科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

佐藤 達夫

食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員

メタボの道理

「やさしくていねいな説明」って、どういうもの?

佐藤 達夫

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2018年11月7日、東京都で食の安全・安心財団主催の「加工食品の安全と情報」という意見交換会が開催された。この意見交換会は、今年の春から夏にかけて『週刊新潮』が(主として食品添加物を使用した)加工食品を「危険な食べ物」として扱う記事を何度も特集したことに端を発している。

「食品添加物の役割とは何かを科学的にとらえること」を題材にして、「そもそも食の安全とは何かを考えること」が主たるテーマ。

■『週刊新潮』の記事に端を発した意見交換会

冒頭で、主催者代表の唐木英明さんが、『週刊新潮』の特集の内容は、これまでも“いろいろなところで・たびたび”取り上げられる「食品添加物に対する非科学的な攻撃」であり、目新しい内容はまったくといっていいほどになく、科学的に反論しようとすれば容易なものばかりだと分析した。にもかかわらず(それなりに)世間を騒がせた理由は、食に関する安全情報の発信と受信に存在する「バイアス(意見や考え方の偏り)」にあることを解説した。

2人目の講演者は国立医薬品食品衛生研究所安全情報部の畝山智香子さん。「食品の安全とは何か」「食品添加物の安全性をどう考えるべきか」を(いつも通り)切れ味鋭く説明。そもそも「食品とは何か」に立ち返って、冷静に科学的に考える必要性を説いた。基本的には、危険性は「どのくらい摂取すると、どのくらいの大きさになるのか」という「量」の問題を無視してはならない、という内容。「量」を無視する(無知のためあるいは意図的に)と、今回のような週刊誌報道になるし、私たちの「食べる物」がなくなってしまう、という単純だけれども重要な話。

■「わかりやすい」か「非科学的か」のいずれか

唐木さんの解説も畝山さんの解説も、当日パネリストとして登壇した森田満樹さん(FOOCOM代表)、そして山崎毅さん(SFSS理事長)の話も、論理的には「まっとうな内容」ばかりであった。この人たちは(FOOCOMの読者ならご存じのように)普段から、さまざまな機会を通じて「食の安全・安心」に関する情報を積極的に発信している。

にもかかわらず、彼ら(彼女ら)の真意は一般の人たちに必ずしも伝わってはいない。これについては異論があるかもしれないが、今回のような意見交換会が開催されるということは「伝わっていない」ことの証でもあろう。それは、なぜなのだろうか? その原因は簡単には見つからない。簡単に見つかるくらいなら、この問題はとうに解決しているはず。そこで、おそらくは「伝わらない原因」の1つであろう「説明のやさしさ」について考えてみた。

日本でリスクコミニュケーション(略してリスコミ)が盛んになったのはBSEがきっかけなので、もう約20年が経過する。「致命症であるにもかかわらず治療法がない伝染病」として、世界中を大きな混乱に陥れた。日本の政府も学者も、消費者の不安を何とか和らげようと情報提供をしたのだが、原因であるプリオンの概念が難しく、かつ、当事者のコミュニケーション能力・経験が乏しかったこともあって、消費者の不安は一向に収まらなかった。

学者が「正確に」伝えようとすると消費者にはなかなか理解されず、消費者に「わかりやすく」伝えようとすると内容が非科学的になる・・・・この矛盾が解決できなかったのだ。官公庁主催のリスコミには前者が多く、テレビ番組や週刊誌の記事には後者が多い。

他人事のように言っているが、これは私たち報道関係者(や各種団体)にもあてはまる。「自分たちは、今、だれを相手に伝えようとしているのか」をキッチリと自覚できていないのではなかろうか? 「これ以上ていねいにはできない」というつもりで書いたり話したりしているのだろうが、そこに勘違いや独りよがりがないだろうか? つねに自問する必要がある。

■「易しい」と「優しい」は違う!

たまたま手元にあるので「例」に出して申し訳ないのだが、この場で使われた「バイアス」「リテラシー」「アナリシス」「ハザード」等の用語は、説明なしで聞き手に理解してもらえる言葉なのだろうか? この意見交換会の参加者は事業者が多く、一般人(消費者)は少なかったようなのだが、それでも、いま例示した用語を何の説明もなしに理解できる人ばかりだとは思えない。

また、ここではカタカナ語ばかりを紹介したが、もちろん純粋の日本語であってもわかりにくい言葉(説明なしに使うべきではない言葉)はたくさんある。

学会であったり、専門紙であったりする場合には、すべての言葉を(イチイチ)説明する必要はないし、すべきでもない。ケースバイケースなのだが、多くの場合、その「ケース」を主催者や登壇者・執筆者が自分勝手に勘違いしていることが多いように感ずる。そしてそのことが、聞き手に対して「話し手(書き手)は、自分たちに真剣に理解してほしいとは思っていないのではないか」という猜疑心(さいぎしん←この言葉は大丈夫か?!)を、さらには「何かをごまかそうとしているのではないか」という不信感を抱かせる。

逆のケースもある。官公庁主催のリスコミなどで多いのだが、まるで幼稚園児にでも話すかのような「言葉使い」をする役人がいる。たとえば、「きょうは『リスクとハザードは違うんですよ~~』ということをお伝えしようと思っているんです」などという表現だ。これは「やさしく説明する」を勘違いしているケース。聞き手が求めているのは「易しい説明」であって、けっして「優しい説明」ではない。

「知識が充分ではないから聞きに来ている」とはいえ、みな立派な大人である。「ばかにしてるのか?!」と感ずる人は少なくないのではないか。

■聞き手が違えば「中身」も違うはず

「やさしくていねいな」説明というのは、いうほど簡単ではない。明日から、といわれてすぐにできるものでもない。しかし、「対象を正確に把握する」ということくらいはすぐにでもできるはず。

きょうの聞き手(や読者)は一般市民なのか、食品会社の社員なのか、自治体の担当者なのか、報道関係者なのかは、わかるはず。そしてその対象にふさわしい話し方・書き方・資料の用意の仕方があるはず。

ときどき、「同じテーマ」で「異なる対象」に情報提供するリスコミの両方共に参加(取材)することがある。そのとき、情報提供者がまったく同じパワーポイント(PPT)を使用していることがある。これはNG!ではないだろうか。

聞き手が違えば使える用語も違うし、説明のていねいさも異なるだろう。とすれば、仮に持ち時間が同じであってもPPTの中身も枚数も違ってくるはず。中にはPPTを次々にトバシテ、「これは今回は必要ないので説明を省きます」という演者がいる。事情はよくわからないが、多忙であったり、講演料が低かったりすることがあって、他で使ったPPTをそのまま流用しているのかもしれない。それは情報提供者の事情であって、情報受領者にはまったく関係がない。あまり「いい気」はしないし、中には「ごまかされた」という印象を持つ人もあるだろう。

もし何の偏見も持たずに参加した人が、リスコミに参加したおかげで「不信感を抱くようになった」りしたらそのリスコミは失敗だといえよう。リスク管理を担当する組織や人間は、聞き手に理解してもらう説明をすることが「仕事(それで収入を得ている)」である。手を抜くようなことがあってはならない。

執筆者

佐藤 達夫

食生活ジャーナリスト。女子栄養大学発行『栄養と料理』の編集を経て独立。日本ペンクラブ会員

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