九州大学農学部卒業後、食品会社研究所、業界誌、民間調査会社等を経て、現在はフリーの消費生活コンサルタント、ライター。
「食と放射能」にかんする“ニュース”がテレビや週刊誌には目白押し。でも、科学的根拠の薄い情報、業者の宣伝に利用されているとしか思えない情報が氾濫しています。またしても、トンデモ科学、ニセ科学が横行し、マスメディアが情報拡散に加担しているのです。
これからしばらく、食と放射能を巡る情報の真贋について、記事、Q&Aなどで検討して行きます。
『AERA』(朝日新聞ウィークリーAERA)6月13日号の特集は、「放射能とがん」である。この中で「放射性物質から体を守る食品」として「1日2杯の味噌汁が効く」と取り上げられている。「味噌汁が効く」という話は、福島第一原発事故直後から、様々な雑誌で取り上げられてきた。どのような根拠に基づいて、報道しているのだろうか。
根拠の1つは、長崎の医師、秋月辰一郎氏の体験に基づくものである。秋月医師は長崎で被爆している。被爆後、自らも含めて患者、家族、医院の職員は、毎日味噌汁を食べ続けたそうである。著書「体質と食物」の中で、彼らが「いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、『わかめの味噌汁』であったと私は確信している」と書いている。
しかし、これだけではあくまでも体験談なので、本当に「味噌汁が効いた」のかどうかはわからない。
また、この著書が英国で出版されたことから、チェルノブイリ原発事故の時には、日本からの味噌の輸出量が急増したと言われている。しかし、この話も、増えたのはどのくらいの量なのか、誰が何のために食べたのか、確認されてはいないし、検証が行われたわけでもない。
もう1つの根拠は、これを科学的に裏付けようとした広島大学原爆放射性医学研究所(原医研)の動物実験である。秋月医師の事例を研究した原医研の研究者たちが、1980年代からマウスを用いて様々な実験を行っており、放射線障害に対する味噌や発酵食品の防御作用について、発表してきた。
『AERA』の記事では、この原医研の渡邊敦光教授による動物実験を紹介している。一部を抜粋すると「10%の味噌を加えた餌とそうでない餌を1週間マウスに与え、強い放射線を浴びせた。3日半後に消化器官で最も放射線への感受性が高い小腸を調べると、味噌を含んだ餌を食べたマウスだけに小腸の細胞の再生が見られた」とある。
記事の中では、同大学で行われた他のマウスの実験についても触れてあり、「味噌の熟成期間が長いほど、放射線照射による小腸の傷も少なく、生存日数も増加した」とする実験結果や、「被爆後ではなく、日ごろから味噌を食べていた方が放射線防護効果が高い」とする実験結果も紹介してある。よく熟成した味噌を、日ごろから十分に食べる事が放射線防護の効果を高めるとして、1日2杯の味噌汁を勧めているのだ。
確認のために、これら実験の詳細を読んでみた。
一番古い実験は、1989年7月に発行された「味噌の科学と技術」(全国味噌技術会発行)に紹介されており、続いて1991年1月に発行された同誌に「マウスのX線照射による小腸障害に対する味噌の効果」として、渡邊敦光教授の実験が紹介されている。いずれの実験も、10%の乾燥赤味噌を照射一週間前から与えた群と、普通の餌群を対照として実験が行われている。
ここで用いられた「強い放射線」の量に驚いた。餌の条件をかえてグループごとに分けられたマウスは、全身に1回、8~12グレイ(Gy)の異なる線量のX線を照射されている。シーベルトに換算すると8,000~12,000mSvに相当する。その量のX線を浴びたマウスが長生きできるとは思えない。実験結果をみると、やっぱりすべてのマウスが、12Gyでは4日~8日で死に、8Gyの照射の場合も10日前後で死んでいる。
実験はこのような過酷な条件のもとで、「味噌を与えた場合」と「普通の餌の場合」の対照群とではマウスの生存日数にどのような違いを生ずるのか、そして、小腸の組織の再生にどのような影響を与えるのかを調べたものである。
その結果、生存日数については、味噌投与群と、対照群の差はなく、味噌の効果はほとんど確認できてない。
それでは、小腸の組織再生について効果があったのかどうか。実験では照射3日後のマウスを屠殺し、そこで小腸の腺窩という組織の数を調べている。この場合、味噌投与群では、対照群よりも小腸腺窩の組織生存率が高かった。また高線量のX線を照射されるほど、味噌投与群の組織生存率が対照群よりも高く、防御効果が顕著であったという。
ここまで読んでお気付きだと思うが、広島大学原医研のこれらの実験は、マウスが死に至るような“高線量”のケースについて、味噌食の効果を調べたものである。1999年に起きた東海村の臨界事故のように、高線量の放射線を一度に浴びた場合、消化管死によって死に至ることから、消化管死の防御の方法を見出すことを研究目的としている。
今、日本の社会が問題にしているのは、“低線量”のケースで、発がんリスクはどうなるか、ということだ。高線量のエックス線を浴びたマウスの消化管死に与える影響でもって、今の私たちの暮らしへの影響を推し量ることはできない。ましてや、これらの研究は動物実験によるものであり、ヒトで確認されたわけではない。飼料に乾燥味噌を10%も混ぜた「大量投与実験」の結果を基に、日常生活の中で食べる程度の量の味噌の効果を語るのも無理。これらの実験結果をもって、「1日2杯の味噌汁は効果がある」とはいえない。
私はここで「味噌汁にはまったく効果がない」ということを言おうとしているわけではない。しかし、科学的な検証をしていない『AERA』の記事を信用して、これまで味噌汁を飲んでいなかった人が味噌汁を飲んだり、味噌の摂取量を増やしたりする人が増えることはありえる。その人たちにとっては、放射線の防御効果は不確かであるにもかかわらず、食塩摂取量は上がることになるだろう。
放射性物質をできるだけ取り込みたくない、取り込んだとしても排出する食品を取りたい―少しでも安心したい気持ちは理解できる。しかし、動物実験のデータを信じて健康的な生活習慣を乱したり、食生活が偏ることによるリスクを増大させたりしてはならない。リスクをしっかりと天秤にかけて、冷静に行動したい。(森田満樹)
九州大学農学部卒業後、食品会社研究所、業界誌、民間調査会社等を経て、現在はフリーの消費生活コンサルタント、ライター。