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執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

農と食の周辺情報

原発事故と野生動物 栃木のオオタカの場合

白井 洋一

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 5月13日の当コラム「外国人研究者の見たフクシマのツバメ ひな鳥にDNA損傷なし」で「ネイチャー出版グループのサイエンテフイックレポート(SR)誌に載った『ツバメのひな鳥に目だったDNA損傷なし』という論文をメディアが記事にしなかったのは残念」と書いたところ、「SRにオオタカの論文も載っていましたね」というメールをもらった。

 2015年3月24日にSRにオンラインされた「オオタカの繁殖に及ぼす福島第1原発事故の影響」で、名古屋市立大の村瀬香准教授(生態測定情報学)らが書いた論文だ。

 オオタカは希少種、準絶滅危惧種であり各地で保護活動の対象となっている。栃木県のNPO法人「オオタカ保護基金」は1992年から那須野ヶ原で同じ観察方法で、オオタカの造巣、抱卵、孵化、巣立ち数を調査してきた。原発事故後の2011~2013年には、これらの数値は事故前に比べて大きく低下した。さらにオオタカの巣の下で測定した放射線の空間線量とも相関関係があったという論文だ。

 多くのメディアが記事にした。共同通信(2015年4月22日)は「原発事故でオオタカ繁殖低下 高線量影響か」と配信し、東京新聞は4月26日(日)に紙面の4分の1(ほぼA4サイズ)を使って「空間線量影響? オオタカが危機 捕食で内部被ばくしたかも」と大きく報道した。

 メディアの取り上げ方、見出しのつけ方はこんなものだろうが、元になった論文(原著論文)にはいくつか問題がある。嘘、ねつ造ではないが、現役の生態学者、大学の准教授が書いた論文としてはの問題だ。

論文に書いてあること
 まず論文の要約を全部紹介する。
 「食物連鎖の上位の捕食動物(top predator)の繁殖に及ぼす原発事故の影響は今まで調べられていないが、その影響を明らかにすることは重要だ。なぜなら人間も上位の捕食動物だからだ。我々は22年間、日本の北関東で上位捕食者であるオオタカの野外調査をおこない、2011年の福島第1原発事故の前と後のオオタカの繁殖成功率を解析した。繁殖成功率は事故前と比較して大きく減少し、事故後3年間では年々減少した。さらに、このような減少は他の要因よりも、主に原発事故によって引き起こされたことが示唆された。我々は繁殖成功率の変化の傾向について考察し、外部被ばくだけでなく内部被ばくがオオタカの繁殖成功率に重要な役割を果たしている可能性を指摘する」

 私は4月26日の東京新聞の記事を読んだとき、ほんとに原発事故のせいなのかと疑問に思った。理由は3つある。1つはオオタカは希少種として保護対象になっているように、近年生息地が開発などで失われ個体数が減っている。そのためではないか。2つめは調査地の栃木県那須野地域は東京電力福島第1原発から南西に100~120キロメートル離れており、放射線汚染度はかなり低い(部分的にホットスポットと呼ばれる高汚染地点もあるが)。3つめは食物連鎖の頂点にいる猛禽類のオオタカへの影響を強調しているが、水銀や農薬の生物濃縮と異なり、放射性物質は動物体内に蓄積せず、体外に排出されることが分かってきている。餌になる小動物の体外排泄などを考えると、食物連鎖の頂点にいるからという根拠は成り立つのだろうかと思ったからだ。

 論文をよく読んでみると、事故前と後の比較はおおむね正しいようだ。しかし、放射性物質汚染度との因果関係の解析などいくつかの問題がある。

 1.孵化率、巣立ち率は減ったが造巣率の低下は原発事故前から
 論文の表1では事故前(1992~2010年)、表2で事故後(2011~2013年)の観察総数、造巣数、抱卵数、孵化数、巣立ち数を実際の数値で示し、事故前と事故後をひとまとめにして比較している。しかし、事故前は19年分なのに対し、事故後は3年間だ。年ごとの変動もあるので、3年間ごとの平均値に直してみた。最初の1992年はその後の観察数よりかなり少ないので除外した。1993~95、96~98、99~2001、02~04、05~07、08~10、11~13年の3年ごとの平均値に直すと以下のようになる。

