科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

多幸之介が斬る食の問題

「あるある大事典」事件から1年が過ぎて

長村 洋一

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 昨年は、年頭に不二家の消費期限偽装問題事件が発生した。ペコちゃんポコちゃんで多くの人が長年親しんできた企業の不祥事であっただけに、一般消費者に与えたショックは大きかった。その興奮冷めやらぬ時期に納豆が店頭から消えてしまうという騒ぎに端を発して、日曜夜のお茶の間人気番組であった「発掘!あるある大事典II」の内容が、とんでもない捏造だということが発覚した。この番組も長年消費者に親しまれていた番組だけに、視聴者に与えた影響は大きかった。私はこのあるある事件の時にレタスの問題で巻き込まれることになった。そして、昨年1年は改めて食情報における一般市民の科学的考察力の不足が引き起こす諸問題について考えさせられる年となった。

 昨年は1月のこの2つの事件が皮切りとなって、ミートホープ、中国野菜問題、BSE全頭検査打ち切り、白い恋人、赤福と庶民にとって非常に身近な食品が次々と話題となり、“食の安全・安心は大丈夫か”という感覚が消費者全体に蔓延した。私自身にも昨年は、これらの問題に潜んでいる本質的な問題について、種々の角度から考える非常に良い機会が多く与えられた。

 あるある事件における大きな問題は、視聴率を稼ごうとした製作者の行き過ぎが大きな原因であったことは明白であるが、その行き過ぎた行動そのものは科学的な観点から見たとき非常にお粗末なものであった。しかし、そのお粗末な番組が長年高視聴率で続いていたという事実は、視聴者がその情報にかなり満足をしていたことによって支えられていたことを示している。

 そして、その番組を支えるための御用学者が存在していたことも、一方における重要な構成要素であった。このことは昨年の一連の食に関する問題に内在している大きな問題に共通した点、すなわちいわゆる一般消費者には研究者に対する信頼があったが、とんでもない似非研究者がその信頼の裏切りに一役買っていたことに起因していた。あるある事件の問題は研究者というブランドであったが、食品業者の不祥事はメーカーとしてのブランドに甘えた中で行われた消費者に対する裏切りであった。

 私は最近講演をした食品添加物に関する市民講座で、「グリシンに使用量の上限を設定してないのは危険じゃないですか」という質問を受けた。その時、「グリシンのみではなく、皆さんが化学調味料と言って敬遠しているグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸なども全部我々の体の中に存在している化学物質ですよ」と回答したのだが、どよめきが起こったのには驚いた。それは明らかに、「そんなことは知らなかった」という反応であった。

 しかし実際はどうかとえいば、扇動家と一部のメディアはやたら化学名を並べてこうした人たちを脅している。こうした行為に加担している科学者がやっていることは、一般消費者の化学的な無知に付け込む極めて悪質な行為といえる。こういう科学者に騙されるような一般の方々に、残留農薬の安全性、全頭検査のナンセンスさ、遺伝子組み換え食品の有する利点と問題点、最近の食品冷凍技術による安全性保障のレベル、食糧をバイオガソリンにすることの問題点などなどを正確に理解していただくことは、かなり難しい問題である。

 消費者に危険性を煽ることは、1つでも何か事件となったことがあれば、「今後も同じことが発生しないとは言えないのです」と言えば、そのことはある意味で正しいから、簡単にできることである。しかも、こうした議論で問題となるのは、多くの研究者が追試をやって再現できないような結果であっても、1回でもそうなったという報告は完全に否定することが非常に難しいという点である。環境問題を含めて安全性に関する幾つかの実験結果や調査報告には、恣意的と思われるような例がある。リスクとベネフィットに関する議論は科学的になされなければならないが、そんな状況下で極端な危険論が優先して全体として見た時にどうなるかという議論が忘れられていることが多い。

 世界の食糧事情を考え、日本の置かれている食糧事情を考えた上で、本当に日本の食の安全・安心問題がどうあるべきかは非常に重要な問題である。そして、この問題は浅薄な感情論で片付けて済む問題ではなく、科学的、経済的、社会心理的な非常に広範囲の学際的論理思考から考察されるべき問題である。

 ただ、こうした観点からの研究者の積極的な社会活動は多くの科学的研究者の苦手とする分野である。また、一般の人々に既成概念のように出来上がってしまった考え方にノーを叫ぶのには、一定の勇気がいる。そのためと思われるが、研究者からのこうした発言は残念ながら少ないように感じている。しかし、このジャーナルの副編集長中野栄子氏が “食の安全の科学的根拠は、研究者の積極的な情報発信が求められる”と先週指摘しておられるように、研究者が積極的に一般市民への啓発的活動をしなくてはいけないと強く感じている。(千葉科学大学危機管理学部教授 長村洋一)