あずさの個別化栄養学
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい
食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長
食事と健康の関係は、貝原益軒の養生訓を始めとして昔からいわれていますが、最近はさまざまな風潮が入り混じり何をどう食べたらよいか分からなくなっています。そこで、学校給食の現場や病院栄養士を経て、栄養系雑誌の編集者に転身した筆者が、栄養教育を国民運動として行ってきた先人たちに直接取材してきた経験を踏まえて、その思いを引き継ぎ、現代版の栄養改善の課題に挑みます。
日本人は幸せか不幸せか
生活水準が向上し、最先端の医療技術や設備が整っている我が国に衝撃を与えたのは、2009年のイギリスのエコノミスト誌の調査です。「死の質」総合評価ではOECD40カ国中で英国が1位だったのに対し、日本は23位という結果でした(図1)1。医療はこれまでの延命中心の治療から、生きることの質や死の質までが問われる時代を迎えています。
誤嚥性肺炎が死因になる
2007年に我が国は高齢化率が21.5%となり、超高齢社会に突入し、平成24年度のまとめでは23.3%に上昇しました2。また、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)」の出生中位・死亡中位仮定による推計結果によれば、2060年には高齢化率が39.9%と推測されています2。
このように急速に高齢化が進むなか、高齢者において最も身近な疾病といえば、認知症と誤嚥性肺炎です。社団法人全日本病院協会の「終末期の対応と理想の看取りに関する実態把握及びガイドライン等のあり方の調査研究」の2012年のまとめによれば、慢性期の疾患の患者を扱う「療養病床」100%病院では、入院高齢者は、脳血管疾患(脳卒中など)の割合が37%と最も高く、次いで認知症の14%、その他の疾患の10%でした3。
今回は誤嚥性肺炎を予防し治療につながる「食介護」4をテーマに取り上げます。
「食介護」で生き返る
誤嚥性肺炎は、高齢者に多い肺炎です。ヒトの喉の奥には、食道と気管を分岐している場所がありますが、この分岐点には気管の蓋があり、蓋を開けたり閉じたりすることで食べ物や液体が気管に入らない働きをしています。そして本来食道に流れるはずの食べ物や唾液などの液体が誤って肺に流れてしまい、その際に口の中の細菌も一緒に肺に入り、これが原因で起きる肺炎が誤嚥性肺炎です。食物によらなくてもお茶を飲むだけでも誤嚥性肺炎は起こりますし、体力などが低下している高齢者の場合では睡眠時にも注意が必要です。この肺炎を防止するために、中心静脈栄養法や経腸栄養法などが施されますが、長期にわたり経口摂取を休止するのは様々な問題を含んでいます(図2)5。
食べるという行為は五感をフルに動員します。まず視覚、聴覚、嗅覚の刺激に始まり、食べ物の口のなかでの食感(触覚や味覚)も活発になります。これは生きる質を上げる何よりの行為になるのです。
そこで、できる限り、食べる人の心に寄り添い、誤嚥しないように食形態を工夫し、くずや寒天などでとろみをつけ、大きさも配慮した食事を作ります。6,7
手や口の周りを清潔に保ち、口の中もきれいにして唾液の分泌を促す「口腔ケア」※を行い、唾液が出やすくなるようにトレーニングし、飲み込む際の姿勢にも注意を払います。
このように、患者さんに寄り添い、栄養士のみならず、看護師、介護福祉士、歯科医師、医師などが協力して誤嚥の危険を回避し、安全に介助していくことを「食介護」といいます。
「食介護」の現場で見えたこと
実際に私も、片麻痺で半年間経管栄養療法をしていた男性の患者さんを担当して自立するまで支援したことがあり、その経験をお伝えしたいと思います。患者さんは褥瘡(床ずれ)があったため、褥瘡委員会によるアプローチも行いました。
半年も口から食べていなかった状況で、いきなり食べさせることはできません。重湯にとろみをつけたものと、おかずをミキサーにかけて寒天で固めたものを唇にあてたり、お茶をしみ込ませたガーゼを口に含ませたりすることからスタートしました。最初は麻痺もあってしゃべることもなかったのですが、根気よく1ヶ月ほど皆で声かけを続けていたところ、ある時「もっと食べたい」という身振りをしました。その時、誤嚥もなく重湯を全量摂取できました。
しばらくして、一日摂取目標エネルギーの3分の1を経口摂取できるようになったころ、奥さんと娘さんに昔好きだった食べ物をお尋ねして、お寿司とうなぎが好物だったことを知りました。なんとかこの食べ物を出せないだろうかと考えて、一番旨味もあって軟らかい刺身のトロを、ゼリーで固めたシャリにのせてにぎり寿司風にした小さめのものを一つ作って出してみました。
患者さんは寿司を見て歓び、ぺろりと食べてしまったのです。まだ食べる準備として行う口腔マッサージ※もしていないのに驚きました。好きなものは誤嚥しないのか…。まさに、健常時の記憶が脳や筋肉にはあるのだと感じられました。その後、うなぎも小骨を外したら食べることができました。少しずつ食べられることが本人の誤嚥をしない自信につながったのでした。
食べられるようになるとリハビリセンターにも意欲的に通いだし、4ヶ月後には歩いて退院できるまでになり、一生麻痺と言われていたのに麻痺が治っていったのです。ご本人ばかりでなくご家族の喜びようといったら…言うまでもありません。
現在、認知症などで施設に入り、栄養管理の為に胃に穴を開けて直接濃厚流動食などを入れる胃瘻による延命措置を行っている方も少なくはありません。何らかの理由で胃瘻になった人でも、なるべく早い段階で経口摂取に戻れるように、経口アプローチをすることが、嚥下の記憶を呼び起こすためにも、本人の尊厳のためにも重要です。
参考文献
1) David Praill, et al. 終末期医療の国際比較.2010.
2)平成24年版高齢社会白書.高齢化の状況. 2012.6月
3)終末期の対応と理想の看取りに関する実態把握及びガイドライン等のあり方の調査研究.
4)手嶋登志子. 高齢者のQOLを高める食介護論―口から食べるしあわせ. 日本医療企画, 東京. 2006.
5)Yoneyama T, Yoshida M et al: Oral care and pneumonia, Lancet; 354, 515, 1999.
6)全国在宅訪問栄養食事指導研究会
7)日本介護食品協議会
※口腔ケア‥広義には口腔のもっているあらゆる機能(咀嚼、嚥下、発音、呼吸など)を介護することであり、狭義には、口腔衛生の維持向上を主眼に置く一連の口腔清掃を指す。唾液分泌を促し、嚥下機能を回復させるためと細菌感染の防止のために、歯科衛生士がブラッシングによる口腔の清掃を行うことが多い。
※口腔マッサージ‥食前に冷たく冷やしたガーゼを巻いた麺棒で唇から口腔までを刺激する口腔マッサージにより、口の周りの筋肉を刺激し、反射を呼び起こすように訓練する。
(図はクリックすると大きくなります)
食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい