科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

オックスフォード農業会議の衝撃~環境活動家はなぜ転向したのか(下)

宗谷 敏

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 2013年1月3日、英国オックスフォード農業会議 (OFC: Oxford Farming Conference) において、GM(遺伝子組換え)に反対してきた活動家・作家Mark Lynas氏 は、今まで自分は間違っていたと謝罪した上で、GM作物・食品への支持を表明し、欧米メディアに一大センセーションを巻き起こした。そのスピーチの超訳、先週の(上)に続く(下)である。

 再びNorman Borlaugの言葉:「今や世界は技術を持っています-利用可能か、研究パイプラインがかなり進んでいて-持続可能な基礎の上に100億人の人口を食べさせるために。 今日のもっと適切な質問は、農民や牧場主がこの新技術を使うのを許されるかどうかです。豊かな国は、全くリスクがない高見にいる余裕があり、いわゆる『有機的な』栽培法によって生産された食物により多くを支払いますが、食料不足の国の低収入で、慢性的に栄養不良の10億人の人々はそうはできません」。

 Borlaugが述べたように、おそらくすべての中で最も有害な神話は、有機生産が人々と環境双方のために最も良いということです。それが健康により良いという意見は、科学文献で繰り返し反証されました。同じく多くの研究から、有機が生産性に劣り、土地面積の観点から最高40-50%単収が低いことも知られています。土壌協会は、この生産性ギャップに言及しないために、有機で世界を養うことについての最近の報告書でたいへんな苦労をしました。

 そればかりか、土地置換効果を考慮するなら、有機が生物多様性にとってもより悪いかもしれないことも述べませんでした。その代わりに、発展途上国の人々がさらに多く食べられるように、西欧の人々は肉とカロリー摂取をもっと控えるという理想世界について語ります。これは、あまりにも短絡的なナンセンスです。

 もしそれについて考えるなら、有機運動は本質的に一切妥協を許さない拒絶派です。主義として多くの近代技術を受け入れません。1850年に馬と荷馬車で技術を凍結させたペンシルベニアのアーミッシュのように、1950年頃に有機運動は、大した理由も無しに原則的にその技術を凍結させました。

 しかしながら、彼らは一貫してこの考えを適用しさえしません。最近の土壌協会機関誌を読んだところ、雑草を火炎除草器で燃やしたり、電流で焼いたりするのはOKなのだそうです。しかし、「人工の化学物質」であるという理由から、グリホサートのような安全な除草剤は依然として禁じられています。

 現実には、化学物質を避けることがなぜ環境により良いのかという理由が全くありません-事実は正反対です。Jesse Ausubelとロックフェラー大学の同僚による最近の研究が、インドの農民が1961年当時の技術を使って、今日の全収量を得るためにはどれぐらい余分に耕地が必要かを調べました。答えは6千5百万ヘクタール、フランス一国の面積です。

 中国では、より高収量をもたらす近代技術のおかげで、トウモロコシ農民が1億2千万ヘクタール、フランスの2倍の面積を使わずに済みました。世界規模では、1961年から2010年の間に耕地面積はたった12%大きくなっただけですが、一人当たりの摂取カロリーは2200キロカロリーから2800まで上昇しました。ですので、この間増加した30億人の人々は、同時期の300%の増産のおかげで、皆が食べるよりさらに多くを得ました。

 では、化学的なインプットが重要な役割を果たしたこれらの劇的な収量の改良のおかげで、世界ではどれぐらいの土地が使われずに済んだでしょうか?  答えは30億ヘクタール、南米大陸2つ分です。この収量の改良がなかったら、今日アマゾンの雨林は残っていなかったでしょう。インドのトラも、インドネシアのオランウータンもいなかったでしょう。ですから農業技術の使用に反対している多くの人々が、なぜ自身を環境保護主義者と呼ぶのか、私には分かりかねるのです。

