食品衛生レビュー
こちらの記事は以前に、日経BP社のFoodScienceに掲載されていた記事になります。
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1980年頃の食中毒の多くは、夏の食中毒の王様であった腸炎ビブリオであり、それに化膿菌の黄色ブドウ球菌、食肉の二次汚染の可能性が高いサルモネラ、病原大腸菌が続いていました。夏の食中毒予防キャンペーンや食中毒警報の発令は、腸炎ビブリオ対策を主な目的としたものでした。その頃は、鶏卵のサルモネラ汚染は特に大きな問題ではなく、旅館の朝食には、ごく一般的に夏場でも生卵が付いていました。
それが、88年辺りから鶏卵に関連したサルモネラ・エンテリティディス(以下SE)による食中毒の発生が目立ち始めたのです。原因はEU諸国から輸入される原種鶏(産卵鶏の2世代前)の汚染です。汚染されていても鶏は発病しないため、鶏が輸入されていました。90年代に入り、その猛威が広がって腸炎ビブリオを凌ぐものとなりました。SE食中毒は、鶏卵の生食のほか、生あるいは生の感じが残る自家製マヨネーズ使用食品、オムレツ、ババロア、ティラミスなどの洋生菓子、自家製アイスクルーム類、仕出し弁当、そして鶏卵を多用する病院給食の食事で多発しました。しかし、汚染率は1万個に3個程度とされ、残った鶏卵の細菌検査をしても、サルモネラは検出されませんでした。
現場の食品衛生監視員はSE食中毒防止を目指し、講習会などで飲食店、洋菓子店へ注意喚起を訴え、養鶏農家や流通事業者のところへ、積極的に現場調査や指導に出向きました。しかし、何十年も信じられてきた「鶏卵は腐らない」という神話を崩すまでにはいかなく、法的規制もない中で、指導に苦労しました。私自身次のような経験をしました。
住宅地に隣接した1000羽程度を飼育するある養鶏農家では、毎日700個から800個の採卵がありましたが、70%近くは近辺の住民への直接販売で、毎日残るのは200個程度でした。そのためGPセンター(鶏卵の格付け包装所)からは週2回しか集荷がなく、夏は30℃を超すトタン屋根の小屋の中に卵が置かれていたのです。「温度の低い場所に移すように」と指導すると、「誰がそんなことを決めたのか、俺たちを殺すのか」と反論されたものです。
GPセンターでは、実際に卵の採卵日が違うものでも、GPセンターに集荷された日を包装日として包装していました。また、鶏卵問屋では、数時間ですけれども、真夏の直射日光が当たる場所に置かれていましたので、「日影に置くように」と指導しました。
山間の小さな商店に卸す鶏卵問屋では、ダンボールに入った卵を10個入りにプラスチックパックに移し替えていました。その際、包装日はパックに入れた日にしていたので、ダンボール箱の日にするように指導すると、「誰がそんなことを決めたのか、俺たちを殺すのか」という養鶏農家と同じ答えが返ってきたのです。
そこで、何かの会合で厚生省の担当者と話し、農水省への働きかけをお願いしたのですが、「(指導をするには)事故の実体をまとめたものが必要である」との答えで、事故を未然に防ぐための措置はできない状況だったと記憶しています。
その後、97年春に三重県桑名保健所から「サルモネラ食中毒の防止対策」(卵関連の食中毒を防ぐために)」が報告発表され、「鶏卵のサルモネラ対策が重要である」旨、テレビや新聞が報じたのです。すぐに「やった」と思い、桑名保健所の長坂裕二所長のところに駆けつけました。詳しくお聞きしてみると、全国からサルモネラ関連食中毒の報告書の提供を受けたとのことで、全国の保健所でサルモネラ対策には苦慮していることを再確認した次第です。
