あずさの個別化栄養学
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい
食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長
6月は食育月間。「食育」は生涯にわたって健康に生きるための土台作りとして大切な教育であるが、幼児期はそれを始めるのに絶好の時期といえる。
たとえば、乳児期から幼児期にかけ、多くのこどもたちは語彙を獲得し始めるが、その勢いは驚くべきもので、何ごともどんどん吸収しており、脳が確実に発達しているのが目に見えてわかる。
この時期に、日々の発育と連動した暮らしの中で、しつけや食について学ぶのは理想的な姿であろう。しかし、サザエさんのような一家であれば、フネさんからサザエさん、タラちゃんへとごく自然な形で、教えるべき食の習慣・知識は伝わっていくが、多様な生活を核家族で過ごしている現代においては、それらの伝承も昔に比べて難しくなってしまったのではないだろうか。
今回も「食育」の第一歩である「幼児期の食育」に焦点を当てる。
●「思いつき食育」から「暮らしの中にある食育」へ
幼児期における望ましい食育とは一体どんなものなのだろうか。
「食育という用語が注目され始めた頃は、食にまつわるイベントを催すことが、保育園や幼稚園でも目立っていた。しかし、やがて保育士らはそうではなく、日常の保育とどれだけ直結しているかという視点で食育を続けることが大事なのだと気がついた」というのは、幼児期の食育に詳しい「こどもの栄養」編集長で管理栄養士の岡林一枝氏((写真1)である。
食育基本法ができたばかりの頃の食育は、例えばクッキングとか畑やプランターでの野菜の栽培といったイベントが多く、思いつきの活動と呼べるものだった。「収穫したものが美味しくて良かった。楽しくて良かった。食べられなかった野菜が、これをきっかけに食べられるようになって良かった」で終わっても、それをよしとする傾向があったそうだ。
しかし、そういった思いつき活動をしている過程で、こどもたちが食にまつわる根本的な疑問をたくさん抱いていることがわかってきた。「大人にやらされる食育イベント」ではなく、まず、こどもたちが毎日の食生活の中で疑問に思っていることをスタートラインにして、それを大人がすくい上げ、そこから食育活動に発展させていくのが望ましいというように変化してきたそうだ。(表1:保育所における「食育コンテスト」の審査基準)
筆者は、具体的には、表の中でいう2番目の、「食や生活の営み=暮らし」が大切なのではないかと考えている。栽培とか調理だけでなく、「食」にかかわることは、一過性のイベントでは暮らしに定着しないので、継続的な食育が大切である。暮らしの中で繰り返し行う食育は、こどもの「生きる力」を育むことに直結するはずである。
この時期のこどもは、「快・不快」の感覚から学び始める。そして、遊びを伴った「楽しい」という感覚を通して吸収していくことが多くなる。そのため、調理にせよ畑の作業にせよ、こどもの発達の特性や生活の連続性に配慮して、その成長の過程に見合った活動であることが重要である。
とくに幼児期は発育・発達が著しく、生まれた月齢によっても差があり、しかも一人ひとり成長は一律のスピードではない。
だから大人が考えたおしつけるような食育指導では、こどもの発達と連動した、こどもが喜んでやりたいものでないと、一過性になりがちであり、継続性がなく、暮らしに根づかない。
こどもたちの興味はどこにあるのか、よくこどもを見つめ、発育・発達を意識して、時間をかけて始めなければいけない。
そして、「食育」をまず、その子自身の日々の暮らしの中に組み込んでいくことが、何より重要である。
また、幼児でも学童に近づくころになると自分で絵本や図鑑で調べたりできるこどももでてくる。岡林さんはそんなときに、彼らが自分にとってちょうどいい絵本教材と出会うのを手伝ってあげると、「食」の興味を深める意味では役に立つという。
