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「衛生唱歌」と「害虫唱歌」を聴いて(柏田雄三さん)

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柏田雄三さん

柏田雄三さん

 今年の1月10日に埼玉県が開催した「第10回埼玉県食の安心県民の集い」に参加した。㈱久松農園代表 久松達央氏の「“無農薬野菜”はもう売れない」と言う題名の講演に惹かれたからである。話の内容は既に著書で読んだ通り判りやすかった。
講演に先だって「食をめぐる作文」の優秀作品の発表と表彰式が行われ、講演後には栄東中学校・高等学校コーラス部による草山斌男作の≪衛生唱歌≫が歌われた。そのような曲の存在を知ってはいたが耳にするのは初めてである。明治35年(1902年)に作られたこの曲は実に174節(番)まであるそうで、その日は食の安全に関係が深い部分が歌われた。文語調の難しい歌詞を若い生徒たちが歌うのが微笑ましかった。

 インターネットで調べると曲は「飲食」「呼吸」「皮膚の摂養」「眼の摂養」「運動」「睡眠」「衣服」「住居」の8つの部分から出来ていた。当日歌われたのは「飲食」の部分を中心とした10節で、その歌詞を現代風に言えば
 ●強い精神力は健康な体に宿る
 ●平生から衛生に気をつけて精神状態を保とう
 ●腐敗は黴菌によって起こるので多少とも悪臭を感ずるものは直ちに捨てる
 ●腐敗は死に至るほど恐ろしいので特に夏には注意する
 ●河豚(ふぐ)の毒は一夜で命を奪うほど危険なので肉を食べてはいけない
 ●甘いお菓子は歯や胃の働きを鈍らせ記憶力を低下させる
 ●臭いが無くても無害とは限らないので注意する
 ●100℃の熱で黴菌の働きが失われる
 ●主要な滋養の品も量を摂りすぎると摂らないより良くない
 ●少年たちよ苦労に耐える身体に鍛え上げよ
といった内容になる。
 全曲の歌詞には生活習慣や栄養学的な記述も多く、時代を感じさせる部分もあるが、我々が生活の上で守らなければならない衛生上の基本が広く歌われている(歌詞は、国立国会図書館近代デジタルライブラリーに収録されている)。

 同類の曲を探すと明治21年(1888年)の≪衛生かぞえうた≫、明治33年(1900年)の三島通良作詞、鈴木米次郎作曲の≪衛生唱歌≫、明治41年(1908年)発行の糸左近作詞、小山本元子作曲の≪衛生唱歌≫、渡辺裕著の「歌う国民」(中公新書)で紹介されている明治45年(1912年)の≪夏季衛生唱歌≫などが見つかった。これらは教育勅語による心構え、服装や生活習慣などへの注意が主体を占めていて、食中毒への注意が多いのは先に記した草山斌男作の≪衛生唱歌≫であった。
 このような「衛生に関する唱歌」の歌詞に感心したが、正徳2年(1712年)に書かれた貝原益軒の「養生訓」には病原菌を指す用語は無いものの、同じような趣旨の記述が多くあるので特に驚くことはないのかもしれない。

 瀬戸口明久著の「害虫の誕生-虫からみた日本史」(ちくま新書)には≪害蟲駆除唱歌≫(以下「蟲」を「虫」と記す)という曲が紹介されている。ニカメイチュウとウンカの防除を詳しく歌った曲だそうで、楽譜にはメイチュウの成虫と茎の中の幼虫、ウンカの絵が描かれている。この曲を調べていて井上頼圀作詞、山田源一郎作曲の≪害虫唱歌≫という明治39年(1906年)の曲を知った。
 曲は「害虫駆除に往く時の歌」「害虫を駆除して帰る時の歌」、稲のほか麦、桑、蔬菜、果樹や茶の害虫の歌、さらには益虫や益鳥の歌から構成されている。歌詞の中での防除法は天敵に頼る以外は石油を浮かべた水面にウンカの払い落し、虫の捕殺、被害部分の除去などの専ら物理的な手段である。この時代には作物によって植物の煎汁などによる防除手段もあったはずだが、曲では触れられていない。「稲の害虫」は「螟虫(ずいむし)」など3つの代表的な害虫に分かれ、特に螟虫(ニカメイチュウ、サンカメイチュウ)には9節も充てられている。当時メイチュウがいかに重要な害虫であったかが解る。

衛生唱歌(作詞:三島通良 作曲:鈴木米次郎)

衛生唱歌(作詞:三島通良 作曲:鈴木米次郎)

 曲を音楽の面から見てみる。≪衛生唱歌≫≪夏季衛生唱歌≫≪害虫駆除唱歌≫≪害虫唱歌≫の歌詞はいずれも七五調で書かれている。七五調とは七音・五音の順番で繰り返す形式のことで、例を挙げれば≪鉄道唱歌≫≪荒城の月≫≪軍艦マーチ≫≪虫のこえ≫≪月の沙漠≫などがこれに当たる。
また「ピョンコ節」を基本として書かれているのが特徴的である。「ピョンコ節」とは4分の2拍子または4分の4拍子で、1拍を付点8分音符と16分音符の組み合わせて飛び跳ねるように表す曲のことを言う。長い歌詞をピョンコ節で歌うと覚えやすいので、明治20年代の初め頃から歌詞の節数の多い七五調の唱歌や軍歌に良く使われるようになった。

 これらの衛生や害虫に関する唱歌を聴いて感じるのは、その後の「害虫防除」に関する著しい科学技術の発達である。機械移植など栽培法やコンバインなど収穫法の大きな変化、栽培品種の変遷、高性能の農薬の開発などにより今ではニカメイチュウは超重要害虫の座から降りた。一方「衛生」の場面は、衛生技術や医療技術の進歩は大きいにせよ、病原菌、魚介類の毒、毒キノコなどによる中毒が一般家庭でも珍しくなく、死者が今も発生している。

 国は唱歌を通じて、さらには歌いやすくて覚えやすい七五調の歌詞とピョンコ節という形式を通じて衛生の重要さ、農業害虫の怖さ、食糧の確保の必要性を訴えようとしたのだろう。このことは三島通良作詞、鈴木米次郎作曲の≪衛生唱歌≫の「強壮偉大の魁男子 健康艶美の眞夫人 互ひに力を盡くしなば 御国は萬歳萬萬歳」や「男の子も少女子も まなびの庭の子供等も こころあはせて駆除すべし いねのあだなる螟虫を」という井上頼圀作詞、山田源一郎作曲の≪害虫唱歌≫の一節などからも判る。

 私は県などが開く食の安全の講演会に何度も足を運んでいるが、そこでは病原菌などによる食中毒の怖さが繰り返し説かれていた。今でも食中毒による死者が出ていると言う現実と食の安全の普及や啓蒙に携わる人の努力を思いながらその日も≪衛生唱歌≫を聴いていた。

参考文献
小野芳朗著 <清潔の近代>「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ(1997)
講談社選書メチエ
大田博樹著 農薬産業技術の系統化調査(2013) 国立科学博物館
小泊重洋著 茶樹の害虫とその防除(1982) 武田薬品工業株式会社
瀬戸口明久著 害虫の誕生-虫からみた日本史(2009)ちくま新書
團伊玖磨解説 私の日本音楽史 異文化との出会い(1999)
NHKライブラリー
渡辺裕著 歌う国民(2010) 中公新書

柏田雄三さん

昆虫芸術研究家。製薬会社の農薬部門、家庭園芸資材会社を経て、大手家庭用殺虫剤メーカーに勤務していた。音楽を主体に昆虫を題材にした芸術を研究している。

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