科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

グリホサート発ガン性ランク付け騒動その後 IARCは根拠情報を公開したが

白井 洋一

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 今年の3月、世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)が、世界中で広く使われている除草剤グリホサート(商品名ラウンドアップ)を、発がん性評価基準のグループ2A(人に対しておそらく発がん性がある)と発表した。遺伝子組換え作物で使われる除草剤、モンサント社の製品、国際研究機関による認定ということで大きなニュースになった。組換え作物や農薬反対の団体は賞賛したが、世界の研究機関、リスク評価機関のほとんどは、IARCのランク付けに疑問の声をあげた。

 最大の理由は、2015年4月15日の当コラム「グリホサート発がん性ランク付け騒動 諸悪の根源は国際がん研究機関(IARC)の情報隠し」で指摘したように、グループ2Aとした根拠情報が示されないまま、要約のみがリリースされたことだ。「人への影響データは限定的、動物実験データは明確なものがある、詳細情報は後日公開する」と突き放した発表で、欧州でグリホサートの評価を担当し、発がん性を含め安全性に問題なしとしたドイツ連邦リスク評価研究所(BfR)は「詳細データが公表されるまでは何とも言えない。コメントはそれから」と不快感を示した。

 その根拠情報となるIARCのモノグラフ第112巻が7月30日にようやく公表された。

人に発がん性ありとした根拠とは
 IARCの発がん性評価の基準は次のように分類されている。
グループ1:人に対して発がん性がある(人で十分な証拠がある)
グループ2A:人に対しておそらく発がん性がある (人で限定的、実験動物で十分な証拠)
グループ2B: 人に対して発がん性が疑われる(人で限定的、動物でも十分な証拠があるとは言えない)
グループ3: 分類不能 (動物でも証拠不十分など研究報告数が少ない)
グループ4: 人に対しておそらく発がん性がない

 十分な証拠の数や不十分、限定的の定義がはっきり決まっているわけではなく、審査メンバーの「総合的」判断で、グループ2Aになったり2Bになったりすることもある。

 グリホサートの場合は2A評価だったが、人では集団規模で5本、個別事例で14本の研究(論文と公的機関の報告書)が検討され、いずれも人への発がん性を強く支持するデータはなかった(限定的証拠)。

 問題は動物実験の方で、マウスで3本、ラットで7本の研究が検討された。マウスの1本は処理期間が短いなどデータ不十分で採用せず、残りの2本でも尿細管や赤血球反応に有意な差を示す実験群があったが、差のない場合もあるというどちらにも取れそうな内容だが、IARCはこれらのデータを発がん性と強い相関を示したと判断した。

 ラットの7論文の1つはフランスの確信犯的論文製造学者であるセラリーニ教授のものだ。2012年にFood and Chemical Toxicology誌に載って、翌年、出版元から取り消し処分になった論文ではなく、2014年に別な電子ジャーナルに再投稿してよみがえった方を取り上げた。「長期間の飼育実験だが、発がん性試験としては実験方法に不備があり、今回の評価では採用せず」という判断ではあったが、学界ではいわくつきと誰もが認める研究者の「論文」を根拠情報の一つして検討の場にあげたのはどうかと思う。

 4本の研究では有意差なしで、残りの2本の研究で一部の実験群で腫瘍(腺種や癌腫)の発症率が高く、IARCはここでも、発がん性を支持する強い証拠があったと結論している。

マウス、ラットだけでなく環境影響も含め人への発がん性を決めた
 IARCの最終結論を読むと、どうとでも解釈できるマウスとラットの数少ない研究だけから、実験動物に対しては十分な根拠があり、グループ2Aと判断したのではなかった。機械的(mechanistic)研究と他の関連データを総合して判断した結果、グループ2Aとしたのだ。

 他の関連データとは、作業者や農民の血液細胞からグリホサートが検出された報告(濃度や細胞損傷は不明)や、グリホサートの分解代謝物であるアミノメチルリン酸(AMPA)による昆虫や魚類、植物への非標的影響を調べた環境影響研究などだ。AMPAは当初は報告されていなかったグリホサートの分解後の2次代謝物で、新たな予測外の悪影響があるかもしれないと研究は増えている。しかし、野外で実際に有害影響を示す報告は今のところ出てない。たとえあったとしても、人や哺乳動物のデータから人の発がん性の程度をランク付けるIARCが、その他の関連データを大量に動員して、発がんリスク2Aにランク付けするのか理解できない。

欧州食品安全機関(EFSA)の見解は今年後半に
 3月の要約発表以来、IARCはどんな動物実験データを入手して、グリホサートに「おそらく発がん性あり」と判断したのか、楽しみに待っていたが、今回の公開情報を読んで、拍子抜けしてしまった。

 EFSAは7月30日に、IARCから公表があったことを伝えるとともに、我々の公式見解は担当機関のドイツ(BfR)を含め、じっくり検討して今年後半に発表する予定と簡単にコメントした。

 しかし、3月の発表では大々的に取り上げた海外メディアは、モンサントネタなのに、今回のIARCの発表はほとんど取り上げていない。正しい情報を専門家のコメントを付けて解説するSMC(サイエンスメディアセンター)からの発信もなく、似非情報が流されたら即対応リリースを出すモンサント本社もノーコメント状態だ(8月4日現在)。

 外電が配信されないから当然、日本のメディアも記事にしない。これはけっして良いことではない。3月に大々的に流された「モンサント社のグリホサートに発がん性 国際機関が認定」という神話が生き続けるだけだ。

 日本ではニュースにならなかったが、IARCは6月23日にも、 ダウ社の除草剤2,4Dやはるか昔に使用禁止になった有機塩素系殺虫剤リンデンとDDTの発がんリスクを発表している。

 リンデンはグループ1(発がん性あり)、DDTはグループ2A(おそらくある)だが、すでに使用禁止になった農薬のランクを今頃、発表をするのか、IARCのランク付けの意義が問われる。 除草剤2,4Dはグループ2B(可能性がある)の評価だが、現在世界各地で使用されており、先進国で発がん性の心配から使用禁止にしている国はない。この根拠情報もまだ公表されていない。

 モンサント社、ダウ社の個々の製品の問題としてではなく、IARCの発がん性ランク付けシステムそのものについて、業界全体としてどう対応するのか考えるべきだ。メディアが取り上げず、市民団体も騒がないときにどう適切に正確な情報を一般社会に提供するのか、この業界はこの点の対応がまだ弱く甘いと思う。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介