 では、この反対は何に由来しますか?  近代技術はより危険だという一般的な仮定があるように思われます。実際に、病気と早死に直面する多くが自然食品や有機食品の方なのは、2011年のドイツにおける有機栽培スプラウトの失敗でも明らかです。おそらくこれは、エジプトから輸入された有機スプラウトの種子が、動物性肥料(家畜排泄物)からの大腸菌に汚染されていたものですが、チェルノブイリによって引き起こされた死傷者数に匹敵する公衆衛生上の大惨事を招きました。

 全部で53人が亡くなり、3,500人が重大な腎不全に罹りました。これらの消費者は、なぜ有機を選択したのでしょうか? 彼らは、それがより安全でより健康に良いと思い、高度に規制された化学農薬と肥料からのほとんど取るに足りない危険を警戒し過ぎました。

 偏見を捨てて状況を見るなら、反バイオ工学と有機に関する討論の多くは、共に単なる自然主義的な誤謬に基づいています-自然が良くて、人工は悪いという信念。多くの完全に天然な毒と、大腸菌食中毒で亡くなった方たちの遺族が話す通り死因となるから、これは誤った考えです。

 有機では、自然主義的な誤謬が全体運動のための中心的な指針へと高められます。これは不合理であり、地球と子供たちのためもっと良い結果を出す義務が、私たちにあります。

 有機農法が提供すべき何も持っていないという訳ではありません-環境上非常に効果的かもしれない間作と混植のように、開発された多くの良いテクニックがあります。しかし、それらさえもかなり労働集約的な傾向があります。栄養分のリサイクルや農場の多様性促進のような農業生態学の原則は、どこにあってももっと真剣に受けとめられるべきです。

 しかし、改革を許すことへの拒否で、有機は進歩を邪魔します。再度GMを最も明白な例として使うと、多くの第三世代のGM作物が、植物それ自身が害虫から守ることができるようにゲノムが換えられているので、環境を破壊する化学物質を使わずに済みます。なぜ、これが有機ではないのでしょうか?

 他の人たちの選択を奪うために使われるとき、同じく有機は邪魔になります。GMに対する最も一般的議論の一つが、有機農家がGM花粉によって「汚染される」かもしれないから、何人もそれを使うことを許されるべきではないというものです。そこで、美意識に基づいた結局のところ消費者の好みに帰着する富裕な少数派の権利は、環境に役立つであろう改良された作物を使う他人の権利に勝ちます。

 私は、多様性の世界には大賛成ですが、それは一つの農業システムが、善の独占権を持ち他のあらゆる選択の除外を目指すとは主張できないことを意味します。なぜ平和的な共存ができませんか? 新しいものより高い固有の危険を持つ古い技術に人々を束縛するとき、これは特に問題です。

 誰もが「有機」に敬意を払わなければならず、この正統主義に疑問をさしはさむのは考えられないことのように思われます。そこで、私は今日それをしている訳ですが。

 すべての中で最大の危険は、盲目的な偏見以上ではない非現実的なことのために、改革のためのあらゆる機会を利用しないことです。残念なことにGreenpeaceが係わっている2つの例を挙げます。

 去年Greenpeaceは、すべて伝統的な理由からオーストラリアでGMコムギを破壊しました、私自身もそれをやってきたので良く知っています。この研究は、公的資金によりオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の研究所によって実施されましたが、そんなの関係ない。それがGMで不自然であったから、彼らはそれに反対したのです。

 ほとんど一般に知られていないことは、Greenpeace積極行動主義者の草刈り機による破壊を運良く免れ、実施中だった他の試験栽培の一つが、途方もない30%ものコムギの単収増加を思いがけず成し遂げたことです。考えてみてください。もしGreenpeaceがこの革新を完全に破壊することに成功していたら、この知見は決してもたらされなかったでしょう。NFU(英国農業者連盟)のPeter Kendall会長が最近示唆したように、これは誰も読まないうちに、図書館で本を燃やすようなものです。

