環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
(1) 神饌
日本の神社や神棚に供える食べ物のことを神饌(しんせん)、御饌(みけ)あるいは御贄(みにえ)と呼びます。神饌は、神と食事をともにするという考え方から、人間が食べている物や量が供されます。
神饌は、主食の米に加え、酒、海の幸、山の幸、その季節に採れる旬の食物、地域の名産や祭神と縁のあるものなどが選ばれ、儀式終了後に捧げたものを人がいただくことを「直会(なおらい)」と呼んでいます。
一部の神社では、神饌として様々な食材が提供され、中には獣肉や菓子など地域に特徴的なものがあり、特殊神饌とも呼ばれます。春日大社などの特殊神饌の蝋細工の見本は、伊勢市内の皇學館大学の敷地内にある神道博物館で見ることができます。
伊勢神宮(以下神宮)では、10月の神嘗祭(かんなめさい)や6月と12月に催される月次祭(つきなみさい)などの節目や遷宮に伴う神事の際の供される特殊神饌のほかに、毎日二度、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)または常典御饌(じょうてんみけ)とも呼ばれるお祭りで、外宮のいわば神様の食堂である御饌殿(みけでん)において天照大御神や豊受大御神など6座の神様に供えます。内宮には御饌殿はありません。
御饌殿は外宮内院の北東にあり(図1)、北御門口参道から見ることができます(写真1)。この建物は、四隅に柱を使わず、井楼組と呼ばれる横板壁を組み合わせた神宮でも唯一の構造をしています。その板の組み合わせの詳細については「せんぐう館」の展示室6で、また造営過程は展示室5の外宮の模型の御饌殿前のビデオモニターで見ることができます。
(2) 常典御饌のメニュー
明治よりも前、交通も不便で冷蔵設備のない時代の常典御饌の献立は、基本的には水、飯および塩の三種だけという簡素なものでしたが、魚や野菜などが生産地から調進されたときには添えられました。また、節句には、1月15日では粥、3月3日では草餅というように特別の料理が加えられました。
明治以降、献立の数は増えていき、現在は、御飯(おんいい:蒸した米)三盛、御塩(みしお)、乾鰹(ヒガツオ:鰹節)、鯛、昆布、季節の果物、季節の野菜などがハイノキ科の常緑樹であるミミズバイ(神宮ではトクラベと呼ぶ)の葉を敷いた土器(かわらけ)の上に盛られ、それに加えて清酒三献と御水が折櫃に入れられて運ばれます。
折櫃に入れられた食材のレプリカ画像については海の博物館のウェブサイトに掲載されています。御飯、御塩や御箸の下に見えるのがトクラベですが、魚や野菜の下にも敷かれています。
ところで、トクラベを始め、神宮では固有の用語が多く使われ、私も戸惑うことが多いのですが、確かにミミズバイ(果実がミミズの頭に似ているハイノキ(灰の木)という意味)では食欲が湧かないでしょう。ハイノキ科の植物は酸化アルミニウムを多く含み、木灰は染め物の媒染剤として使われたとのことですが、葉には防腐成分などはなさそうで、使われている理由を知りたいものです。神宮の神職であった矢野氏は土器に食べ物がくっつかないためと推測しています。
鯛は夏にはカマスやスルメなどの干物に変わり、昆布の代わりにひじきやあらめが用いられる場合もあります。また、鯛は麻糸で頭と尾を結んで身を反らせ、美味しそうに盛りつけます。野菜は、大根、胡蘿葡(こらふく:ニンジン)、蕃茄(トマト)や松茸など約40種、果物はミカン、モモ、干し柿など約20種のうち季節のもの1種が供され、これには明治後導入されたバレイショやリンゴなど外来作物も含まれています。
このうち、御飯は神宮の水田(神田)で生産された米を忌火屋殿(いみびやでん:写真2)で蒸した強飯(こわめし)、御塩は御塩浜および御塩殿神社内で調製された塩、野菜・果物は神宮の畑(御園)またはリンゴなどについては県外から、魚や乾鰹は特定の業者から調達し、御神酒は白鷹酒造が醸造した清酒、そして御水は外宮内の上御井神社から汲まれた井戸水が使われています。また土器は、三重県明和町蓑村の神宮土器調製所で年間57,000個も焼かれたものを使用しています。
