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GMOワールド

英国の底力〜政治の責任力ってこれじゃないの?

宗谷 敏

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 EUの政治と科学の相克を扱った2009年7月28日付EurActiv について、今回は書こうと思っていた。しかし、昨年末書いたきりの英国 が騒がしいので、急遽ドーバー海峡を渡り、英国ウォッチングに切り換えることにした。なお、EurActivの方もなかなか面白いので、是非ご一読下さい。

 09年7月29日、米国「American Journal of Clinical Nutrition」誌に1本の論文が掲載された。FSA(英国食品基準庁)という権威がバックとなって発表 されたこの論文の内容を巡っては、英国を中心に世界中のメディアが沸騰した。

 FSAがLSHTM(ロンドン大学衛生熱帯医学校)に調査委託したのは、過去50年間に公表された162本の関連論文をメタ分析し、有機食品と一般食品との栄養面での相違の有無を調査することだった。

 結果は、主要な栄養素について栽培方法による著しい相違はないから「健康面での効果を期待して高価な有機食品を選択することは、消費者にとって浪費にすぎない」とFSAは指摘した。FASは、有機食品に対してプロでもコンでもないと自らの立場を断りつつ、この調査の目的は消費者の選択に資するためだと説明する。

 英国有機農法の総本山である土壌協会(The Soil Association)やオーガニック消費者協会(OCA: The Organic Consumers Association)は、調べられた論文が英文のみで偏りがあるとし、有機食品の方が部分的な栄養素に勝るという論文を引用して反論したが、FSA発表のインパクトには遠く及ばなかった。

 唯一まともな反論と思われるのは「栄養価よりも残留農薬に対する懸念から、消費者は有機食品を選択しているのだ」という類のものであるが、栄養価の差異という論点にまともに勝負を挑んだものではない。

 いずれにしろ、可視的な多量の科学的データを伴うものだけに、FASやLSHTMに対する正面切っての反論は難しい。FASは当たり前のことを改めて述べたまでだと考える筆者は、むしろこの発表の時期に注目する。

 先ず、気候変動や世界的な食糧価格高騰論議で騒然としていた1年前の英国に時間軸を巻き戻そう。08年7月初旬の北海道洞爺湖G8サミットとほぼ時を同じくして、英国Gordon Brown内閣は、約1年前から準備された「食糧問題」最終報告書(Food Matters: Towards a Strategy for the 21st Century)を 公表 し、食糧戦略のフレームワークを示した。

 この具体化に当たっては「食糧生産の根本的な再考こそ必要とされる」とし、1年後の取り組み報告、持続可能な食料システムのために指針案、「Food 2030」と題された論点整理のオンライン・ディスカッションなどを含む食料システムの未来に関するパッケージ資料が、DEFRA(英国環境・食糧および農村地域省)から発表 されたのが、09年8月10日である。

 さらに09年8月12日には、DEFRAとFSAの共同作業となる「Food Matters」へのフォローアップとして、EUのGM生産と規制システムの畜産部門に与える潜在的影響の分析と英国消費者への帰結的意味などのGMO問題に特化したレポートが追加発表 される。

 これらに触れてHilary Benn環境・食糧および農村地域大臣はBBCラジオでコメントし、GM食品は食糧安全保障に一定の役割を果たす可能性があることを示唆する。この部分だけを強調したメディアは、実はややフレームアップ気味ではあるのだが、一国の「環境大臣」がGMOをサポートするというのは、たしかに事件かもしれない。

 話を最初に戻して、英国内でGM反対運動を展開するGreenpeaceやFriends of the Earthは、運動の過激さから広く一般に支持を得ている訳ではないし、生産的活動とも言えない。しかし、GMOを一方的に敵視する有機農業セクターは、一貫してGMO支持を標榜してきた労働党政権にとって目の上のコブなのは事実だ。

 FSAの有機食品レポートは1つの陽動作戦、後続するDEFRAとFSAの食糧問題関連報告の露払いという見方は穿ちすぎだろうか。おりしも09年7月27日の報道では、1年前反対派によって圃場を破壊されたLeeds大学の耐病性GMジャガイモの試験栽培再開 をDEFRAは支持する。

 さらに、英国政府の本気振りを証明するのは09年7月19日付のGuardian紙 だろう。アフリカの飢え救済に役立つGM開発を中心に、今後5年間で総額100万ポンドの補助金を政府が拠出するというのだ。

 これら英国の動きは、良く書かれた小説の終幕近くで、張り巡らされていた伏線が一斉に立ち上がってくるような感動すら覚えてしまう。思い返せば英国のGM受容は、98年の米Monsanto社によるPRの大失敗からスタートした。国内GM商業栽培を目論んだTony Blair首相率いる前政権は、02年実施したパブリック・ディベートでの不評から一敗地にまみれる。

 しかし、Gordon Brown首相に引き継がれた労働党政権は、ポピュリズムに一切流されることなく、陰に日向に挽回政策を次々に実行していく。気候変動と食糧危機問題は、この作業に大きな求心力を与え(Blair前首相がそこまで予測していたとは思えないので、やはり時の氏神だろうか)、David King卿とJohn Beddington教授という旧・新政府科学最高顧問は、国民に向かってGMOの国家的必要性を諄々と説いた。

 環境は変化しているとはいえ、「Food 2030」が02年のパブリック・ディベートの轍を踏んで、1年後の政府最終結論が後退してしまう可能性もあることは否定できない。GM採用と同じ持続可能性を重視する有機陣営からの巻き返しもあるだろう。しかし、仮にそうなったとしても、英国においてのこの負けは、人事を尽くして天命を待つという納得のいく負け方になるのだ。

 筆者なりの感想を記しながら、それは08年3月17日の拙稿 とまったく同じになることに気がついた。その最後の2パラはこうだ。

 「今、経済・社会のパラダイムシフトに遭遇して、英国は周到に準備してきたGMOのリスクとベネフィットをキチンと開示し、何故GMOの輸入や栽培が必要なのかを国民に対し論理的に問いかけることができる。たとえ結果がどう転んでも、これならば政府はなすべきことをちゃんとなしてきたと評価できるだろう。税金分の仕事は果たされているのだ。

 GMOを商業栽培していない島国という地勢や、声の大きな反対派の激しい活動や有機業界の抵抗、一部地方政府の反乱、一般メディアの無理解という悪条件は、東洋のある国に似通う。しかしながら、その国では『耳目を被い座り込んで思考停止』してきたかに思える空白の10年のために、いまだにGMOの試験栽培さえままならない。その国が、翳りつつある金の力だけを武器にこのパラダイムシフトにはたして耐えうるのかは、筆者の心配のタネである。」(GMOウオッチャー 宗谷 敏)