 二番目の例は中国です。Greenpeaceは、GMゴールデンライスの試用で2ダースの子供たちが人間モルモットにされていたと主張することで、全国のメディアをパニックに陥れることに成功しました。このコメが健康により良いという事実や、ビタミンA欠乏症由来の盲目と死から毎年何千という子供たちを救えることを、彼らは一顧だにしませんでした。

 何が起きたかと言えば、Greenpeaceのプレスリリースで名指しされた3人の中国人科学者が公的に追求されついに失職しました。中国のような独裁体勢の国家で、彼らは深刻な個人の危機にさらされたのです。国際的な過度規制によってゴールデンライスは、すでに10年以上棚上げされてきましたし、Greenpeaceのようなグループの活動のせいでビタミン欠乏の貧しい人々の手には決して渡らないかもしれません。

 ビタミンA欠乏の危険とは無縁の富裕者が、審美的な好みを優先し困窮者と彼らの子供たちを助けるであろうものを奪うことは、私の考えでは不道徳であり非人道的です。Greenpeaceは、年間1億ドルの多国籍企業ですから、他のいかなる大企業とも同じように道義的に責任があります。

 公共部門により公益のためにゴールデンライスが開発されたという事実も、反対派には無効です。(英国の)Rothamsted 研究所のMaurice Moloney理事による明日の話を聴いて下さい。去年 Rothamsted は、手に負えないこの害虫と戦うために、殺虫剤を必要としないアブラムシ抵抗性GMコムギの試験栽培を始めました。

 それがGMだからという理由で、反対派はそれを破壊する決意を固めました。John Pickett教授とチームの彼らの研究がなぜ重要であって、なぜ破壊されるべきではないかについてのYouTubeとメディアを使った大切な話をする勇気により、それは失敗しました。

 反対派が(実力行使に)たった200人しか動員できなかったのに対し、彼らは請願で何千という署名を集め、破壊計画は不発に終わりました(訳者注:このRothamsted によるキャンペーンの成功は、英国におけるGM のための転機であるかもしれない、とLynas氏がコメントしているのは注目される)。

 しかしながら、完璧なステレオタイプのGM反対抗議者になった一人の侵入者-その華やかな過去により我らが地元オックスフォード(訳者注:Lynas氏は同地に在住)の著名人となったEton校出身の年老いた上流階級人で、良識ある一般市民のモデルのように見えます-が、フェンスを越えるのに成功しました。

 思うに自然さを象徴する声明のつもりだったのでしょうが、この名門出の積極行動主義者は、試験圃場の周囲に有機コムギの種子をまき散らしました。それらを除去するのに、Pickett教授のチームは非常にローテクな解決法を用いた、と私に言います-彼らは、コードレスのポータブル掃除機をかけに行きました。

 今年、コムギ試験栽培継続に加えて、Rothamsted は、養殖サケが食用の天然魚に代われるようにオメガ3油糧種子に取り組んでいます。これは、陸産の原料を養殖に使うのを可能にすることで、乱獲を減らすことができます。はい、それはGMです、ですから海洋の生物多様性の観点から、明白に環境への利益の可能性があるにもかかわらず、同じく反対派がこれに反対すると予想されます。

 皆さんがどうかは分かりませんが、私にはもう十分です。ですから私の今日ここでの結論は非常に明確です:GM討論は終わっています。それはケリがついています。それが安全かどうかを論じる必要はもはやありません-3兆のGM食事が口にされた15年間以上にわたり、危害をもたらした事例は一件も実証されてはいません。あなたは、GM食品によって傷つけられることよりも、小惑星に衝突される可能性の方が高いのです。もっと端的に言えば、有機を選択した人々が亡くなりましたが、GMを食べたことで一人も死んでいません。

