科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

科学にとっての悲しい日。 メディアにとってはもっと悲しい日~Séralini事件(下)

宗谷 敏

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 2012年9月19日、フランスCaen大学の分子生物学教授Gilles-Eric Séralini らが、ジャーナル「Food and Chemical Toxicology」に発表した論文「Long term toxicity of a Roundup herbicide and a Roundup-tolerant genetically modified maize(除草剤ラウンドアップとラウンドアップ耐性GMトウモロコシの長期毒性)」について、概要などを(上) に書いた。(下)では、この発表を受けて主要国がどう反応したかを検証する。

<EUのリアクション>

 EUでは、欧州委員会スポークスマンが「もしこれが証明され、健全な科学的証拠に基づくものなら、それに応じた行動をとる」とコメントし、欧州食品安全機関(EFSA)に論文のレビューを諮問した。

 緑の党からの欧州議会議員で、過激なGM反対活動で名高いフランスのJose Bove氏は、「これらの新しい証拠はGM作物が人間の健康のためにどれぐらい危険であるかを示す」と語る。

 10月4日、EFSAは世界から注目を集めた初期レビューを発表し、後日Q&Aも追加した。「試験設計や結果の記述は不適切であり、論文にはリスクアセスメントに有効であると考えられる科学的質が不十分である」との内容であった。

 EFSAは詳細レビューを10月中に纏めたいとし、Séralini教授に対し10月18日までに論文に掲載されていない全データの提出を求める公開書簡を送る。これに対しSéralini教授は、条件としてEFSAが2003年と2009年に行ったNK603の安全性評価に関するEFSAの全データを公開するよう要求し、さらに「EFSAは科学界と称する圧力団体の干渉によって歪められている」などと批判している。

 Séralini教授が求めたデータは、公共公開要求に基づく通常の情報公開方法に従ってEFSAからSéralini教授に与えられたが、Séralini教授側からは何の回答もない。10月30日の「DowJones」 によれば、EFSAは詳細レビューを11月中旬に延期した。

 EFSA とは別に、700名以上の科学者と学者が、Séralini教授に全研究データを公表するよう求め、これが実行されない場合には「Food and Chemical Toxicology」は論文を取り下げるべきという請願に署名している。

<フランスのリアクション>

 9月21日、フランス政府は、農業相、環境相と健康と社会問題相が共同声明を出し、the National Agency for Food Safety(ANSES:フランス食品環境労働衛生安全庁)などに調査を命じ、結果如何では欧州当局へNK603緊急輸入停止を含む、必要な手段を取ることを要請したい、と述べた。

 10月19日、フランスの農業、医薬、薬学、科学、技術と獣医の6学会が、Seralini教授の研究は、ANSESのレビューにも価しない「scientific non-event」として完全却下する異例の共同声明を出した。

 10月22日、政府からの諮問を受けたANSESとthe Higher Biotechnologies Council (HCB:バイオテクノロジー高等評議会、66人の専門家が構成)も、研究結果には裏付けとなる科学的根拠が見当たらず、NK603とラウンドアップの安全性評価が疑われる点は一切確認できなかったと発表した。

 しかし、この研究結果を巡る議論で困惑した人々のために、さらなる調査が必要との見解も、両機関は加えた。これを受けて、当初の鼻息が一気にトーンダウンしたフランス政府は、欧州連合にこれらの提案を考慮して、GM作物と農薬の事前審査手順を「総点検する」ように依頼するであろうと述べて、辛うじて面子を保つ。

 遡るが、10月10日、フランスの種子会社Vilmorin社(フランスの大手農業協同組合 Limagrain傘下)が、来春のフランスにおけるGMトウモロコシ試験栽培を中止すると表明した。同社は、ドイツ KWSSAAT社と協力して、EU域内向けGMトウモロコシの独自開発を目指していた。

 同社は表向き(フランスの)政治情勢を中止の理由としているが、Séralini事件の影響も否定しえない。もしそうだとしたなら、Séralini教授は、EU域内で唯一栽培可能なGMトウモロコシを持つ宿敵Monsanto社に利するという皮肉な結果を招いたことになるだろう。