(3) 常典御饌の神事
外宮の御饌殿で行われる日別朝夕大御饌祭は、4~9月は7:50~8:20頃と15:10~15:40頃、10~3月は8:50~9:20頃と14:10~14:40頃の一日二回行われます。一日二回というのは古代の食習慣に基づくもので、現在の食習慣のように一日三回になったのは、武士では鎌倉時代以降、一般化したのは江戸時代以降といわれています。
神職は前日から斎館に篭り、精進潔斎に努め、白の斎服に身を包み、先頭を禰宜、最後には御鑰(みかぎ)を持った宮掌の順番に隊列を組み、北参道を横切って、忌火屋殿前まで進みます。忌火屋殿前の祓所で神職が御塩によるお祓いを行いますが、このとき、塩は手でつままず、榊の葉で土器に盛った塩を振り濯ぎます。
御饌の入った辛櫃(からひつ)を出仕(若手神職)が担いで御饌殿へと向かいます。ちなみに「からひつ」は、外国由来であるため唐櫃または韓櫃と書くのが普通ですが、神宮では外来であることを示す漢字を使用することを避けて、辛櫃と表記しているとのことです。昨今の国際事情を考えると面白いと思います。
御饌殿へ着くと禰宜は宮掌から御鑰を受け取り、扉を開け、神殿の中へ入り、まず天照大御神、次に豊受大御神、そしてその他の相殿神(あいどのしん)、別宮の神々の御前へと膝行(しっこう)したまま御饌の入った折櫃を捧げて、檜の御箸を御箸台に置いた上で、一品ずつ御饌を料理研究家の辻嘉一氏の著書の中の図に示されたような位置に決められた順番でお供えします。すべてが終わると禰宜によって祝詞が奏上されます。祝詞で、皇室の安泰、国家の繁栄、五穀豊穣を奏上した後、八度拝とよばれる起立と拝礼を8回繰り返し、八開手(やひらで)呼ばれる拍手を行います。八開手は神宮特有の拍手で、タンタンタンタン タンタンタンタン タンという軽快なリズムの拍手になります。その後、再び膝行で御饌を下げ、扉を閉めて退下します。この間約25分。
このように神宮における神事の時間的な推移をとっても、社殿や板垣の榊(写真3)や神嘗祭や新嘗祭のときの懸税(かけちから)と呼ばれる稲穂などの飾り付け、神饌の献立と食器、その配膳や段取りおよび後片付けや掃除といったすべてが連係し、毎日または季節ごとの行事を節目とした日本人の日々の暮らしそのものが神宮の祭式として象徴化されているともいえます。
また、参進についても、衛士(えし:神宮のガードマン)を含めた4人の歩調がぴったりと一致して玉砂利を踏む音を堪能してください。
(4) ガイド
外宮
自動車:外宮前駐車場。無料。
電車:JR・近鉄伊勢市駅南500m。徒歩10分。
皇學館大学佐川記念神道博物館
バス:近鉄宇治山田駅前、JR伊勢市駅前より三交バス「外宮内宮循環」徴古館前下車徒歩2分。15分ごとに運行。観覧料無料。開館時間、休館日等はウェブサイトで要確認。
せんぐう館:外宮敷地内。観覧料、開館時間、休館日等はウェブサイトで要確認。
常典御饌の参進と忌火屋殿前のお清めの様子については、北御門口参道で拝観することができます。4~9月は7:50と8:20頃および15:10と15:40頃、10~3月は8:50と9:20頃および14:10と14:40頃。日によって若干の違いがあります。
参考資料
神宮司庁(2014)日別朝夕大御饌際
辻嘉一・高橋忠之(1987)御饌祭と饗膳,神々の饗,p11-32,小学館
海の博物館(2013)特別展『海と伊勢神宮~グルメな神さまたちの理想郷(ユートピア)』
矢野憲一(1992)食,伊勢神宮の衣食住,p109-211,東京書籍
農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住
食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る