 10年前にちょうど私がしたように、Greenpeaceと土壌協会は、気候変動についてと同じように、合意に基づく科学(consensus science:「新技術の結果が未知であるか、安全性に関して科学的知見が一致していない場合、予防原則からもそれは使われるべきではない」という主張を指すと筆者は解釈している)によって導かれるべきだと主張します。しかし、GMについては米国科学振興協会、英国学士院、世界中の衛生研究所と国立科学アカデミーによって支持される盤石の科学的合意があります。それにもかかわらず、彼らの観念とは矛盾するのでこの不都合な真実は無視されます。

 最後の例は、ジャガイモ疫病抵抗性GMジャガイモの悲しい物語です。これはSainsbury研究室と Teagasc 、アイルランドの公的資金を提供された研究所とによって開発されていました-しかし、しばしばこの会議(OFC)にも党首が出席するアイルランド緑の党が、裁判沙汰にもちこむほど反対しました。

 ジャガイモ疫病抵抗性GMジャガイモは、シーズン毎に15回に及ぶ殺菌剤スプレーの手間を農民から省き、ジャガイモはクローン繁殖されるので花粉の移動は問題にはなりませんし、抵抗性遺伝子がジャガイモの近縁野生種からもって来られたという事実にもかかわらずです。

 ジャガイモ疫病抵抗性ジャガイモがアイルランドで開発されることには、19世紀中頃にジャガイモ飢饉のために百万人あるいはそれ以上が死んだ経緯から、立派な歴史的共感があったことでしょう。アイルランドがジャガイモ疫病に打ち克った国であることは素晴らしいことだったでしょう。しかし、アイルランド緑の党のせいで、これは実現しません。

 そして不幸なことに、今や反対派は官僚を彼らの側に抱き込んでいます。ウェールズとスコットランドは、おそらく科学によって導かれた自治政府にとっては中世の迷信が必須義務であると解釈して、公式にGMなしです。

 不幸にも同じことがアフリカとアジアの大半にあります。畑での殺虫剤散布と摘果の農薬残留を減らすにもかかわらず、インドはBtナスを拒絶しました。飢饉が繰り返され、構造的にも不安定だった時代という史実にもかかわらず、産業革命以前の村の農業を理想化するVandana Shivaのような時代遅れの観念主義者に、インド政府はますます虜になっています。

 アフリカでは、まだ「no GM」が多くの政府のモットーです。国内に依然として蔓延する栄養失調を減らすのをGMが手伝えるにもかかわらず、例えばケニアは仮想の「健康上のリスク」を理由に、実際にGM食品を禁止しました-それにしても、栄養失調こそさらなる証拠さえ不必要な、証明された健康上のリスクなのです。ケニアにおいて、もっと貧しい農民を助けるために、より栄養があるまたはより高単収のGM作物を開発した人は、刑務所に10年間放り込まれてしまいます。

 そこで、切実に求められている農業の革新が、いかなる合理的な科学的リスク査定にも基づかない規制の押し潰すような雪崩によって抑圧されています。今日ある危険は、誰かがGM食品によって危害を蒙るだろうということではなく、声高に騒ぎ立てる少数派の豊かな国の人々が、自分たちの食事を彼らが自然だと考えるものであるよう望むために、何百万人もが十分な食物を得られないことなのです。

 私は今、変化を希求します。素晴らしいBill and Melinda Gates財団は、先ずトウモロコシから始めて、主要食用作物に窒素固定能力を組み込む努力を開始するためJohn Innes Centreに、最近1千万ドルを与えました。はい、そうですよGreenpeace、これはGMでなされるしょう。それを認めてください。もし世界的規模の窒素汚染問題を減らす気があるなら、窒素固定能力のある主要穀物を持つのは立派な目的です。

 私は、これらすべてを言うことが、政治的には正しくないと知っています。しかし、国際的に神話破壊と規制緩和を併せた大量投薬が私たちには必要なのです。

 私がこのことについて知人の植物科学者に話すと、政府とあまりに多くの人々がまったく許しがたい危険だという感覚を持ち、そして極めて必要な技術を排除しようとしているので、彼らは頭を抱えこみます。

