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連載陣とは別に、多くの方々からのご寄稿を受け付けます。info@foocom.netへご連絡ください。事務局で検討のうえ、掲載させていただきます。お断りする場合もありますので、ご了承ください
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キクは典型的な日本の植物だと思われがちですが、意外なことに、もともと日本には無く奈良時代から平安時代にかけて薬用植物として中国から渡来した植物です。万葉集にキクを詠った和歌が一首もないことからも、昔は日本になかったことが推察できます。
キクの栽培が大衆化したのは、安土桃山時代からといわれ、江戸時代にはキクの品評会である「菊合(きくあわせ)」が盛んにおこなわれました。貝原益軒は、元禄7年(1694年)に発行された『花譜』で9月にキクを取り上げ、「色香かたちともに、すぐれてめでたきもの也。誠に花の上品とすべし。詩歌に多く詠じ、からやまと、いにしへ今、人のあまねく愛するもむべなり」と絶賛しています。同じく益軒が編纂した『大和本草』宝永6年(1709年)によると、キクは昔は「菊」ではなく「鞠」と書きました。「鞠」は「窮」と同じで、窮極の「最高の花、一年の最後に咲く花」を意味しています。キクを一年の最後に咲く花として「花の弟」と呼ばれることが今でもあります。
中国でキクは延命長寿の霊草と信じられ、古い書物の『風俗通義』には、山にキクが生えている甘谷という場所の水を飲んでいる人々は120~130歳まで生き、70歳や80歳だと若死にだと言われることが書かれているそうです。『太平記』には慈童という人がある文字を書き付けた菊の葉にたまった露が落ちる谷の水を飲み800年以上も生きたことが書かれています。能の≪菊慈童≫では700歳以上、≪枕慈童≫では800歳以上も齢を重ねた人として舞われるのです。このようにキクの花で長生きする延命長寿の信仰が、9月9日の「重陽の節句」や食用菊の伝統として伝わったのでしょう。
花を食べる植物は「食用花」とか「エディブルフラワー(edible flower)」と呼ばれます。日本ではキクのほか、フキノトウや菜の花、めでたい席で使われるサクラの花、シュンランが代表的です。また、園芸植物の中にもカーネーション、コスモス、デンファレ、トレニア、ナスタチウム、パンジー、ビオラなど様々な花があります。東京秋葉原の居酒屋で友人と一杯傾け、メニューに「もってのほか」と書かれた薄紫色をしたキクの花のお浸しを口にしながらキクに付く虫のことを話題にしました。
山形県山辺町の知人によると、紫色の花の食用菊の正式名は「延命楽」で、「もってのほか」や「もって菊」の名前で店頭に並ぶばかりでなく、自家用に家庭でも良く作られているそうです。「もってのほか」には、「おくもって」とも呼ばれる「本もって」と「早生もって」とがあって、花弁が管状をした「本もって」の味が良く、値段も高いそうです。新潟県下越地方出身の知人は、子供のころ隣接する山形県の親戚からもらう「もってのほか」がよく食卓に上ったことを懐かしそうに話してくれました。また、新潟県長岡市の知人によると「延命楽」は新潟県内では地域によって呼び名が異なり、新潟市など下越地方では「柿のもと」「垣のもと」、長岡市など中越地方では「思いのほか」と呼ばれるそうです。著者自らが“大人の絵本”と評した山室眞二 画・文の『カントリー・ダイアリー』(2020年 ツマキ文庫)というとても美しい本にも食用菊の呼び名のことが書かれています。
この「もってのほか」という一度聞いたら忘れられない名前はどこから来たのでしょうか。山形県の知人によると「こんなにおいしいものを食べないなんてもってのほかだ」「キクの御紋を食べるなんて恐れ多くて、もってのほかだ」「こんなに美味しいものを嫁に食べさせるなんてもってのほかだ」など諸説があるそうです。
青森県五所川原市の「干し菊(菊のり)」は「延命楽」ではなく「阿房宮」という品種のキクの花弁を蒸してから陰干しし、海苔の形にしたもので、それを戻して三杯酢などで食べます。江戸時代の末に南部藩主からはじまる歴史をもつ食材だそうです。児童向けの『そだててあそぼう25 キクの絵本』(かみむらはるか へん、たかべせいいち え 農文協)という本には「もってのほか」の名前の由来のほか、「小菊はニガ味が強いけれど大輪菊はおいしいので、福助づくりで咲かせた花をいろいろな料理にして食べてみよう」と酢の物、吸い物、のり巻き、てんぷら、菊寿司、菊のつけもの、菊のお茶 などさまざまな料理法が書かれていて、キクの食材としての多彩さを知ることができます。
ところで、俳人の松尾芭蕉は滋賀県の大津で“蝶も来て酢を吸う菊のなますかな”の句を詠んでいます。俳諧七部集の「猿蓑」の中の一句です。芭蕉は、滋賀県の大津をたびたび訪れた人で、大津市長発行の『大津と芭蕉』(1991年)によれば、芭蕉が生涯に詠んだ約980句のうち1割近い89句が大津における吟詠だそうです。芭蕉のお墓も大津市の義仲寺にあって、私も詣でたことがあります。芭蕉のこの句は、キクが東北や北陸以外の地でも食卓に上っていたことを示しているように思われます。
キクと言えば、中国の陶淵明による“菊を采(と)る東籬(とうり)の下 悠然として南山を見る”の詩を思い浮かべます。阿辻哲次著の『漢字逍遥』(角川oneテーマ21)(2010年)で、この詩のことを「陶淵明は、花を愛でるためではなく、夕食のおかずとして庭の菊を摘んでいたのである」という趣旨の解説を読みました。私が持っていたイメージと異なるので驚いてしまいました。
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