<英国のリアクション>

 9月19日の記者会見会場がロンドンだったので報道数は多かったが、研究を支持する少数の識者や学者(CRIIGEN科学評議会メンバーなど)と、批判する多くの科学者のコメントが紙面を彩り、特筆すべき内容はない。英国食品基準庁(FSA)も、9月19日の専門紙の照会に「調べるが時間が必要」と答えたのみで、沈黙を守った。

 素早く対応したのは、The Science Media Centre(SMC)で、9月19日に第三者科学者たちのコメントを集めたプレスリリースを発表している。(上)で触れた9月19日「Reuters」のUpdate 3は、これに拠っており、日本のSMCも9月27日に日本語翻訳版をアップしている。尚、SMCは中立を装うが、ClopLife Internationalなどの開発メーカー筋が資金提供しているという批判がある。しかし、研究の資金がCRIIGENから出ているため、これはお互い様。この理由のみでGM反対派が、SMCを批判するのはダブルスタンダードだろう。

 また、多くの有力一般紙を差し置き、記者会見の翌日の9月20日には立派なQ&Aが、専門誌に掲載されている。このライターの実力は並みではない。

<ドイツのリアクション>

 10月1日、Germany’s Federal Institute for Risk Assessment (BfR:ド イツ連邦リスクアセスメント研究所)は、論文著者の結論は実験からは裏付けされておらず、実験の設計、データの提示と解釈に欠陥があり、著者らの主張はデータからは支持できないとする科学的評価 を発表した。

 10月11日には、信頼出来るポータルサイト「GMO Compass」も、EFSAやBfRの論文評価を紹介している。

<ロシアなどのリアクション>

 もっとも過剰反応したのはロシアだ。9月25日、政府はNK603を暫定輸入禁止にすると発表し、広く報道された。もっともトウモロコシ輸入量は少なく、貿易実態への影響はあまりないと評されている。10月19日、カザフスタンも、ロシアに追従しNK603の輸入を禁止した。

 興味深いニュースとして、the National Association for Genetic Safety (NAGS)の研究者が、Séralini教授の実験を再現し、ラットの様子を24時間ネット中継する計画を立てているらしいが、「100万ドル必要な資金の目処がつき次第」なので、実現の可能性は薄い。

<オーストラリアなどのリアクション>

 多くのメディアが、Séralini教授の発表のみをこぞって大きく報道し、後にこれを恥じ、反省しきりといったところだ。

 Food Standards Australia New Zealand(FSANZ:オーストラリア・ニュージーランド食品基準局)は、10月11日にリリースを出し、初期レビューの結果、この論文には多々疑問があり、著者に対してレビューに必要なデータを提供するように求めると述べている。

<米国などのリアクション>

 経済紙的性格の「Forbes」などを中心に米国報道の拒否振りは徹底しており、日頃GMには厳しいNew York大学のMarion Nestle教授すら「この研究については懐疑的です」と語っている(9月19日Washington Post )。

 Monsanto社は、「毎度お騒がせの常習者がまたかよ」といった気持ちが透けてみえる「この研究を徹底的にレビューするが、百以上の摂食研究を含めて、多くの査読を経たGM農産物に関する科学的研究は、世界中の規制当局の安全性事前評価に反映され、その安全性が確認されている」というかなり控え目で、落ち着いたコメントを広報担当者が出した。また、9月21日には同社ホームページに解説もアップされた。

 注目されたのは、11月6日にGM食品表示議案Prop37の州民投票を控えたカリフォルニア州への影響だった。早速、表示推進派本部の「Yes on Proposition 37」は、このニュースを取り上げてステートメントを出す。

 しかし、これは必ずしも有利に働いてはいないようだ。9月27日の「Los Angeles Times」世論調査では、賛成61%、反対25%だったのが、同紙10月25日のポールでは賛成44%、反対42%と遂にほぼタイにもちこまれた。10月11日に発表された他の機関による調査でも賛成48.3%、反対40.2%と表示賛成は急速に支持を失い、10月30日の最新調査では、賛成39.1%、反対50.5%と遂に逆転されてしまう(「Los Angeles Times」など)。表示反対派キャンペーンの豊富な資金力にものを言わせたPRが功を奏したという見方が一般的だ。