 造巣率は93.1%→76.0→70.0→76.1→66.4→57.1→56.6で年々減少傾向にあり、特に事故後に大きく低下したとは読み取れない。事故前18年間の平均は70.6%で、これと事故後3年間の56.8%を比べると大きく減っているように見えるが、造巣率は1990年代半ばから減少が続いていたのだ。

 孵化率と巣立ち率(ヒナの生存率)は論文の要約や新聞記事とほぼ一致する。孵化率は85.7%→91.7→85.7→88.9→88.9→88.1→81.0で、事故前は88%前後で安定していたが事故後には81%と減少し、2011~13年も、90.0%→85.0→66.7と年々減少している。

 巣立ち率は93.3%→92.7→90.0→84.5→86.1→88.1→74.5で、これも事故後に大きく減少している。ただし事故後3年間の値(83.3→64.7→75.0)は増えたり減ったりだ。

 造巣率を含めすべての繁殖成功率が事故後に減少したというのは誤りだが、孵化率と巣立ち率が統計的に有意な差のある減り方をしたのは事実のようだ。

 2.被ばく影響を空間線量、シーベルトで推定するのは問題あり
 論文では2012年6月28日の1回だけ、オオタカの巣の下で空間線量を測定し、これを放射性セシウム汚染度の数値にしている。40か所のうち13か所をランダムに選んで測定したという点も少し気になるが、鳥類の孵化率やヒナ生存率への影響を見るのに、空間線量(マイクロシーベルト/時間)で論じても意味があるのだろうか? シーベルトは人の外部被ばく量や防護対策のための指標値であり、餌動物の捕食を介した内部被ばくの影響も論じているこの論文では、調査方法として問題があると思う。巣の材料や真下の表層土壌を採取して乾物重量あたりのベクレル値で示した方がまだ意味があるように思うが、それでも1年1日限りではなく継続的な測定が必要だ。

 3.放射性物質以外の要因の解析が雑
 論文では他の要因よりも放射性物質による影響が大きいと結論しているが、その根拠が乱暴だ。他の要因として、林冠閉鎖度(樹木の茂り具合)、微気象条件、餌となる動物の数と利用、捕食者(天敵)、人間によるかく乱の5つが考えられるとしているが、それぞれの要因について個別に解析していない。13か所で測定した空間線量から、孵化率や巣立ち率の違いは場所の違いよりも線量の違いの影響が大きい、だから他の環境要因による影響はないか少ないと結論している。空間線量で示すことにも問題があるが、このような考察、結論の導き方は科学的にはほめられたものではない。

 4.人間の食生活に言及するのは的外れ
 論文の要約でオオタカも人間も食物連鎖の頂点に立つ上位捕食者、だからこの研究は人にとっても重要と書いている。オオタカは原発事故がおこったことも捕獲した小動物から内部被ばくすることも知らないで生活している。しかし、人間が口にする食物は厳しく管理されており、基準値超(100ベクレル/キログラム)の食品が流通することはない。福島や北関東で採れた山菜やイノシシの肉しか食べないという食生活主義の人は別として、オオタカと人間を同列に扱うべきではない。

今後どう研究を詰めていくのか
 この論文は統計的には相関関係があるが、放射線汚染との因果関係はまったく解明されていないという典型的な例だろう。もしほんとうに孵化率や巣立ち率の減少が放射線被ばくによる影響だとしたら重大な出来事であり、科学的にも価値がある。しかし、今のままでは専門家筋から調査法、測定法に問題ありと相手にされない可能性がある。放射線被ばく量と孵化率やヒナ生存率の因果関係を実験で証明するのは難しいだろうが、専門家の意見も取り入れて研究を詰めてほしい。NPO法人による野外調査は継続しているのだから、2014年以降の結果も発表してほしい。多くの点で問題のある論文だが、放射性物質による野生生物への影響の研究は始まったばかりで、これから10年、20年続く長期戦だ。この論文の懐疑派も含め、科学者、研究者は前向きな提案、指摘をしてほしい。

執筆者

白井 洋一

1955年生まれ。信州大学農学部修士課程修了後、害虫防除や遺伝子組換え作物の環境影響評価に従事。2011年退職し現在フリー

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一時、話題になったけど最近はマスコミに登場しないこと、ほとんどニュースにならないけど私たちの食生活、食料問題と密に関わる国内外のできごとをやや斜め目線で紹介