 Norman Borlaugは、すでに亡くなりました。しかし、政治的、イデオロギー的な理由から農業の近代的革新を拒否する人たちは正しくないと私たちが知って、政治的正統主義に従うことを拒否するとき、彼の想い出と先見性は讃えられるべきだと私は思います。かなり状況は悪いのです。もし私たちが、これを悪くし続けるなら、何十億人という人々の生活の見通しが立たなくなるでしょう。

 そこで、今日、私はこの分野に対するあなたたちすべての信念を問い、合理的な問いかけに立ち向かうかどうか知るために挑戦します。キャンペーングループの科学についての意見の情報について常に証拠を求め、キャンペーンNGOの自己言及的報告書の程度を越えて確認をしてください。

 しかし、すべてのうちで最も重要なのは、採用したいと望むどのような種類の技術でも、農民が自由に選べるということです。もし古い方法が最良だと思うなら、それはそれで結構です。人にはその権利があります。

 権利を持たないのは、より良くありたいと異なるやり方を望み、それを得ようと努力する他者の進路を阻むことです。人口増加と世界の温暖化というプレッシャーを理解している農民。ヘクタール当たりの単収こそ最も重要な環境尺度であることを理解する人。そして、技術が決して発展を停めない、さらに冷蔵庫と粗末なジャガイモでさえかつては新しく、驚きであったことを理解する人。

 そこで、英国の上流階級と有名シェフ、米国の美食家からインドの小作農グループまで反GMロビーに対する私からのメッセージはこうです。あなた方には意見する権利があります。ただし、それらが今では科学によって支持されないことを、あなたたちは知っておくべきです。私たちは危機的状況に到達しており、人々とこの惑星のために、それを切り抜けて、持続可能な世界を養うことを私たちに決めさせる時は、今でしょう。

 ご静聴ありがとうございました。

 リードでも述べた通り、このスピーチは大反響を呼び起こし、優れたコメンタリーもいくつか出ている。最初はそういうものの一つを紹介しようと思った。しかし、Lynas氏の転向の理由や主張を知るためには、やはりオリジナルを読んで頂くのが良いと考え、紙数を顧みず敢えてほぼ全訳という暴挙に出た。

 有機に対する攻撃の部分に顕著なのだが、転向者は、捨てたドグマにより厳しく、(反対してきたものの)過激な支持者に回ることが多い。名指しで批判されたVandana Shiva女史はじめ、GM反対派からの反撃も激しいものがある。しかし、賛否含めて広範な議論を呼び起こしたのは、考えさせられた人たちが多かったということで良い論説の証拠であり、ベストセラー作家Lynas氏の力量のなせる技を、賞賛すべきだろう。

 以前にも引用したが、元木一朗氏の「遺伝子組み換え食品との付き合いかた~GMOの普及と今後のありかたは?」(2011年11月、オーム社刊) のエピローグには、「なるべく科学的に、なるべくフラットに、公平なスタンスに立とう」と考えたが、調べれば調べるほど肯定的な方向に向かってしまった。それは「科学的に考えよう」としたからに他ならず、明らかになったのは遺伝子組換え作物に関する問題の 本質は、「科学」と「感情」の対立だということです、とある。

 やはり、科学的に考え直したLynas氏の論述を、GM反対派や、その主張を確認することなくツィッターやブログでバラ撒いている人、それらを無条件に盲信している消費者の方たちに読んで頂きたい。一方、GM推進派の方たちにとって、これを読むのはあたかも麻薬のように快いだろう。しかし、それに酔っているだけではダメだ。「科学」と「感情」の対立と、そこから生じる現実的諸問題は、依然として未解決なままなのだから。

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

一般紙が殆ど取り上げない国際情勢を紹介しつつ、単純な善悪二元論では割り切れない遺伝子組 み換え作物・食品の世界を考察していきたい