 便乗したGM反対派の中でも酷かったのは、10月17日放映のTVトーク番組Dr. Oz Show だったらしい。出演したGM食品反対活動家のJeffery Smith氏が、腫瘍ラットの写真をかざして、FDA(米国食品医薬品局)はなぜこれを無視するのかと批判したという。

 この番組の内容については、10月19日の「CattleNetwork」 が詳細に伝えており、同日の「Forbes」も、Jeffery Smith氏のいかがわしい前歴(空中浮遊術の講師?)にまで踏み込んで批判している。

 一方、カナダは9月20日、Health Canadaが「キチンと論文をレビューして、もし本当にリスクあればしかるべく対処する」と、安心作戦を取った。

<さて、日本では>

 掲示板、ブログ、ツイッター、GM反対派サイトなどの大騒ぎをよそに、不思議なことに「プレスたちの沈黙」状態である。その中で、「時事通信」のみが、「AFP」の9月21日10月23日をカバーし、書き逃げせずに10月5日にEFSAの初期レビューも配信したのは誉められていい。9月25日には、NHK BSの海外ニュースが取り上げたそうだ。

 相変わらず正確な情報をタイムリーに提供しつづけたのは、国立医薬品食品衛生研究所の畝山智香子氏による「食品安全情報blog」 だ。これだけ読んでいれば、筆者の駄文は不要である。

 9月27日のサイエンス・メディア・センター「専門家コメント 遺伝子組み換え作物と除草剤のラットへの影響について」 については、英国のところでも触れた通り。

 10月3日、食品安全情報ネットワーク(FSIN)による「フランスの研究グループによる『組み換えトウモロコシの毒性』に関する論文およびそれに関する報道について」は、よく纏まっており、(財)残留農薬研究所毒性部長の青山博昭氏による専門家コメントも必読だ。

 バイテク情報普及会も情報提供には熱心で、10月25日更新の情報と各関係先へのリンクを参照できる。

 食品安全委員会では、食品安全総合情報システムに、9月20日10月1日10月4日の3回にわたり関連情報が掲載された。また、11月2日開催予定の遺伝子組換え食品等専門調査会(第109回、非公開)の議題(2)に「除草剤グリホサート耐性トウモロコシNK603について」があるので、論文レビューが行われるものと思われる。

 以上が、今日までのSéralini事件の概要とそれを受けた主要国における状況だが、本稿のタイトルは、オーストラリアの科学系雑誌「COSMOS」10月9日号から、そのまま頂いた。まさに言い得て妙だから。

 筆者が疑問に感じるのは、Séralini教授自身がこの試験結果を「思いがけないものだった」と述べていることだ。では、この研究はいったい何を目的に行われたのか?「♫Que Sera Sera、Whatever Will Be, Will Be、さあ餌のダイズだよ~、何かいいことないかネズミちゃん」では、2年は長すぎ、3億円は高価すぎる。「思いがけないものだった」は、追加データを出せないための言い訳への前振りか。追加データが出せなければ、Séralini教授は人騒がせなフレンチ・モリグチになってしまうのかも。

 思い起こされるのは、2006年7月の日本におけるElmakova事件(詳しくは「FoodScience」の過去ログ などをご参照下さい)だ。Elmakova女史を日本へ引っ張ってきて、ろくでもない講演させて回った遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン(天笠啓祐代表)は、「強固な結論に基づいていない科学者あるいはチームの評判を誇大宣伝することは、それが公衆の間に恐れを広めることになるなら、重大な軽犯罪です」というFrench National Centre for Scientific Research (CNRS)の陳述を、胸に刻んで欲しい。

執筆者

宗谷 敏

油糧種子輸入関係の仕事柄、遺伝子組み換え作物・食品の国際動向について情報収集・分析を行っている

GMOワールドⅡ

一般紙が殆ど取り上げない国際情勢を紹介しつつ、単純な善悪二元論では割り切れない遺伝子組 み換え作物・食品の世界を考察していきたい