科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

2 採かん・・・御塩浜で塩水をつくる

谷山 一郎

キーワード:

(1)神宮と塩

 人類は狩猟採取生活から穀物栽培に移ってから塩を必要としたと言われています。なぜなら、動物にはナトリウムが含まれていますが、植物はナトリウムの代わりにカリウムを多く含有し、摂取されたカリウムは人体からナトリウムを排出させてしまうからです。したがって、穀類を主食とする人間は草食動物と同じように塩を必要とします。

 また、人類にとって最初の調味料は塩でした。神宮の神様の食事である御饌(みけ)にも塩が一盛り添えられています。さらに、神事の前に海に身を浸し罪やけがれを海に流す「みそぎ」という本来の儀式の代わりに、祭事の供物や担当者に塩を撒くのが「お祓い」や「お清め」です。神宮では、多くの神事が行われ、そのお祓いと御饌のために1年に約160kgの塩を必要としているとのことです。

 塩は海水を煮詰めれば析出しますが、燃料となる薪が大量に必要となります。そこで、煮沸する前に、塩濃度をできるだけ高めた「かん(鹹)水」と呼ばれる海水を得るための工夫がされました。ちなみに「鹹」は塩辛いという意味です。

 時代順に、藻塩法、揚浜式塩田、入浜式塩田、流下式塩田、イオン交換膜式などによりかん水を得た後、「煎ごう(熬)」と呼ばれる煮沸過程を経て、塩の結晶を得ます(神宮の煎ごうについては次回紹介予定)。この「煎」は水分がなくなるまで加熱すること、「熬」は煮ることを意味します。

 煎ごうにおける燃料の問題は深刻で、古代では、製鉄や製陶などとともに、薪炭の過剰採取による土地荒廃という環境問題を引き起こしました。また、藻塩法から揚浜式への転換は、過剰伐採により裸地化した林地から土壌侵食により流出した土砂が海底に堆積し、海藻の生息域が減少したためという説もあります。

図1 御塩浜平面図(矢野, 1994 を改変)

図1 御塩浜平面図(矢野, 1994 を改変)

 そうした中で、過去には神宮では薪の供給源である御塩山とセットで塩田が整備されていました。その後、1950年代に日本では消えた入浜式塩田によるかん水採取(採かん)が、神宮においては現在でも行われており、この塩田を御塩浜(みしおはま)と呼んでいます。

(2)御塩浜の構造

 神宮の入浜式塩田が開始された年代は明確ではありませんが、現在の地に設置されたのは1897年のことです。五十鈴川の河口から1km上流の伊勢市二見町の汽水域に樋管と呼ばれる潮の干満差を利用した取水口があり、面積1,200m²の塩田の周囲は、樋管から取り入れられた海水を塩田内に導入するための石積みの溝(浜溝)で囲まれています(図1,写真1)。

写真1 御塩浜全景と砂のかき起こし(2014年7月24日)

写真1 御塩浜全景と砂のかき起こし(2014年7月24日)

 また、かん水を汲み出す直径1.5mの沼井(ぬい)と呼ばれる井戸が塩田の中心付近に4つ設けられています。沼井は図2のような構造をした濾過装置で、塩が付着した塩田表面の砂を投入後、海水を注いで塩分が溶解したかん水を汲み出す井戸です。

 御塩浜の断面構造について記載された資料は見つかりませんでしたが、一般的な入浜式塩田は、粘土層の上に浜溝からの海水の浸透を容易にするための粒径の粗い砂層があり、その上に塩分を付着させるための細かい砂の層があります。御塩浜の表層の土質は細砂(学会の定義により異なるが直径0.2~0.02mm程度の砂)ということですが、遠目には直径1cm程度の礫も観察されました。

図2 沼井の構造(矢野, 1994 を改変)

図2 沼井の構造(矢野, 1994 を改変)

(3)採かん作業
 作業は夏の7月中旬から8月上旬に行われ、2014年の作業は7月15~25日に6人の地元の有志の男性によって実施されました。まず、鋤で塩田の表面を平坦にし、満潮時に海水を入れて冠水状態にして、干潮時に排水します。次いで沼井の中の砂を塩田全体にまき、天日の力で乾燥させます。砂をかき起してさらに乾燥を助け、水分が蒸発し、乾燥したところで砂を集めます(写真1)。

写真2 沼井への海水の注ぎ込み(2014年7月24日)

写真2 沼井への海水の注ぎ込み(2014年7月24日)

 これらの作業により、砂に塩分が付着すると砂の表面積は増加して塩水の毛管上昇と蒸発が促進されるなど、塩田には太陽エネルギーを効率的に利用できるメカニズムが働いているとされています。その後、沼井の穴の中に塩を含んだ砂を運び込み、その砂の上に海水を注いで(写真2)塩分濃度が10~20%のかん水を汲み取り、四斗樽(容量72L)に採集します。

 蒸発過程中は休憩できるとはいえ、炎天下かつ熱砂上での裸足の作業は大変で、昔も重労働でした。現在、軽労化や快適な生活の代償として、化石燃料を消費することで地球温暖化が問題となっていることを考えると、以前の塩田経営者や労働者に、森林破壊という環境問題と引き替えに重労働を選択したかどうかを聞いてみたくなります。

 この作業を見るため、5日間現地に足を運びましたが、報道関係者以外では1日2~3組の見学者が訪れるだけでした。日本では観光用や学習用として復活した入浜式塩田はあるものの、伝統的な方法で塩を作り続けてきたのは御塩浜だけです。5分や10分の見学では作業の全貌を知ることはできませんので、じっくりと腰を据えて見ていただきたい作業です。

(4)ガイド

自動車:国道42号線で五十鈴川にかかる汐合橋を渡るとすぐの信号を左折し約500m、堤防上の道路を北へ進む。
バス:伊勢市または宇治山田駅から今一色行き三重交通バスで西下車。徒歩5分。運行間隔約1時間に1本。

毎年、7月の土用付近の1週間から10日程度作業を実施します。2014年は7月15~25日に行われ(雨天の場合は作業を中止)、7時頃から作業を開始し、各作業の合間に天候にもよりますが2時間ほどの乾燥過程を挟み、16時頃までの作業を毎日繰り返し行います。

参考資料:神宮司廳(2012)神宮の御塩,神宮広報シリーズ3,p1-15, 神宮司廳
     矢野憲一(1994)神様の塩つくり,伊勢神宮の衣食住,p153-172, 東京書籍

執筆者

谷山 一郎

農業環境技術研究所に2014年3月まで勤務。その間、土壌保全、有害化学物質、地球温暖化の研究に携わる。現在は伊勢市在住

環境化学者が見つめる伊勢神宮と日本の食

食や農業と密接な関係がある伊勢神宮。環境化学者の目で、二千年ものあいだ伊勢神宮に伝わる神事や施設を見つめ、日本人と食べ物のかかわりを探る