2)。

ブラジル:2002年に義務化。輸出用のみが対象で、国内向けの詳細は不明。口蹄疫対策と欧州市場への輸出拡大(再開)のため。

豪州:1999年制定、2005年から義務化。輸出市場と疾病対策のため。

米国:義務化された制度なし。2012年から導入予定だが、州を越えた地域のみ対象で疾病対策が目的。現在の任意のトレサ制度の参加率は約10%と推定される。

ニュージーランド:2006年制定、2011年から義務化。輸出市場と疾病対策のため。

カナダ:2002年から義務化。輸出市場対策(BSE発生が引き金となる)。

アルゼンチン:2007年に義務化、若齢牛のみ対象。口蹄疫対策と輸出市場拡大のため。

ウルグアイ:2006年から義務化。口蹄疫対策と輸出市場拡大のため。

 個体識別とトレーサビリティ制度は国際的な流れであり、主要牛肉輸出国で義務制度のないのは米国だけでもっとも遅れている。トレーサビリティ制度がないことは、BSEの発見や予防という安全面の問題というよりも、海外輸出市場の拡大に向けて将来マイナス要因になる可能性があると指摘している。

 米国にとって牛肉輸出のライバル国は多い。他の輸出国が「わが国はヨーロッパやアジアの消費者の安全安心志向に応えるよう、個体識別とトレーサビリティ制度を採用しています」と強調する戦略をとってくることも考えられる。米国も早く任意ではなく、義務化された制度を作るべきだと提言している。カンサス州は有数の牛肉生産州であり、本気で心配しているようだ。

戦略を間違えた? 日本の畜産団体と消費者団体

 トレーサビリティ制度は、BSEなど家畜の病気の予防対策というより、いったん発病が確認されたとき、発生源を早く特定し、感染拡大を防止するのが主な目的だ。個体識別も全頭検査もおこなわれていない米国で、牛の月齢を正しく判断できるのかという懸念は、米国側が主張するように歯列(永久切歯の生え方)で正確に確認できるので、科学的には解消される。

 米国ではこれまでに4件のBSE発生が確認されているが、最初の2003年がカナダ産の80カ月齢(6年8カ月)で、後の3件はいずれも10年以上の高齢牛だ。こんな高齢牛が食肉市場に出回ることはまずないだろう。また、2012年4月に確認された4例目を含め、後の3件は餌(肉骨粉)を介した感染ではなく、自然発症の非定型BSEであり、餌管理によるリスクもほとんど心配ないといえる。

 消費者がまず望むのは安全だろう。国産、輸入を問わず安全な牛肉が食べたいのなら、今回の基準変更案で問題ない。しかし消費者や消費者団体はそれで満足でも、農業者団体は困る。

 畜産団体は国内産業保護が第一だ。「米国産は危ない、食べたら危険」と輸入禁止、少なくとも、これ以上の輸入拡大を阻止しなければならない。基準見直し案に反対している消費者団体と農業者団体の思わくは必ずしも一致しない。

 国内畜産業の保護が第一ならば、科学的な安全性基準を認めたうえで、米国の研究者も心配しているように、米国の制度の遅れをつけば良い。「なるほど、米国産は科学的には安全でしょうが、個体識別やトレサ制度も整っていない。世界で一番遅れているような国の牛肉は信用されず、だれも買いませんよ」という戦略で攻める方が効果的だと思う。その際、TPP参加問題や反米感情を露骨に出さないことだ。

 しかし、この作戦は無理かもしれない。今回、BSEの検査基準変更に強く反対している消費者団体や農業者団体の多くは、遺伝子組換え食品にも大反対だ。彼らの行動パタンはよく知っているが、論理立てて、結論を導き、目的を達成するために地道に努力するというスタイルではない。何かを標的にして(今回は米国)、相手のすべてを否定し攻撃するやり方だ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というパタン。

 安全な牛肉が食べたいのか? 国産畜産業を守りたいのか? それともTPP問題に絡めて、米国の圧力に屈するなと反米感情をかき立てたいだけなのか? 私には彼らの意図するところがいまひとつわからないのだ。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介