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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

グリホサート発がん性騒動 混乱さらに深まる

白井 洋一

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2015年3月、世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)が除草剤グリホサートには「おそらく発がん性の可能性」があると発表した。遺伝子組換え作物に広く使われている除草剤でもあり、反組換え、反農薬の市民団体や政党は「やっぱり危なかった、国際機関が認めた」と勢いづいた。今回は4月13日の当コラム「グリホサートに発がん性発表から1年 余波が欧米を揺るがす」の続き。5月16日、WHOと国連食糧農業機関(FAO)が合同で、「グリホサートに発がん性のおそれなし」と改めて宣言したが、あまり効果はないようだ。

FAOとWHOの残留農薬に関する合同会議の結論

FAO/WHO残留農薬に関する合同専門家会議は1963年に設立された歴史ある組織で、作物の農薬残留レベルや一日当たりの摂取許容量などを科学的に評価し、JMPR(Joint Meeting on Pesticide Residues)と呼ばれている。その定期会合が5月9~13日に開かれた。議題は昨年3月、IARCがおそらく発がん性の可能性あり(グループ2A)にランク付けたグリホサートとダイアジノンとマラチオンだ。グリホサートだけが世間の話題になったが、同じように世界で広く使われている有機リン系殺虫剤のダイアジノンとマラチオンはまったく話題ならず、販売禁止や承認取り消し運動も起こらなかった。このことが今回のグリホサート騒動の本質を示している。

JMPRはIARCが発がん性の根拠とした全論文・報告書を含め詳細に審査した結果3つの農薬とも、作物残留を通しての人の健康へのリスク(発がん性、遺伝毒性)はないと判断した。

これは昨年11月の欧州食品安全機関(EFSA)の発表や日本、米国など世界のリスク評価機関の報告と同じ結論で驚くものではない。IARCのランク付けは現実の利用実態を考えない仮想の世界の話なのだが、WHOはていねいにIARCとJMPRの役割の違いなどをQ&Aで解説している。7つのQとAの概要を紹介する。

Q1. 作物残留の健康リスクとはなにか?

A 農薬は作物に散布するが、一部は収穫した作物にも残る。JMPRはこれを食べた人の健康への影響を評価する。

Q2. ハザードとリスクの違いは?

A 人の健康へのハザード(危害)には、発がん性、神経毒性、崔奇形性などがある。IARCはハザード同定(分別)をしている。JMPRは実際に人の健康に及ぼす影響の可能性(リスク度)を評価する。暴露され摂取した農薬の量によってリスク度は異なる。

Q3. なぜWHOにはハザード分別とリスク評価の2つを別にやるのか?

A ハザード分別はリスク評価を行う前のステップでIARCが担当する。次にJMPRが実際の摂取、暴露条件を考慮してリスクを評価する。2つの作業は補完関係にある。

Q4. JMPRの委員はどのようにして選ばれるのか? 人数は?

A 農薬リスク評価の専門家や科学的知見の豊富な専門家から選ばれる。検討課題によって15~35人選ばれる。

Q5. 利益相反(委員と農薬業界の利害関係)については?

A 委員は大学の先生や公立研究機関の研究者であり、大学の先生が研究予算を産業界から得ている場合は注意深くチェックし、問題がある場合委員から除外する。

Q6. 今回の結論と2015年3月のIARCの結論は矛盾しているのか?

A 矛盾していない。 IARCとJMPRは別組織で補完関係にある。IARCがハザードを分別し、そのようなハザードが実際に起こる可能性をJMPRが評価した。IARCは公表された論文と報告書のみで発がん性のハザードを審査し、人への実際の暴露によるリスクは推定していない。JMPRは公表データと非公表のデータの両方から、食物の摂取を介した残留農薬が消費者に与えるリスクを審査する。

Q7. IARCは発がん性のほかに遺伝毒性の可能性も示したが、JMPRは遺伝毒性はないと判断した。なぜ違うのか?

A 遺伝毒性と考えられる化学物質とは、細胞中にがんを発現させる遺伝情報を変化させる物質。IARCは人以外の生物や経口摂取以外の論文も採用している。JMPRは作物、食物を通しての人の健康リスクを評価する。人以外の生物のデータや食物以外からの暴露は重視していない。日常摂取している食物からの暴露では遺伝毒性はないと判断した。

欧州委員会の再承認採択また先送り

メディアはIARCの結論と対立、矛盾すると書きたてているが、WHOの解説は「矛盾はない、評価のやり方、判断基準の違いによるもの」と一貫しており、IARCを一言も非難していない。まさに大人の対応だ。しかし、メディアや欧州の市民団体や政治家は冷静な大人の態度がとれないようだ。

欧州連合(EU)では今年6月末にグリホサートの使用期限が切れる。EFSAは安全性に問題なしとしたが、行政レベルの最終決定が難航している。植物・動物・食品・飼料常設委員会は3月8日に続いて、5月18日の2回目の会議でも採択を見送った。採択に必要な3分の2以上の票数が確保できないと判断したためだ(ロイター通信 2016年5月19日)

本来なら再更新は15年有効だが、欧州委員会は期限を9年間にするという妥協案を出したが、フランスやオーストリアが反対し、ドイツの支持も得られなかったようだ。3分の2以上の票数といっても、1国1票ではなく、加盟国の人口に比例するので、大国フランスとドイツが反対すると有効票に達しない。期限が切れても6か月間の猶予期間があるが、グリホサートが使用禁止になると農業現場は混乱するため、農業者団体は今回の再先送りを激しく非難している(EurActiv 2016年5月19日)

フランスはグリホサートは危険だと強硬に反対しているが、ドイツは連立政権の内部で政党間の意見が対立しているため、仕方なく反対か棄権に回るという政治上の理由からだ。欧州議会は4月13日に15年間ではなく7年間の更新なら認めると妥協案を出しているので、さらに更新期間を短縮するとか、農業利用は認めるが、家庭園芸用、公園用は認めないなど別な妥協案で決着する可能性もある。6か月の猶予期間の再延長や欧州委員会(行政府)による専決決定(デフォルト)も考えられるが、いずれにせよ科学ベースではなく、政治ベースの混沌とした問題だ。

「今のEUは遺伝子組換え作物栽培反対と同じ構図、コインの裏表だ」と伝えるメディアもあるが、そのとおりだろう。遺伝子組換え反対、嫌いな人たちが、モンサント社の除草剤グリホサートを敵対視して反対運動を煽っている。特許の切れたグリホサートはモンサント以外のメーカーからもジェネリック製品が販売されているし、グリホサートが使用禁止になれば、代わりにどんな除草剤を使うのか? より安全な代替品はあるのか? そんなことは考えず、グリホサート叩きは当分つづくだろう。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介