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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

新育種技術(NBT)、ゲノム編集ワールドカップ チームジャパンの戦略は?

白井 洋一

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 効率よく狙った遺伝子を導入したり取り除ける画期的な技術と言われるゲノム編集が話題だ。4月22日の松永編集長のコラムでは「褐色防止、日持ちのよいマッシュルームが米国で非組換え体扱いで承認された」を話題にしている。

 日本でも、4月7日、産業技術総合研究所などの研究者が「低アレルゲン性の卵を産むニワトリをゲノム編集で開発」と発表している。

 ゲノム編集を含む新育種技術(New Breeding Techniques, NBT)と呼ばれるいくつかの技術がマスメディアでとりあげられるとき、注目されるのはこの技術によってどんな製品、産物が誕生するかという中味の問題とともに、法的規制上の問題だ。遺伝子組換え技術を使うけれど、最終産物に外来遺伝子が残らない場合、組換え体の利用を規制している法律の対象となるのか、それとも対象外になるのか。

 4月12日のNature Newsに、「ゲノム編集の進展、米国は規制を再検討」と題する記事が載った。記事では米国の現状だけでなく、世界各国の規制をめぐる情勢として、アルゼンチン、オーストラリア、欧州連合(EU)、日本、カナダ、ニュージーランドを紹介している。日本をとりあげた理由は分からないが、各国の現状をおさらいし、これから日本の研究開発者がとるべき現実的な方向を考えてみる。日本では、家畜や養殖魚でもゲノム編集を使った研究がおこなわれているが、今回は作物(植物)に限定した。

NBT、ゲノム編集に対する各国のスタンス
  Nature Newsの記事をまとめると次のようになる。

米国: 最終産物や導入手法に有害植物(Plant pest)化する遺伝子が関与しているか否かで規制の対象を決めている。これまでに組換え技術を使っていても有害植物となるリスクがないと考えられるものを約30件、規制対象外とした。しかし、これは事例ごとのケースバイケースの判断であり、この技術は対象外、この技術なら規制対象となるというものではない。開発者から相談を受けて規制当局(農務省)が判断する。制度全体の見直しの動きもある。2015年7月、政府科学技術政策局の「時代にマッチした規制と監視制度に変更すべき」との提言を受け、農務省は2月に規制対象範囲や監視制度の在り方について提案しパブリックコメントをおこなった。全米科学アカデミーも4月18日に今後5~10年間で予想される新技術による産品について専門家会合を開く。

アルゼンチン: 2015年、新育種技術(NBT)を使った作物についてケースバイケースで審査する制度を法制化した。

オーストラリア: 2013年、専門家会合で「小規模な単純な遺伝子の削除は規制対象外、遺伝子を導入する場合は(小規模でも)規制対象とすべき」との見解を出すが、その後法制化の動きは進んでいない。

欧州連合(EU): 欧州委員会はNBTの扱い方について数年間議論してきたが、今年(2016年)なんらかの見解を出す予定。

日本: ゲノム編集や法律(カルタヘナ議定書担保法)では組換え作物の定義に入らない産物について公式な見解を出していない(no official stance)。

カナダ: 組換え技術に限らず、新規形質(new traits)を有する作物、食品の観点から審査している。

ニュージーランド: 2013年、環境保護庁(EPA)はゲノム編集による樹木(マツ)は規制対象外としたが、環境団体が提訴し、2014年、高等裁判所は科学的に十分確立された技術ではないと判断しEPAが敗訴。

各国情勢の補足
 Nature Newsの記事を補足する。

(1) 米国の法律改定は新技術の規制対象だけではない。2月に出された農務省の提案では、小規模な変異誘導などは規制対象外とすべきという項目もあるが、全体としてはこれまでの有害植物化の観点からの規制か、有害雑草化のリスクも考慮した規制とすべきか、さらに国家が規制に立ち入るか、立ち入らずすべて開発者責任とすべきかなど4つのシナリオを提案している。すべて開発者責任案は実際にはないだろうが、米国の規制と監視(管理)の問題では、開発途中の未承認品種の食品ルートへの混入と貿易トラブル対策が重要になる。2008年にも農務省は当局による監視強化を盛り込んだ改定案を出したが、関係者の意見が対立し、結局2015年2月に全面撤回している。日本のバイテク研究者は新技術の規制対象だけに注目しがちだが、米国は承認され商品化された後の経済トラブルも考えているので、今回の提案も簡単にはまとまらないだろう。

(2) EUの判断はさらに遅れる。EUは昨年暮れ、2016年3月末までにNBTを使った作物について見解を発表する予定としていたが、予想通り、「発表先送り、期日は未定」となった(EurActiv 2016年3月31日)。たとえ見解が発表されたとしても、過去の組換え体論争のように政治家や活動家が絡み、科学的基準のみのすっきりした判断にはならないだろう。

(3) アルゼンチンの制度は現在の米国のシステム(事前相談、ケースバイケースで判断)に近い。最終産物に外来遺伝子が完全に残っていないことなどいくつかの条件がクリアされれば規制対象外となる。最終産物に外来遺伝子が残らなくても、遺伝子操作によって有害物質が産生される可能性はある程度予測がつくので、開発者も判断する側も慎重になるだろう。事前相談、リスクチェック制度がうまく機能すれば合理的なシステムになると思う。

日本のとるべき道は

 農林水産省は2015年9月に新たな育種技術研究会の報告書を公表した。農水省がNBTに注目し海外動向を調査したり、各国への働きかけを行った理由の一つは、「EUがNBTを組換え体の対象外とする方向」という情報を得たことだったらしい。しかし、EUの決定を待っていたり、EUをお手本になどと考えていてはだめだ。ではどうするか。

 閉鎖系温室での試験栽培が進み、最終産物に安定して外来遺伝子が残らないことが確認された系統は、これらのデータを添えて、規制当局(文部科学省、農水省、環境省、厚生労働省)に今後進むべき道を相談することだ。1大学、1研究機関の研究者だけではノウハウもなく負担も大きいので、学会に専門部会を作るとか、役割分担して折衝窓口を置く必要がある。だれかが先にやってくれるだろうと後ろで様子見では先に進まない。ただしこれは本気で将来野外栽培に持ち込み産業利用、実用化を考えている研究者たちの話だ。

 2013年、厚労省や農水省はデュポン社が育種の途中段階で組換え雄性不稔技術を使うが最終産物には外来遺伝子が残らないトウモロコシの種子生産システム(Seed production technology)を組換え体の対象外とした。「だからわれわれのNBT技術も対象外とすべきだ(するだろう)」と言うバイテク研究者の声をときおり耳にする。デュポン社はそれ相応のデータを規制当局に提出し、対象外(ただし利用場所限定)の判断を得たのだ。日本の研究者も規制対象外の判断を得るにはそれなりの根拠データを提出しなければならないはずだ。その覚悟、準備があるのか? これから2、3年で日本のゲノム編集を含むNBT研究者の「本気度」が試されることになる。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介