その年の6月2日、食品衛生調査会食中毒サーベイランス分科会で、長坂所長が「鶏卵によるサルモネラ食中毒防止対策の必要性」を話され、9月初めに「鶏卵の保存温度、賞味期限等を検討する」ことが決まりました。これを受けて厚生省が農水省に働きかけ、鶏卵関係10団体(日本養鶏協会、中央畜産会、全農など)による「鶏卵日付表示灯等検討委員会」が設置されたのです。98年6月1日には、この検討会から「鶏卵の日付等表示マニュアル」が発表され、鶏卵業界での賞味期限の表示が始まりました。その後、99年11月1日に食品衛生法で「鶏卵の賞味期限」の表示が義務付けられました。
「鶏卵の日付等表示マニュアル」は、生食での表示が示されており、次のようになっています。
「サルモネラが鶏卵の中に入っていても、一時的に卵黄膜により増殖が押さえられます。卵黄膜は保存温度及び保存期間と一定の関係で弱化し、卵黄膜が弱化することによって、サルモネラが急激な増殖を起こすことになります。鶏卵の生食できる賞味期限の設定は、次の計算式によってサルモネラの急激に増殖し始める期間を求め、これに、家庭での冷蔵庫保存期間7日を加え、採卵日に加えた日となります」
D(菌の急激な増加が起こるまでの日数)=86.939−4.109T+0.048T2(T:保存温度)
季節ごとに、T(基準温度)を当てはめると、賞味期限は次の通りになります。
季 節、T(基準月、基準温度)、D、賞味期限
・夏 期(7〜9月)、8月の気温27.2℃、10.69、採卵後17日以内
・春秋期(4〜6月、10〜11月)、6月の気温21.5℃、20.78、採卵後27日以内
・冬 期(12〜3月)、3月の気温8.9℃、54.17、採卵後61日以内
しかし、ここでは、温度変動があると急激に劣化しやすいとの理由(実際は、生産者や流通業者などに大きな設備投資させることは無理)で、採卵から販売までの温度設定が決まりませんでした。そして、購入者は次のような冷蔵保存方法をとるようにとの表示となっています。
保存方法:冷蔵庫(10℃以下)で保存してください
使用方法:生食の場合は賞味期限内に使用し、賞味期限後には十分加熱調理をしてください。
実際に今では、大手流通業者の表示では、賞味期限は採卵から15日以内となっており、流通は冷蔵車、販売は冷蔵ケース(棚)に入れるようになりました。
また、動物検疫所では輸入原種鶏の糞便検査を実施し、サルモネラ汚染鶏の輸入阻止に当たっていますが、ロットごとに行うので、すべての汚染鶏の阻止はできていないのが実態です。
鶏卵の賞味期限の義務化などによって、SE食中毒が急激に減少しました。しかし、まだ鶏卵が関係するSE食中毒の発生は散見されます。サルモネラは2300以上に分類されますが、現在もサルモネラ食中毒の中で一番多い病因物質はSEです。鶏卵が関係するSE食中毒が発生した場合には、保健所は採卵にさかのぼって調査しますが、GPセンターが所轄外だということが判明した場合には、そのGPセンターを所轄する自治体へ通報します。
鶏卵によるSE食中毒発生防止対策が功を奏してサルモネラ全体の食中毒発生数は激減しましたが、今後とも飲食店、洋菓子店等においては次のことを十分に注意する必要があります。
1)購入した鶏卵はすぐに冷蔵庫に保管する。
2)生食で提供する場合には、なるべく新鮮なものを出す。
3)割卵後は直ぐにサルモネラが急激に増殖するので、すぐに十分な加熱調理をする。
4)カツ丼、親子丼など、生の感じを残す卵料理の調理の場合には、1個ずつ割卵して調理する(複数分を同時に作らない)
5)生の感触を大切にするティラミスのような生洋菓子には、殺菌液卵を使用する。
6)鶏卵を触った手指、使用した器具類は十分な洗浄消毒をする。
こうして鶏卵によるSE食中毒発生を減少させることに成功ました。今後は、ノロウイルス、カンピロバクター食中毒発生防止対策についても、サルモネラ食中毒防止策のようなクリーンヒットが出ることを期待します。(食品衛生コンサルタント 笈川和男)