科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

4 神宮暦・・・暦で農作業のスケジュールを確認する

谷山 一郎

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(1) 丹生暦・伊勢暦から神宮暦へ

 今日が何月何日で、出勤日なのか休日なのかを知ることは、現代ではテレビや新聞などのメディアまたは時計やスマホで容易に知ることができますが、昔は暦(こよみ)がその役割を果たしていました。また、昔の農作業において、最近暖かいから種まきをしようと思っても、実はたまたまで、ある地域では暦の二十四節気の八十八夜を過ぎるまでは遅霜の危険があるから、それ以降に播種するといったように、農作業の決定を行う上でも暦は重要な情報源でした。

 日本で最初に暦が作られたのは推古天皇の時代(604年)と言われ、江戸時代までは、月の満ち欠けと太陽の運行を合わせ、閏月で調整する太陰太陽暦が使われていました。暦の作成については朝廷や幕府の管轄にあり、許可制・専売制が取られ、京都および各地方で暦が発行・配布されていました。

写真1 丹生水銀鉱山の廃坑口(昭和期)  (2014年11月19日)

写真1 丹生水銀鉱山の廃坑口(昭和期) (2014年11月19日)

 その地方暦の中に、伊勢神宮(以下神宮)から25km西の多気町丹生(にゅう)で室町時代に刊行された丹生暦があります。丹生暦は、神宮への参詣者の世話などをする御師(おんし)が、全国に出張して人々に大麻(たいま:マリファナとは無関係)と呼ばれる神宮の御札を配る際に、丹生で産する水銀を原料とする伊勢白粉(いせおしろい)などとともにおみやげとして配布されました。丹生暦の画像は国会図書館ギャラリーで見ることができます。

 ちなみに、この白粉は、水銀に赤土・食塩・水などを混合・加熱することによって生成する塩化水銀(I)を主成分とします。丹生には奈良東大寺大仏の金鍍金(きんめっき)にも使われたと推定される水銀の鉱山跡が残されています(写真1)。白粉は江戸時代には鉛を主成分とする鉛白(塩基性炭酸鉛 2PbCO3Pb(OH)2)に代わられますが、両方とも人体には有害で、白粉を常用していた人々には中毒があったといわれています。

 話を暦に戻し、その後江戸時代の1631年に丹生暦を引き継いだ伊勢暦が刊行されると、吉凶凡例、日ごとの節季や農事に関する記述があるために生活暦として便利であっただけでなく、御師による普及効果もあり、享保年間(1716-1735)には毎年約200万部が出版され、全国で配られた暦の約半数を占めていました。

 明治維新の混乱期に発行は一時中断されましたが、明治16年(1883)には太陽暦にもとづく官暦として復活し、国から正式に認められた唯一の暦として神宮が発行し、最も多い年には498万部が配布されていました。第二次世界大戦後、官暦は廃止されましたが、暦が自由に発行・販売されるようになり、神宮司庁も1947年から「神宮暦」として毎年発行しています。

(2)現在の神宮暦の内容

 神宮暦には大暦(だいれき)と小暦(しょうれき)があり、大暦は16.5×26.2cmで81ページ、小暦は12.6×19.2cmで29ページとやや縦長の形で、横を2カ所、紐でとじてあります(神宮暦の外観は神宮のホームページで見ることができます)。2014年の発行部数は大暦7千部、小暦7万部で、毎年少しずつ減り続けているとのことです。

 大暦には七曜表と大安・仏滅などの六曜表が添付されています。神宮が、根拠のない迷信である六曜表を添付しているのは不思議だと思っていたのですが、神宮司庁の以下のような文章を発見して納得しました。「神宮暦にはこうした一切の俗信や迷信を排斥してきました。最近は六曜が記してないと利用価値がないと相手にされなく、やむなく別紙の付録に付けています」

 大暦は理科年表や天文年鑑のダイジェスト版といえましょう。主な記載内容は、各日の干支、日本各地の日の出・日の入り・日の南中の時刻、月齢、東京の月の出・月の入りの時刻、東京芝浦における満潮・干潮の時刻といったものです。このほかに、二十四節気、主な神社の例祭日と所在地、日本各地の平均気温や霜雪の季節など農業に関する気候表なども記載されています。面白いのは日食や月食、太陽や惑星の合・留・衝など占星術的な項目があることです。

 小暦の記載項目は日次、七曜、国民の祝日、祭日、節気、雑節、干支、月齢、旧暦、月出月入、満潮干潮、農作業の目安、年中行事や神棚のまつり方などがあります。また、農事の視点、農作業のポイント、農業の豆知識などの記事が各月に掲載されています。