一見、食育が目的の絵本でなかったとしても、こどもの食育に応用できる絵本というのはあるからだ(写真2:絵本例「あんぱんまんとばいきんまん」「イソップ物語」「マドレーヌのメルシーブック」「ティモシーとサラときのおうち」「ちいさなりゅうはスナフキンがすき」(筆者選))。そういうものとの連動ができれば教育的効果はさらに大きくなり、知識とともに、こどもの心は豊かになっていく。
●「お腹が空く」のような生理的現象に寄り添い、気づかせるということを大切に
最後に岡林氏の考える食育のゴールとは何かを聞いてみると、「一日3食」という答えが返ってきた。「よく若い子でお腹が空かないからきちんとした食事の代わりにゼリーやお菓子を食べたという話を聞くことがあるけど、それはもしかしたら幼児期に『お腹が空いた』という感覚をしっかりと持たずに過ごしてしまったからかもしれないと思う」と、岡林氏。
いっぱい動いて、「喉が渇いたね、お腹がすいたよねー」という感覚をみんなで分かち合うことも食育の一つ。「一日3食」で生活リズムを作ることもできるし、逆に規則正しい生活が「きちんと3食食べること」につながる。
また一方で、身体を動かすと温かくなることや、排泄するとスッキリすることなど生理的現象からも自分が生きているとしっかりと感じとること。その毎日の体感に寄り添って、生きるためには「食」が欠かせないのだと伝えることは、暮らしの基本中の基本になる。
そして、こどもにとって幼児期はとりわけ重要な時期であるから、保護者自身も率先して、いい食生活を目指し、こどもと一緒に過ごす食事時間を大切に考えて暮らしてほしい。
* * *
幼児期の食育は、カリキュラムのなかに組み込むことだけにとらわれず、それぞれの「暮らし」のなかで、自然体で行われていくのが大切だろう。
たとえその後、小学校や中学校で受ける食育が高度な学習的内容に移行したとしても、幼児期にそうした食育がしっかりと行われていれば、こどもにとってそれは大切な、深みのある食の基盤になるのではなかろうか。
また、土や風や雨や光を肌身に感じ心地よさを味わうことは、地球に生きていることを感じる意味でも大切である。とはいえ、現代社会は家族が皆多様な生活を営んでおり、なかなかそう理想通りにいかないことも多い。たとえば、畑に野菜を作るのはハードルが高くても、プランターに花を植えるくらいなら可能ではないだろうか。
そして、小さなこどもたちは、大人から与えられたものを食べるしかなく、まだ自分で食べ物を選ぶことはできないのだから大人が食べ方の見本を見せてあげなくてはいけない。
こどもたちの食育を真剣に考えれば考えるほど、上流にある大人の暮らし方が重要であり、大人の食育の重要性が浮き彫りとなる。現代のように食が多様化していることは、食へのアクセスが自由であるが、しっかりとした知識がないと「健康を目指す」ことは難しいとも言える。
こどもたちの暮らしは大人たちによって守られ、こどもの健康は暮らしの中から培われていく。食育という言葉が浸透した今こそ、社会全体で真剣に考えてほしい問題である。
写真3 公益財団法人 児童育成協会発行 月刊誌「こどもの栄養」
全国の保育所向けの雑誌で、「保育」と連動した、「食育」についての記事が厚い。中でも、全国から投稿される保育所給食の献立ページには、季節の献立と、目安量、実際に再現調理して盛り付けた写真、栄養価が掲載され参考になる(応募レシピの分量が適正でなかった場合には、保育園にアドバイスをフィードバックしているという)。「食育」は食育されるこどものものであり、こどもの発達に応じたものであるべきであると気づかされる雑誌である。
食生活ジャーナリスト、管理栄養士。公益社団法人「生命科学振興会」の隔月誌「医と食」副編集長
食べることは子どものころから蓄積されて、嗜好も体質も一人一人違う。その人その人の物語に寄り添うNarrative Medicineとしての栄養学を伝えたい