 平成27年の小暦の農事の視点には「作土保全」として、私の若い頃の研究課題であった土壌侵食について的確な記述がなされており、うれしくなってしまいます。また、今月の農作業には、専門の農家はともかく、日曜農家には役立つ情報があります。さらに、郷土の品種として三重県でもかなりマイナーな「鶏頭大豆」や三重県とは縁もゆかりもない「キャッサバ」についての記載があり、読んでいて飽きません。執筆したのは三重大学の関係者とのことです。

 インターネットの発達した現在では、神宮暦のカレンダーやデーターベースとしての利便性は高くはありませんが、パソコンやスマホを持たない人々にとっては便利なカレンダーでしょう。また、伝統的な日本の暦とはどんなものであるかを知ることはできますし、特に小暦はわずか200円でいろいろな情報が得られます。

 神宮暦に関する神事については、1月上旬に大麻暦奉製始祭が頒布部祭場で、9月17日に大麻暦頒布始祭が内宮神楽殿で、12月下旬に大麻暦奉製終了祭が頒布部祭場で行われますが、一般の拝観はできません。

写真2 遷宮後の月讀宮(右)、伊佐奈岐宮(中)、伊佐奈弥宮(左)  (2014年11月8日)

写真2 遷宮後の月讀宮(右)、伊佐奈岐宮(中)、伊佐奈弥宮(左) (2014年11月8日)

(3) 月讀宮と月夜見宮

 ところで、神宮には、暦や時を司る天照大御神の弟神の月讀尊または月夜見尊(いずれもツキヨミノミコト)が、内宮と外宮の別宮である月讀宮(写真2)と月夜見宮(写真3)にお祀りされています。漢字表記は異なりますが同じ神様なので以下ツキヨミノ尊と表記します。

 ツキヨミノ尊と両宮については別の機会に詳しく説明しようと思いますが、内宮・外宮の両方の別宮に祀られているのは風日祈宮(かざひのみのみや)と風宮(かぜのみや)にお祀りされている農作物の収穫を左右する天候の神様および農作業のスケジュールを含めた暦を司るツキヨミノ尊だけで、それだけ神宮では農業に関する神様が重視されているといわれています。

写真3 月夜見宮入り口、鳥居奥に夜になると月夜見尊を乗せる白馬に変身すると伝わる大石が見える (2014年11月14日)

写真3 月夜見宮入り口、鳥居奥に夜になると月夜見尊を乗せる白馬に変身すると伝わる大石が見える (2014年11月14日)

 さて、内宮の行事などを記載している平安時代の文書「皇太神宮儀式帳」では、ツキヨミノ尊が太刀を佩いた騎馬の男の姿と記されていることから、夜になると月夜見宮の石から変身した白馬に乗り、神路通りを通って、外宮の豊受大御神の元を訪れるという言い伝えが地元には残されています。また、月は女性の月経の周期性との関係を連想させるとともに、月讀宮には夫婦神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)も祀られているうえ、ツキヨミノ尊は変若水(おちみず)という若返りの水まで持っているとの信仰が一部にあることから、最近、両宮を参拝する女性が増えているとのことです。

(4) <ガイド>

丹生水銀鉱山跡
自動車:伊勢自動車道勢和多気IC下車県道702・421号線経由で丹生郵便局前を看板に従い左折後500mで駐車場。そこから150m歩いて約3分
バス:JR多気または相可駅から多気町民バス波多瀬集会所行きで、丹生大師前下車。約2時間に1本。土日祝日、年末運休。バス停から1km歩いて約20分。多気町役場の交通案内はこちら

神宮暦
内宮・外宮の神楽殿において、2014年は大暦が500円、小暦は200円で頒布していました。近くの神社でも入手できます。

月讀宮
自動車:国道23号線沿いの月讀宮の参道入り口に駐車場。
電車・バス:近鉄五十鈴川駅から南へ0.8km徒歩約10分。伊勢市駅または宇治山田駅から三重交通バス外宮・内宮循環バスで、停留所「中村」で下車。約15分間隔。北へ500m徒歩約5分。

月夜見宮
自動車:月夜見宮の南側の入り口に駐車場。
電車:JR・近鉄伊勢市駅から西へ300m徒歩約5分。

参考資料
岡田芳朗ら(1982)神宮大麻全国頒布百十周年記念特集,瑞垣,127,1-120
神宮司庁(2014)神宮暦
神宮司庁(2014)皇大神宮{内宮}月讀宮
神宮司庁(2014)豊受大神宮{外宮}月夜見宮伊勢市立伊勢図書館(2014)月の神への祈り―月読宮と月夜見宮,図書館だより,No.150増刊,1-9

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る